「団十郎とは何者か 歌舞伎トップブランドのひみつ」〜市川家の歴史と成田屋ブランドのひみつとは?〜【書評】その1

團菊祭の「勧進帳」を観にいく前に、成田屋について少し勉強しようと思い、この本を読みました。

「団十郎とは何者か 歌舞伎トップブランドのひみつ」by赤坂治績(朝日選書)

現在の団十郎は空席ですが、2020年の5月に十三代目団十郎が誕生する予定となっています。

それまで、約350年間続いてきたこの名跡や、

成田屋だけのブランド・シンボルについて、

本書から知ることができました。

今日は、本書について紹介していきます。



「団十郎とは何者か 歌舞伎トップブランドのひみつ」

著者は、演劇評論家の赤坂 治績(あかさか ちせき)さんです。

劇団「前進座」の制作部、「演劇界」の編集部などを経て現職。

多数著作を書いており、

「浮世絵で読む江戸の四季と習わし」(NHK出版新書)、

「知らざあ言って聞かせやしょう:心に響く歌舞伎の名セリフ」(新潮選書)などがあります。

本書は、3章から成っていて、

第1章が「団十郎家の盛衰」とし、初代~十二代目までの団十郎について、

その人となりや芸風、当時の様子が書かれています。

私が知っているのは十二代目だけです。

波乱万丈な人生を経験し、

惜しまれながら早逝した役者のイメージがあります。

正直いうと、若い頃の団十郎(海老蔵時代含め)は、

あまり好みではありませんでした。

本書にも書かれていますが、「口跡」に難あり、、、。

声や話し方が好みではなかったのがその理由です。

しかし、年を経るごとに、

渋みを醸し出すようになり、その器に期待していた矢先のご逝去。

残念、無念な思いをしたものです。

第2章は、「団十郎家の謎」とし、

成田やブランドとして知られている、

シンボルや芸、慣習などが書かれています。

ある意味、うんちく話ですね。

それも面白いものがありました。

十八番については、十二代目までの系譜を知ると、

ますます興味深く読みましたよ。

第3章は、「団十郎の事件史」。

これはスキャンダルちっくなものも併せ、

驚くことばかりでした。

特に、八代目は21歳の若さで自死を選んだ、

というくだりはショッキングでした。

その原因は、明らかにされてはいないのですが、

本書の考察を読むと、

歌舞伎界という社会がまるで魔界のようにも思え、

その中での「団十郎」の名も、

思うだけで重くのしかかってくる圧力を感じました。



市川団十郎とは何者なのだろうか?350年間受け継がれた十二代を振り返る

ここでは、各代の団十郎について一言紹介をしていきます。

初代団十郎:1660年~1704年

荒事の創始者と言われています。13歳の時に顔を赤く塗って演じたことが、荒事特有の隈取りへとつながっていったそうです。

二代目団十郎:1688年~1758年

子役時代は親の七光りと言われたそうですが、その後役者としての才能を開花させ、瀬千両役者の名をものにします。二代続いた名優の家ということから、歌舞伎の家制度はここから発祥したという見方があります。

三代目団十郎:1721年~1742年

二代目の養子、14歳で団十郎の名を継ぐが、21歳で病死してしまいます。

四代目団十郎:1711年~1778年

3歳で初代松本幸四郎の養子となり、24歳で二代目松本幸四郎を襲名します。

二代目団十郎の隠し子では?という噂があったものの、結局は団十郎の婿として四代目を継ぐことになります。

五代目団十郎:1741年~1806年

先代達の芸を受け継ぐことに加え、新たな芸をも作り出して行った。当時の江戸っ子の象徴と言われていました。早々に、息子に団十郎の名を譲って引退するものの、息子の死により、孫に六代目を継承させるまで、幸四郎、団十郎、鰕蔵、白猿と名を変え、長く舞台に立つことになる方です。

六代目団十郎:1778年~1779年

13歳で団十郎の名を継ぎ、20歳で座頭まで上り詰めるが、その後早逝します。

七代目団十郎:1791年~1858年

五代目の外孫、9歳で団十郎を名乗る。家の芸の他に時代物や世話物など、幅広い役を演じ、人気者になって行く。歌舞伎十八番の「勧進帳」を新たに作り直したそうです。晩年は、天保の改革により、贅沢な暮らしをしたということで江戸を追放となり旅暮らしを余儀なくされたそうです。

歌舞伎十八番「勧進帳」、 数ある演目の中でも人気が高い作品の一つです。 私も、このお芝居が大好きで、何度となく観ていますが、 ...

八代目団十郎:1823年~1854年

9歳で団十郎を襲名。当時の団十郎の名は大きく、15歳の時には座頭を勤めたそうです。美男子でよく通る声をしていたという頃から、女性からの人気が高かったということです。しかし、大阪での芝居初日を前に自死してしまいます。31歳の若さだったそうです。

九代目団十郎:1838年~1903年

七代目の五男、明治の「劇聖」と言われています。河原崎の名を継いでいましたが、36歳で九代目を襲名します。新時代に即した歌舞伎を作るべく、様々な演劇改良に尽力しました。1887年の天覧劇で、尾上菊五郎らとともに「勧進帳」「高時」を演じ、歌舞伎の地位を高めることに貢献しました。その後歌舞伎座の座頭にもなるのです。

十代目団十郎:1882年~1956年

九代目の娘婿、没後に息子の十一代目が追贈

十一代目団十郎:1909年~1965年

相次ぐ戦争の時代、若い頃は大根と言われた九代目海老蔵でした。戦後、徐々に人気を高め、「源氏物語」で海老様ブームを巻き起こします。見た目も口跡もよく、二枚目役も色悪役もこなし、新作にも意欲的に取り組んだ功績が認められ、団十郎襲名へと至っていきます。なかなかに気難しい方でもあったようです。襲名から3年後に惜しまれながらこの世を去ります。

十二代目団十郎:1946年~2004年

十一代目の子でありながらその誕生は公表されていませんでした。7歳で初舞台、19歳の時に父という後ろ盾を失ってしまいます。当時は歌舞伎界が低迷していた頃で、苦労をされたようです。尾上菊之助、尾上辰之助とともに昭和の三之助として名を馳せ、坂東玉三郎とのえび・たまコンビで人気を博し、その地位を高めていった方でもありました。大らかさと存在感は圧倒的で、大スターと言える方でした。

そして、今は十三代目の誕生が待たれます。

次の時代は、十一代目海老蔵の肩にかかっていると思えます。

この書評は、長くなってしまいそうなので、

一旦、2部構成としておきます。

後半は、成田屋ブランドのひみつについて、

読んだことを基にお伝えしていきますので、

お楽しみになさっていてくださいね。

今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。



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