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竹本葵太夫の家族(妻・息子)と本名、経歴!人間国宝の評価は?

歌舞伎役者
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竹本葵太夫(たけもとあおいだゆう)さんは、

歌舞伎義太夫の第一人者であり、

唯一人間国宝を認定されている現役の太夫です。

本記事では、竹本葵太夫さんのプロフィールや経歴、

知られざる家族(妻・息子)との絆、

そして専門家や愛好家からの評価について、

詳しく解説していきます。

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竹本葵太夫は歌舞伎義太夫の第一人者で人間国宝

歌舞伎義太夫ってなんですか?

そんな疑問を持つ方も多いと思いますが、

歴史物の演目で、主に舞台の右端に座している、

三味線の演奏者と語り手を見たことはあるのではないかと思います。

それが、歌舞伎義太夫の三味線方と太夫です。

歌舞伎の舞台において、

役者の演技を音と語りで支える重要な役割を担うのが「歌舞伎義太夫」です。

その第一人者として、

現在も第一線で活躍し続けているのが竹本葵太夫(たけもと あおいだゆう)さんなのです。

令和元年には重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定され、

その実力と功績は不動のものとなりました。

伊豆大島出身という異色の経歴を持ちながら、

人間国宝まで上り詰めた竹本葵太夫さん、

次はそのプロフィールと経歴について書いていきます。

なぜ彼は伝統芸能の最高峰へと登り詰めることができたのでしょうか。

 

竹本葵太夫のwikiプロフィール:出身は伊豆大島!

まずは、竹本葵太夫さんの基本的なプロフィールについてご紹介します。

竹本葵太夫(たけもとあおいだゆう)

肩書:歌舞伎義太夫太夫

本名:柳瀬信吾(やなせ しんご)

生年月日:昭和35年(1960年)11月10日

出身地:東京都の伊豆大島(大島町)

学歴:東京都立大島高校(中退)

国立劇場歌舞伎音楽(竹本)養成所3期修了
*現在は講師も務める

初舞台:昭和54(1979)年国立劇場「仮名手本忠臣蔵」五段目で二代目竹本葵太夫として初舞台

竹本葵太夫さんの出身は、伊豆大島です。

大島から歌舞伎の舞台に入った方って

今までいなかったのではないでしょうか?

しかも人間国宝にまでおなりになって、、

おそらく、島の人たちの誇りとなっているのではないでしょうか。

ご実家は元町にある観光休憩所を営んでいました。

だからいわゆる梨園(歌舞伎俳優の家系)や

芸能の家柄の出身ではありません。

一般家庭に生まれながら、

自らの才能と努力で道を切り拓いてきたお人なのです。

特筆すべきは、令和元年(2019年)10月に

重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されたことでしょう。

(この年は故片岡秀太郎さんも歌舞伎脇役で認定を受けられました)

歌舞伎義太夫の分野での個人指定は40年ぶり、

史上二人目という快挙であり、

当時58歳という若さでの認定は、

いかに卓越した存在であるかを物語っています。

また、竹本葵太夫さん実演家としてだけでなく、

後進の育成や伝統の保存にも尽力しています。

社団法人伝統歌舞伎保存会の理事や、

独立行政法人日本芸術文化振興会での研修講師を務めるなど、

活動は多岐にわたります。

さらに、竹本葵太夫さんは、平成29年(2017年)には

伝統文化ポーラ賞「優秀賞」を受賞するなど、

数々の栄誉に輝いています。

竹本葵太夫さんの幼少期は、鎧兜や城のプラモデル作りを好む、時代劇好きな少年でした。

しかし、単なる歴史好きにとどまらず、

その情熱は日本の伝統文化そのものへと向かっていきました。

伊豆大島という自然豊かな土地で育まれた感性が、

後の彼の芸風の基礎となっていることは間違いありません。

現在も故郷・大島との繋がりを大切にしており、

地元での講演や実演会を積極的に行うなど、

地域文化への貢献も続けている、郷土愛あふれる竹本葵太夫さんなのです。

竹本葵太夫の経歴:高校は中退、神子舞から歌舞伎義太夫の道へ

竹本葵太夫氏の経歴を振り返ると、

この道に進むことになった意外な「きっかけ」がありました。

芸能とは無縁の家庭で育った竹本葵太夫さんですが、

転機が訪れたのは小学4年生、10歳前後の頃でした。

地元の伊豆大島にある吉谷神社の正月祭において、

「神子(みこ)」として神子舞を奉納したのです。

この神子舞は、男の子が女の子の衣装を身に着けて踊るという

伝統的なもので、この原体験が竹本葵太夫さんを芸能の世界へと誘いました。

その後、竹本葵太夫さんは、大島高校在学中に

竹本講習の授業を聴講したことで、

義太夫への関心が決定的なものとなります。

そして昭和51年(1976年)、竹本葵太夫さんは

わずか15歳で女流義太夫の竹本越道(たけもとこしみち)に入門します。

そして高校卒業を待たずにこの世界に飛び込む決断をしたのです。

その後、昭和54年(1979年)7月、18歳の夏に国立劇場『仮名手本忠臣蔵』五段目で初舞台を踏み、二代目・竹本葵太夫の名を許されました。

竹本葵太夫さんは、国立劇場の竹本研修を修了した後は、

初代竹本扇太夫や文楽の九代竹本源大夫ら

名だたる師匠たちに師事し、着実に実力を磨いていきました。

竹本葵太夫さんの注目したい経歴は、

若くして海外公演の経験が豊富である点です。

昭和56年(1981年)のヨーロッパ公演への急きょの参加を皮切りに、

アメリカ、東南アジア、台湾など、世界各地で歌舞伎の魅力を伝えてきました。

言葉の通じない海外の観客に対し、声と音だけで感情を伝える経験は、

彼の表現力を大きく飛躍させたことと思います。

平成元年(1989年)には竹本葵太夫さんは松竹と専属契約を結び、

歌舞伎音楽竹本の中核を担う存在として確固たる地位を築きました。

一方で、故郷への恩返しも忘れていません。

竹本葵太夫さんは、2000年代以降、

大島での講演会や『絵本太功記』の素浄瑠璃演奏などを行い、

地元住民に本物の芸に触れる機会を提供し続けています。

これは本当に凄いことだと思います。

一人の少年が神社の祭礼で踊った小さな舞が、

やがて世界を股にかける人間国宝の芸へと昇華していった、

まさに努力と才能の経歴と私は感動してしまいました。

竹本葵太夫の家族(妻・息子)は?清元瓢太夫との親子共演と絆

竹本葵太夫さんの家族について語る際、

外せないのが彼の息子の存在です。

竹本葵太夫さんの息子さんは

清元瓢太夫(きよもと ひさごだゆう)の名で活躍する、

清元節の太夫です。

父と同じく伝統芸能の道を選び、現在は親子二代で邦楽の未来を担う存在として注目を集めています。

この竹本葵太夫・清元瓢太夫にとって記念すべき出来事となったのが、

2009年11月に新橋演舞場で上演された『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』でした。

この公演で、父である葵太夫さんと、当時初舞台を踏んだばかりの息子・瓢太夫氏さんとの共演が実現したのです。

伝統芸能の世界において、親子が同じ舞台に立ち、芸を披露することは特別な意味を持ちます。

しかも、葵太夫さんは竹本、瓢太夫さんは清元と

立派が違うので、同じ太夫と名がついていても

全く違う芸風での共演なのです。

そんな貴重な共演を果たすことができて、

竹本葵太夫さんは、息子の成長を感じられる大きな喜びであったと

私も心が震える思いで想像しています。

また、葵太夫さんを支える家族の絆を感じさせるエピソードとして、

2017年の伝統文化ポーラ賞贈呈式が挙げられます。

当時、葵太夫さんは舞台出演のため式典に出席できませんでした。

その際、代理として賞を受け取ったのが、

伊豆大島から上京した葵太夫さんの母親と、息子の瓢太夫氏でした。

晴れの舞台に本人が不在でも、母と息子がしっかりと名代を務める姿からは、

家族間の強い信頼関係と、葵太夫さんの活動を家族総出で支えている

温かな関係性がうかがえますよね。

では竹本葵太夫さんの奥様は、どんな人なのでしょう?

こちらも気になりますよね。

しかし、奥様のことは公表していないので

情報が見つかりませんでした。

そうはいっても、伝統芸能の世界では

「妻」「おかみさん」の役割は重要で、

おそらく裏方に徹して葵太夫さん、瓢太夫さんを

支えていらっしゃるのだと思います。

こちらについては、

新しい情報が見つかりましたら追記いたします。

 

竹本葵太夫の評価と実力:役者からも信頼が厚い!

竹本葵太夫さんの評価と、これほどまでに称賛される、

その実力の核心に迫りたいと思います。

竹本葵太夫さんは2025年現在65歳で、

伝統芸能の世界ではまだ「中堅」とされる世代であります。

しかし、若い時から、

「間違いなくこれからの歌舞伎竹本を背負う逸材」

と高く評価されてきました。

その評価は、令和元年の人間国宝認定によって決定的なものとなりました。

竹本葵太夫さんの芸の真骨頂は、

歌舞伎義太夫という役割に対する深い理解と技術にあります。

歌舞伎義太夫は人形浄瑠璃(文楽)とは異なり、

あくまで「俳優の芸を引き立たせる」ことが使命です。

文楽の大夫はチョンがつきませんが、

歌舞伎義太夫の太夫はチョンがつきます。

これは、文楽は浄瑠璃に合わせて人形を動かすので、

浄瑠璃が主体、つまり格も上になります。

歌舞伎は人が主です。

なので、太夫や三味線は、芝居に合わせて語りやセリフを

入れることはありますが、

役者に合わせて入れていくので

格は下になるということなのです。

葵太夫さんは、芝居をしている役者の様子を見ながら

瞬時にタイミングやその状況を判断し、

三味線と息を合わせて芝居を盛り上げる語りを行います。

この高度な適応能力と、

真に迫る語り口が役者からも高く評価され、

大役者からの引きも多いと言います。

芝居の重要な場面を任されることも多く、

私もクライマックスの場面では葵太夫さんの語りに

感情を揺さぶられ涙したりしみじみしたり

とても楽しませていただいています。

竹本葵太夫さんは、

専門家からは「謙虚で丁寧な語り口」と評される一方、

その内面には「生身の俳優に制約される中で、いかに自分の芸を出すか」という、

職人としての静かなる闘志と探究心を持っているそうです。

楽屋での雑用や先輩への気遣いといった下積み時代からの姿勢も、

「相手の気持ちを汲み取って語るための修行」と捉える謙虚さが、

竹本葵太夫さんの人間的な魅力でもあるようです。

人間国宝となった現在でも「まだまだ」と語り、

神様に恥じないよう素直に生きるという信条が、

その芸に深みを与えていることを感じます。

それを裏打ちするかの如く、

竹本葵太夫さん受賞歴も華々しく、

松尾芸能賞新人賞、芸術選奨文部大臣新人賞、国立劇場優秀賞・特別賞など、

数え切れないほどの賞を受賞しています。

特に『女殺油地獄』や『伊賀越道中双六』での演奏は高く評価され、

伝説的な名演として語り継がれています。

技術的な卓越性はもちろんのこと、

謙虚に努力を続ける人間性を含めて、

竹本葵太夫氏は現代の歌舞伎界になくてはならない語り部として

多くの人の信頼を集めていると考えられます。

私も、古典の演目には絶対竹本葵太夫さんが必須!

と思う一人なので、

これからもその語りを楽しみにお芝居を観たいと思っています。

お読みくださり、ありがとう存じまする。

*歌舞伎の人間国宝は8名いらっしゃいます。こちらをぜひお読みください。

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