七代目市川男寅、すらりと長身で甘いマスク、
気になる若手歌舞伎役者を紹介します。
実は、歌舞伎一家のご子息で、
おじいさまは実力派俳優の市川左團次さん、
お父様も独特な雰囲気を持つ市川男女蔵さんです。
七代目市川男寅、その家系、wiki的プロフィール。実は慶應ボーイ?
名前でググってもまだあまり資料がありません。
wikiもまだ未完成。
なので、ここで作ってみました!
七代目市川男寅 wiki的プロフィール
市川男寅
市川男寅:本名 荒川 公星
生年月日 1995年12月27日
出身地 東京都
家系 祖父:四代目市川左團次、父:六代目市川男女蔵
屋号 滝野屋
定紋 角切り角に一葉紅葉
初舞台 2003年「幡随院長兵衛」長松役で七代目市川男寅襲名
特技 日本舞踊・三味線
出身大学 慶應大学
身長 171cm
まだ、情報が少ないのでゲットしたら修正していきます。
スーパー歌舞伎Ⅱ「新版オグリ」の小栗二郎役で
ぐぐっと知名度が上がった若手役者です。
七代目市川男寅の家系をチェック。祖父左團次と父男女蔵の関係は微妙?
上にも書きましたが、家計をもう少し詳しく見ていきます。
と言いますのも、
なかなかこの親子関係、複雑なものがありそうなのです。
市川男寅は、市川左團次の孫で市川男女蔵の息子
市川男寅さんは、市川左團次さんのお孫さんです。
そして、
市川男女蔵さんの息子さんです。
このお二人の関係がどうやら微妙らしい・・
あまり、共演らしい共演を見ないのですが、
その理由は、この不思議な関係にあったのか、、と
納得したところです。
①祖父は高島屋と父子は滝野屋、なぜか屋号が違う
祖父の市川左團次、性は市川ですが屋号は高島屋です。
父の市川男女蔵と市川男寅本人、性は市川ですが屋号は滝野屋です。
実の親子なのに、なぜ屋号が違うのか?
歌舞伎役者は名跡を継いでいくため、
血縁同士でも違う家の養子となって、その家の屋号を継ぐということが
しばしばあるようです。
*こちらの記事を参考にどうぞ
以前書いた中村雀右衛門(京屋)と大谷友右衛門(明石家)もそうでした。
*こちらの記事を参考にどうぞ
明治から昭和にかけて活躍した二代目市川左團次には、
息子がいなかったことから、
当時四代目市川男女蔵に名前を継いで欲しいと頼んだそうです。
しかし、市川男女蔵には滝野屋という名前もあるので、
左團次になると高島屋、
男女蔵・男寅は滝野屋、
というちょっと不思議な流れができたのだそうです。
②祖父と父の関係が寂しすぎる
そして、祖父の七代目市川左團次、
この方は舞台に欠かせない存在感ある名役者です。
私生活ではかなり変わっている方のようで、
息子に対して愛情をあまり示さないのだとか。
息子男女蔵は、父に愛された記憶がなく、
家族の写真やお誕生日会、家族旅行などの思い出もないのだとか。
七歳で初舞台を踏んでからも面倒を見ることは一切なく、
それが要因かどうかはっきりしませんが、
小学校卒業と同時に歌舞伎界を離れています。
しかし、父左團次の説得を受け、十八歳で舞台復帰。
それでも関わりは変わらず、
七代目男女蔵襲名の際も、
「金銭面からいろんなこと全部、ご自分でやりなさい。できないんだったら、襲名をやめなさい。」
と、伝えたそうです。
この父子の関係が、
現男女蔵、男寅親子に受け継がれてないか心配になってしまいます。
当の左團次は、
「親父は、僕の芝居を手とり足とり教えるような人じゃなかったけど、その代わり、「この役を演じるときは、この人のところに習いに行け」と道筋だけはつけてくれました。
僕自身も親父と同じやり方で、息子の男女蔵や孫の男寅には、直接教えず、ただ道筋だけを示してます。」
と言っているそうです。
よくわからない関係です。
七代目市川男寅、歌舞伎役者としても期待は膨らむ
七代目市川男寅に話題を戻します。
七歳で初舞台を踏んでから、子役としても経験を積み、
最近は注目の若手に数えられるようになった。
並び大名や男伊達として愁眉な姿を見せながら、
1つ1つの役に取り組み力をつけているところです。
平成30年の舞台では、
「出世太閤記」の神戸信孝に扮し、品の良さを漂わせた。
「芝浜革財布」のお君として初々しく演じれば、
「毛抜き」では祖父左團次の粂寺弾正に対し、錦の前役を好演。
女形としても舞台経験を積んでいるところです。
様々な役に挑戦しながら、今後の芸幅を広げている真っ最中。
注目していきたい役者です。
今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。
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