藤山寛美さんといえば、昭和の喜劇王と言われた方です。
3番目のお嬢さんが、女優の藤山直美さん。
藤山寛美さんを知らなくても藤山直美さんをご存知の方は多いのではないでしょうか?
朝ドラ「おちょやん 」でも重要な役どころです。
藤山寛美さんと浪花千栄子さん、渋谷天外さんは、本当はどんな関係だったのか?
調べてまとめました。
藤山寛美と浪花千栄子の関係は?
藤山寛美さんと浪花千栄子さん、お二人とも昭和の喜劇を支えた役者さんです。
そのお二人の間には深いつながりがあったようです。
藤山寛美さんは、1929年に関西新派「成美団」の役者であった藤山秋美さんと
お茶屋の女将の稲垣キミさんとの間に末息子として誕生しました。
つまり、生まれた頃からお芝居の世界にいたということです。
4歳で父親が病死した後、初舞台を踏み13歳まで新派で役者として成長したそうです。
私の想像を超える幼少期を過ごしたのだなあということで驚きました。
13歳の時に、2代目渋谷天外さんに誘われて
松竹家庭劇に移ったそうです。
当時、子どものいなかった渋谷天外・浪花千栄子夫妻は、
寛美さんのことを実の子のように可愛がったということです。
しかし、戦争が起こり、大阪も空襲を受け芝居小屋が焼け落ちてしまい、
お芝居を続けていくことが困難になってしまいます。
そこで寛美さんは、1945年に皇軍慰問隊の一員として
満州に渡ることになります。
ちょうど終戦の年ですよね。
日本国内は大混乱でしたが、
当時日本が駐留していた満州や中国では
日本人の排斥活動も起こり危険なこともあったようです。
一時期、ソ連軍に抑留されたこともあったということです。
この戦争は、多くの人の人生を狂わせてしまいましたよね。
私は、両親の話からしか戦争のことは知りません。
子どもの頃、はだしのゲンを読んで、戦争の怖さに身震いしたものです。
この時代を生きた人は本当に大変だったのだなあと思います。
さて、寛美さんは、やっとの思いで帰国し、
劇団にも復帰します。
しかし、渋谷さんが劇団の若い女性(九重京子さん)を妊娠させてしまい、
浪花千栄子さんは天外さんの元を去ることになります。
母のように慕った浪花さんとの別れは辛かったでしょうね。
朝ドラ「おちょやん 」でもこの回はとても切なかったなあ。
詳しくはこちらをどうぞ
https://kabukist.com/naniwachiekorikon-5199
藤山寛美のプロフィール
ここで、簡単に藤山寛美さんについて紹介します。
藤山寛美:本名 稲垣 完治(いながきかんじ)
生没年月日 1929年6月15日~1990年5月21日
著名な家族 父:藤山秋美 母:稲垣キミ 3女:藤山直美 孫:藤山扇治郎
代表作品
舞台 松竹新喜劇作品
映画 「バリカン親分」1963年
「続・拝啓天皇陛下様」1964年
テレビ番組 「天外の親バカ子バカ」1959年
「おもろい女」1965年
戦後の遊び人と言われるほど、金遣いや遊美が派手で、
その上人から騙され、多額の借金をしていたとのことです。
波乱万丈という言葉すら甘い人生の山谷を経験した方なんだなあと思いました。
藤山寛美と渋谷天外との関係は?
藤山寛美さんは、13歳で渋谷天外さんに認められ、
劇団へとスカウトされます。
その後紆余曲折はありつつも、
2人の関係は長く続いたそうです。
特に、1951年に渋谷天外さんが書いたお芝居「桂春團治」では、
酒屋の丁稚役を演じました。
それまでの2枚目路線からアホ役に転じ、
それが大好評だったそうなんです。
続いて、天外さんは寛美さんの役柄を生かした作品を発表し、
そこから、喜劇役者、アホ役者(失礼)としての寛美さんの人生が
始まったと言っても過言じゃないようです。
確かに、私の記憶にかすかに残る寛美さんのイメージは
阿呆の役だったなあって思います。
テレビ番組にも出演し、スターの座を築いていった寛美さんですが、
私生活では多額の借金を抱えてしまいます。
まさに借金に首まで浸かってどうにもならなくなってしまうほどだったそうです。
寛美さんが37歳の時に、渋谷天外さんが脳出血により倒れてしまいます。
そんな天外さんから、「松竹新喜劇」の座長を任されることになるのです。
寛美さんが喜劇俳優として、プロデューサーとして
その才能を発揮できたのも渋谷天外さんとの出会いがあったからなのですね。
天外さんも、女遊びが激しかったと聞きますが
寛美さんは、お金と暴力団がらみの人間関係で
問題を起こすことも多々あったようです。
師が師なら、弟子も弟子?
と思ってしまうほど、凄まじい人生です。
昭和の役者はこうやって芸を生み出していったのだと思うと
その執念を恐ろしくさえ感じます。
庶民を、涙が出るほどに笑わせてくれた寛美さん、
私生活のご苦労は想像を絶するものでした。
藤山寛美、おちょやんでは、松島寛治を前田旺志郎さんが好演
藤山寛美さんは、朝ドラ「おちょやん 」では
松島寛治として描かれています。
演じているのは、前田旺志郎さんです。
前田さんは、2007年にお笑いタレントとしてデビューし、
その後俳優に転じた方です。
若干20歳という年齢なんですよ。
デビューしたのは、兄の航基さんと「まえだまえだ」を結成し、
Mー1グランプリの準決勝に史上最年少で出場したという
伝説を持つ方でもあるのです。
だからかしらね。
「おちょやん」 を見ていても、
愛嬌がある演技上手な役者の寛治役を自然に演じていると感じます。
親代りはいらない、と、拗ねた目で千代や一平に絡んだ場面、
一平の不貞に傷つく千代を励まそうとする場面、
どの場面でも印象に残りました。
この寛治が、のちの藤山寛美かあと思いながら見ていたのですが、
阿呆役の片鱗も印象深く見せてくれそうです。
ちょっと可愛すぎるかなって気がしますけどね。
藤山寛美の孫はおちょやん にも出演中の藤山扇治郎
藤山寛美さん、3女が藤山直美さんというのは先述しました。
直美さんは、寛美さんの芸を継ぎ、喜劇女優としても活躍されています。
様々な役を演じこなせる、才能豊かな女優さんだと感じています。
また、「おちょやん 」にはお孫さんである
藤山扇治郎さんも出演されています。
扇治郎さんは、寛美さんの5女の酒井美千留さんの長男で
本名は酒井扇治郎さんとおっしゃいます。
須賀廼家万歳役を演じている、
優しげな顔をしたプチイケメンです。
扇治郎という名は、寛美さんがつけたということですが。
ご本人が3歳の時に亡くなられたので、
記憶はないのだそうです。
でも、1993年に中村勘三郎さんの誘いで、
歌舞伎座「階段乳房榎」に子役として出演し、
勘三郎さんと親子を演じたことが話題になったんだそうです。
う~ん、惜しいなあ。
私は、それを見逃した気がする・・・
見ていれば、あの時の~!って言えたのにって残念です。
朝ドラへの出演は2回目だそうで、前回は「まんぷく」の野呂幸吉役。
NHKドラマのの常連さんになりそうな予感がしますね。
役者を志して青年座で勉強し、2013年に松竹新喜劇団にも入団したことをきっかけに、
藤山扇治郎を名乗ったのだそうです。
上方の喜劇の人情味のある温かい笑いに見せられての喜劇入り。
藤山寛美2世との期待もあるのだそうですが、
寛美さんのような破天荒な人生ではなさそうです。
それでも、自分が名付け親でもあるお孫さんが
喜劇役者として活躍していることは
寛美さんも雲の上で喜んでいらっしゃるんじゃないかなあと思います。
藤山寛美さんの笑いは、映像ではまだ見ることができますね。
くさくさした気分の時は、
からりと笑わせてくれる喜劇を楽しみたいなあって思いました。
読んでくださりありがとう存じまする。
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