今日は、歌舞伎界重鎮であり、破天荒な言動でも話題の四代目市川左團次を紹介します。
御年すでに82歳となるわりには、遊び心を忘れず、
メディアではびっくりさせられる発言も取り上げられています。
舞台に立つと、異彩を放ちます。
特に敵役、仇役を演じさせたら、
この人ほど憎々しい人はいない!というほどの存在感です。
では、まずはプロフィールから紹介します。
市川左團次さん、令和5年4月15日に82歳でご逝去されました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
四代目市川左團次のプロフィール、家系、妻や息子との関係は?
簡単なプロフィール紹介です。
四代目市川左團次プロフィール
市川左團次 本名:荒川 欣也(あらかわ きんや)
生年月日:1940年11月12日
家系 父:三代目市川左團次、息子:六代目市川男女蔵、孫:六代目市川男寅、妻:荒川千恵
屋号 高島屋
定紋 三枡に左、通常は松皮菱に鬼蔦を使用
襲名 1947年 「菅原伝授手習鑑・寺子屋」菅秀才役 五代目市川男寅として初舞台
1962年 「曽我石段」八幡三郎役他 五代目市川男女蔵襲名
1979年 「毛抜き」粂寺弾正役他 四代目市川左團次襲名
当たり役 「毛抜き」粂寺弾正役
「助六由縁江戸桜」髭の意休役
「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」弥陀六役
身長は180cmという堂々とした体躯。
ギョロ目とよく響く声で、座頭から脇役まで、
当たり役というものが多く枚挙がない。
独自の存在感があり、この人がいないと舞台が寂しく感じられるほど、
舞台上に欠かせない大役者です。
市川左團次、家系、息子と孫も歌舞伎役者
孫の市川男寅を取り上げた時にも
この家系の不思議なことを紹介しました。
1つ目は、市川左團次は高島屋だけど、息子男女蔵と・孫男寅は滝野屋と、
親子なのに屋号が違うこと。
もう1つは、息子男女蔵との不思議な関係です。
この件については、先のブログをお読みくださいね。
さて、そこにも書きましたが、
息子は五代目市川男女蔵、孫は五代目市川男寅です。
男女蔵は立役が多いのですが、男寅は女形にも挑戦中。
お二人とも見目はいいので、舞台映えをします。
市川左團次の妻は26歳年下!
左團次の名でググると、奥様の話題が多く上がってきます。
26歳も年下で再婚であること、
しっかりと夫を支えつつも、ユーモアのある語口で
笑いを取ってしまうところなどが魅力のようです。
お名前は、千恵さんとおっしゃり、
友人の紹介で知り合い、左團次の猛アタックの末、
2000年に結婚されたそうです。
左團次のオフィシャルブログにも
「左團次の家内です」という題で2つほど記事が上がっています。
その中には、
「キレやすい妻」と読んでみたり、
「梨園の妻らしからぬお気楽ぶり」と自分を称してみたり、
まあ、2人の間に子どもはいないし、すでに面倒を見る姑や舅もいないこと、
左團次がご贔屓筋ともそれほど親しく関わらないことが、
その背景にありそうです。
そう言いながらも、
「梨園の奥様たちは優しく教えてくださる」と
しっかり立てるところはさすがだなあと感じます。
劇場への送り迎えをしたり、
食事への配慮をしたりと
実は高齢の左團次がいまも舞台で元気でいられるのは、
妻の内助の功と言えるのではないかなって私は思います。
市川左團次、SM、覗きってワル発言にびっくり!なんのこと?
さて、市川左團次は、歌舞伎の舞台でも
ユーモアがある口上や憎々しいセリフに定評があるのですが、
プライベートでもびっくり発言が多いようです。
特に、趣味に覗きとかSMとか書いているようで、
そこを取り上げて話題にされていることも多いようです。
パンツを持ってにっこりしている写真とかね・・・。
まあ、本当か冗談かはわかりませんが、
若い頃はかなりのやんちゃだったようですから、
清廉潔白とは言えないと思います。
先ほど口上と書きましたが、
これは襲名披露やなんらかの記念の時に
お祝いとして述べる言葉です。
大体は、相手をたて、先輩をたて、
自分をちょっと下げながらその関わりを微笑ましく語るのですが、
左團次の場合は、必ず笑いが出るのです。
この方ならではの「毒」が笑いを取るのですが、
嫌味なく言えるのが人間性でもあるのでしょうね。
そうそう、息子のことはあまり可愛がらないという評判ですが、
ブログを拝見する限り、愛犬にはデレデレのご様子です。
実は、愛情深い方なのかもしれないですね。
四代目市川左團次、歌舞伎へのこだわり「芸を親から教わらなかったことがよかった」
歌舞伎ではお家の芸を、
父から息子へと稽古を積んでいくことが通常となっています。
十八代目中村勘三郎などは、
家庭においても、父と子というよりも師匠と弟子の関係の方が
強いイメージだった・・・と妻の好江さんがおっしゃってます。
しかし、この左團次家は別のようです。
左團次自体が父親から芸を教えてもらわなかったと
明言しています。
その代わりに、
「この役は羽左衛門のおじさんにうかがいなさい、この役は(二世)松緑のおじさんに教わりなさい」と
学ぶべきお師匠さんへの道を作ってくれたのだそうです。
よく教わったのが、
十七代目市村羽左衛門さん、
この方は「お前には百貫目の荷物を背負わせているんだ。今のお前に背負えるわけはないのだが、“ああこんなもの背負えない”と思って投げ出しちゃだめだよ。背負えないことを承知で、いつも背負っていれば、いつかは百貫目の荷物が簡単に背負えるようになるんだから、それまで下したらだめだよ」
と、負荷をかけながら演技の指導をしてくださったそうです。
菊五郎劇団では、自分よりも長く師匠について稽古をしている名題下さんからも、
「師匠はこのようにしていましたよ」と
教わることもあったそうです。
そのことに関して、自分の父親が一番うまい、偉いと思っていたら、
他の人の教えを素直に聞くことは難しかっただろうと振り返ってこう言っています。
「僕は、父が教えてくれなかったお陰で、どなたのおっしゃることでも聞けるようになりました。」
このように、自ら様々な先輩に教わったからこそ、
独自の世界を演じられる役者さんであるのかなあと感じました。
もう1つ面白い逸話が残っています。
お父様の三代目市川左團次な二枚目を務めていたため、
先輩方から勉強のために二枚目の役に挑戦するよう指名されたことがあるのだそうです。
でも、「気持ち悪くてダメ」だったのだとか。
あれだけ、当たり役が多いのに、2枚目役は2回しか演じていない、
これも当代市川左團次の魅力なんだろうなあと思います。
そうはいっても、もうじき80歳になられるご高齢です。
いつまでもお元気にお役を務められるよう、願いつつ、
私もそのお姿を拝見しに行きたいと思います。
今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。
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