6代目神田伯山(松之丞改め)、
チケットが取れない人気講談師として活躍中です。
その神田伯山のファミリーヒストリーが、
4月27日(月)に放映されます。
6代目神田伯山(講談師)とは?
神田伯山のwiki的プロフィール
六代目 神田 伯山(かんだ はくざん):本名 古舘 克彦(ふるたち かつひこ)
生年月日 1983年6月4日
出身地 東京都豊島区池袋
最終学歴 武蔵大学(経済学部経営学科)
血液型 A型
出囃子 滝流し
家族 妻:古舘理沙、子ひとり(性別は自分で選ぶとので公表していません)
芸歴
2007年11月、3代目神田松鯉に入門、神田 松之丞(かんだ まつのじょう)を名乗る
2012年二ツ目昇進
2015年10月、浅草演芸ホールで行われた「読売杯争奪 激突!二ツ目バトル」で優勝
2020年2月 真打に昇進、新宿末廣亭での襲名披露興行より6代目神田伯山を襲名
講談界に入ったきっかけは、落語でした。
大学浪人中に、立川談志独演会を見てファンとなり、
それ以来追っかけるようになったそうです。
その後講談師への道へ入ったということです。
神田伯山のファミリーヒストリーとは?
「ファミリーヒストリー」は、NHKの家族のルーツを発見する番組です。
4月27日(月)のゲストは、6代目神田伯山です。
人気の講談師なのですが、そのルーツがまたすごい。
ご本人びっくりの事実が解き明かされるそうです。
神田伯山の曽祖父は、明治末期、徳冨蘆花に憧れ佐賀から上京し、
早稲田で英文学を学んだとか。
その後、立ち上げた出版社で、トルストイ全集の発行に携わっています。
そして、5代前の先祖は南米に渡り“柔術”を広め、
パラグアイの英雄となっていたことが判明します。
さらに、父の転勤で家族が暮らしたブラジルには、
亡き父の、ある形見が残されていたこともわかり。。。。
う~ん、どんな形見なんでしょうね。
ここから先は、放送を楽しみに待ちたいと思います。
「ファミリーヒストリー~神田伯山、南米に消えた先祖、見つかった父の形見~」
番組冒頭、自分のルーツが滑らないか、、、
なんてところから始まりました。
神田伯山のルーツは佐賀県唐津市にあった
神田伯山の本名は古舘。
この名は、唐津の古い士族であったということ。
実は、古舘一朗さんと同じルーツなんですって。
唐津市の博物館に幕末、小笠原藩の家臣の中に、
「古舘與四郎」という名があるんです。
これは、伯山さんの6代前の先祖。
仕事は、建築・土木関係、「廻り役」というでした。
4代前の先祖、古舘小源太は
唐津にあった牟田部炭鉱というところで、
まとめ役をやっていたそう。
その長男、伯山の曽祖父である清太郎へと話題は移ります。
神田伯山の曽祖父、清太郎は徳富蘆花の弟子、トルストイ全集の翻訳をしていた!
古舘清太郎とはどういう人なのかを追っていきます。
地元の名門唐津中学校に入学、
18歳になると炭鉱で働き始めるものの、
その仕事には馴染めません。
手記には、「つるはしの音が不気味でたまらなかった」とあります。
読書に没頭する日々、
徳富蘆花に憧れ、上京を決意するのです。
徳冨蘆花は、気分屋の方だったそうですが、
生太郎は気に入られ、門下生になります。
23歳で早稲田大学英文学科に進学、
同期には、坪田譲治、西條八十、直木三十五など、
錚々たる文壇の方々・・・。
学生時代の清太郎は熱しやすい性格だったようで、
教室で卓を叩いて弾劾演説をした、
得意の美声で人々を感嘆させたとか・・・。
今の伯山と重なりますね。
24歳の清太郎は、福岡シズヨと同棲します。
注!:このシズヨの父が後から出てきますよ。
清太郎は作家を目指し、その家計を支えたのがシズヨ。
29歳の時、神田豊穂に誘われ、
新たな出版社「春秋社」を立ち上げます。
最初に出版した「トルストイ全集」、
これの翻訳などに携わったようですが、
この全集が大当たり。
当時500部が相場だった出版界で、
最終的に9000部も売れたそうです。
その仕事を通じて生活が安定します。
が、が、が、、、、
もっと派手にやりたい清太郎は、社長の豊穂とぶつかり、
出版社を退社して小説を書き始めます。
残念ながら、あまり売れなかったようです。
その清太郎について伯山は、
「家庭を顧みず、パッションで突き進んでしまう方。
派手にやろうとする気概は似てるな。」
と感想を述べてました。
やりたいことに向かって突き進む、、
まさに伯山と重なります!!
神田伯山の高祖父、福岡庄太郎は柔道を通して世界に貢献、南米パラグアイの英雄
先に出てきた福岡シズヨの父は福岡庄太郎。
鉄砲や火薬を扱う大きな商家を預かっていたものの、
突然失踪して外国へ行ってしまいます。
何か事故で責任を感じたのでは??
といううっすらとした理由しか見つからないそうです。
しかし、この庄太郎については
「近代柔道」をキーワードに調べを進めていくことができました。
研究者曰く、
「日本を出て、アメリカ、ヨーロッパを柔術を披露し、南米、最後はパラグアイに永住した。」ということ。
アメリカでは、柔術を見世物にしていたそう。
明治39年にアルゼンチンロサリオへ渡ります。
柔術を知らない地、そこで異種格闘技を行い、
名前を挙げていきます。
実力を認められ、騎馬警官になるのですが、
38歳にして肺結核で倒れてしまいます。
その療養のため渡ったのがパラグアイの首都アスンシオン。
それが良かったのか、病が癒え、柔術を再開します。
そして、マッカランという怪力の格闘家と
試合をすることになったんですって。
マッカランは著名なレスラー、俳優でもあり、
この試合はとても話題となり、多くの観客を呼びました。
残念ながら敗北したのですが、
その戦いぶりに感銘した観客から拍手喝采を浴びたようです。
その後、花屋を営みながら、結婚して家庭を持ち、
柔術を教えながら生活したそうです。
昭和15年には、パラグアイの経済使節として来日。
昭和22年、パラグアイに戻った庄太郎は波乱の生涯を閉じます。
新聞には、追悼記事が載ったということ、
パラグアイの英雄として、多くの人の心に残っているんです。
動画を見た伯山は感銘を受けたようです。
すごい人、すぐに調べたい、、と興味津々・・・。
反面、家庭を顧みないで外国行っちゃって、、ていうところは
ちょっと苦言。
しかしながら、清太郎といい庄太郎といい、
その行動力が印象深かったようです。
神田伯山の祖父、古舘融を襲った悲劇とは・・・
伯山の祖父、古舘融は、学生時代柔道でならした方ということ。
三越に就職して、大木栄子さんと結婚。
その後タクシー運転手に職を変えます。
その次男豊が、伯山の父です。
豊も柔道に熱中、その強さは周囲も一目を置いてたそう。
昭和41年、古舘家を襲った不幸、
妻が病気で早逝、融も網膜剥離により片方の目の視力を失います。
せっかく始めた個人タクシーの仕事もできなくなります。
神田伯山の母の曽祖父、石塚家は埼玉県幸手市の名家
石塚家は、埼玉県の幸手市の開発に携わった一族でした。
祖父の順一郎は、太平洋戦争に出兵し、
鉄道連隊に所属します。
その後復帰して、市電の運転士になります。
これは当時、花形の職業だったということ。
鉄道の技術を知っているということから、
期待されての抜擢で、街のヒーロー的存在でした。
順一郎の次女が伯山の母ミエコさんです。
神田伯山の父、古舘豊(ふるたちゆたか)の南米に残した形見とは・・・
伯山の父豊は、次男でしたが、弟たちの学費も捻出するため、
アルバイトと学業に精を出します。
弟想いの優しい兄だったということです。
大学卒業後は、貿易商社に入社します。
出会った石塚ミエコ(伯山の母)と結婚します。
父の一本気なところ、兄弟思いのところは、
伯山もよく聞いているそうです。
商社マンの父は、ブラジルに転勤となります。
そこで、仕事の傍、柔道を教えることになります。
そのきっかけが、
ブラジル在住の柔道家に、手合わせを頼まれたこと。
有り体なく言えば、勝負を挑まれたことらしいです。
それで、豊の腕前に惚れ込んだ方が多かったんでしょうね。
その豊の弟子である、フェルナンドさん。
今でもブラジルで柔道を人に教えているとか、、、。
オリンピック候補にもなった方ということなので、
豊の教え方がうまかったということなんでしょうね。
その形見が、黒帯。
君は、日本にいたら、黒帯保持者だよ、ということから
もらったんだそうです。
練習に集中し、鍛錬こそが成果を生む、ということを
豊に学び、それを実践されてきたそうです。
この努力、鍛錬、て言葉、今の伯山にも当てはまりますね。
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さて、次男克彦の誕生はブラジルで聞いたんだそうです。
克彦という名は、柏崎克彦 という伝説の柔道家から
名前をいただいたんですって。
その本家の克彦さんから、
「伝統を引き継いでいることは一緒だね」とメッセージ。
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伯山が1歳の時、一家は、ブラジル・ペロタスに移住します。
当時を知る女性が、
豊が「子どもたちに物語を読んだりビデオを見せたりしながら、知識と感性を教えようとしていた。」と語っていました。
しかし、その父は、日本に帰国後の昭和61年、
42歳の若さで亡くなってしまったそうです。
番組では伝えませんでしたが、
自殺だったそうですね。
ちょっと調べたら、
「多くの方に迷惑をかけた・・」
という遺書を残していたとか・・・
伯山、小学校4年生のことでした。
6代目神田伯山、恩師との出会い、落語から講談の道へ
父の死に相当ショックを受けたのでしょうね。
それを境に、すっかり性格が変わってしまったそうです。
笑顔を見せなくなったと、ミエコさんが話していました。
それはそうでしょう。
強かった父が、自ら命を絶ったとは、
信じられるものがなくなってしまったんでしょうね。
その伯山が変わるきっかけとなったのが高校の時、
唯一楽しみにしていた授業の国語にあるようです。
とても変わっている授業で、
先生が、黒板に「ゴミはゴミ箱へ」と書いてあるのを見て
俺もゴミだからゴミ箱に入るか、、と言って
ゴミ箱に入って授業をしたこともあったそう。
この奇抜な行動や授業スタイルは、
影響を与えたようなんです。
先生自身は、授業の1回1回が、
ステージだと思ってやっていたそうです。
つまりは、芸能ですよね、語り芸。
そのスタイルが響いたのかな・・・
この頃、伯山が興味を持ったのが落語でした。
高校の親友とも落語を通じて親交を深めていたようです。
特に夢中になった落語家が、立川談志。
「一人芸で圧倒的にすごい、ということに衝撃を受け、自分もその世界に入ろうと思った。」
とは言え、何があってるかわからないところから、
講談を選び、神田勝鯉の門を叩きます。
「稽古した時に、すでに口調が出来上がっていた。あの若さで老人口調。」と才能について語りました。
入門して神田松之丞と名乗るとすぐに頭角を現していきます。
自分の心情を吐露する時には、マイクに近づいて、囁くように語ったり、普段はちょっと離れて朗々と語る。
そのスタイルについて、師匠は、
自分がやってきたやり方とは違う、
伯山が努力して作ったスタイル・工夫とたたえた上で、
時代に生きるのではなく、時代を作って欲しい
新しい講談の歴史を作って欲しい、
とエールを送っていました。
姉弟子の神田鯉栄
「講談の力を信じて、その魅力を訴えようという気概があった。」
自分が辛い時に助けてくれた、淡々とサポートしてくれたと、
弱い者に対して優しい伯山の一面を伝えてくれました。
表面的には悪巧みに見えるけど、本当は誠実で優しいらしいです。
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自分の先祖の歴史から、思うところがたくさんあったようです。
「師匠、姉さんのお話を聞けたこともありがたい。いろんな人の尽力があって、ここまできている。先祖が幅広かった、ここにいる人が誰一人欠けても今の私はない。」
と、身近なつながりから古い一族の歴史を振り返っていました。
さらに、
「これから私自身、伯山になって6代目。神田伯山としての血筋もあり、それも愛おしく思う。」と
神田伯山という名の歴史を作り一人として、
意気込むこともありそうです。
最後にボソって呟いてました。
「がんばらないとね・・。」
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壮大な先祖のストーリーは、
道を切り拓く勇気を与えてくれるかのようでした。
今を生きる私にも、
先祖の血が、努力が流れているんだなと思うと、
今を大切に生きていきたいと思えます。
感動のストーリーをありがとうございました。
「ファミリーヒストリー~神田伯山、南米に消えた先祖、見つかった父の形見~」
4月27日(月)午後19時30分~20時42分 NHK総合
再放送は、
4月30日(木)午後23時45分〜午前0時57分
読んでくださり、ありがとう存じまする。
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