歌舞伎の世界で、驚異的な活躍を続ける、二代目市川寿猿(にだいめ いちかわ じゅえん)さん。
なんと、現役最高齢の歌舞伎俳優として、94歳の現在もなお、舞台に立ち続けているのです!
澤瀉屋(おもだかや)ファンならずとも、市川寿猿さんを応援するファンは多く、年齢を感じさせない芸への情熱は、私たちに驚きと感動を与えてくれます。
この記事では、そんな市川寿猿さんの家系図や
支えとなった妻との感動秘話、息子さんの存在。
90代でも現役を続けられる驚きの健康と活躍の秘訣、と近年患った病気、
さらには師弟関係にある市川猿之助さんとの深い絆について、
詳しく掘り下げていきます。
市川寿猿さんの魅力と、長く第一線で活躍できる理由に迫ります。
市川寿猿の本名や年齢、経歴、wikiプロフィール
では、市川寿猿さんの基本的なプロフィールと、
その輝かしい役者人生を見ていきましょう。
二代目 市川 寿猿(にだいめ いちかわ じゅえん)のプロフィール
本名: 泉井 能世(いずい よしよ)
生年月日: 1930年(昭和5年)5月20日
年齢: 94歳(2025年4月現在、まもなく95歳)
出身地: 東京都 浅草
屋号: 澤瀉屋(おもだかや)
定紋: 三ツ澤瀉(みつおもだか)
主な受賞歴
国立劇場奨励賞(1967年)
歌舞伎座優秀賞(1984年)
国立劇場特別賞(1996年)
とべとべ賞(2000年)
国立劇場優秀賞(2003年)
文化庁長官表彰(2007年)
日本俳優協会賞特別賞(2009年)
松尾芸能賞 松尾國三賞(2019年)
私は、市川寿猿さんとしての活躍しか存じ上げないのですが
調べてみたらその経歴がすごいことがわかりました。
市川寿猿さんの役者人生は、わずか3歳の時に始まりました。
女歌舞伎(女性が中心となって演じる旅芸人の一座)の坂東勝治一座に入門し、
「坂東小鶴」として初舞台を踏みます。
その後、市川七百三郎、市川段三郎、市川喜太郎、四代目市川喜猿と、
実に4度もの改名を重ね、
1975年(昭和50年)に現在の「二代目市川寿猿」を襲名しました。
なんで、一般家庭から役者を目指したのかというと、
実のお母様から役者になる夢を託されたということです。
本当に歌舞伎座の舞台に立てる役者さんになっちゃうなんて
親孝行の息を越えてるなあって思いました。
市川寿猿さんは、現在は、主に立役(男役)を務めていますが、
以前は立役も女方もこなし、
猫の役で着ぐるみを着てとんぼ返りをするなど、
幅広い役柄を演じてきた経験豊富な役者です。
その功績は高く評価されており、
1974年(昭和49年)には重要無形文化財(総合認定)保持者となり、
伝統歌舞伎保存会会員にもなっています。
2000年(平成12年)には幹部俳優へと昇進しました。
役者としての評価は非常に高く、「堅実な芝居」と評される一方で、
三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんが創始した「スーパー歌舞伎」や、
四代目市川猿之助さん演出の新作歌舞伎にも柔軟に対応し、
活躍の場を広げています。
若い頃から「若い割に芝居を知っている」と言われるほどの実力者でした。
澤瀉屋一門を5代にわたって支え続け、
二代目市川猿之助(初代市川猿翁)さんや三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)さんの
教えを受けた貴重な存在として、尊敬を集めています。
多い時には年間100回近くも舞台に立っていたというのですから驚きです。
その人生から、「歌舞伎の生き字引」なんて評されることもあるようです。
市川寿猿さんが舞台に姿を現すと、
待ってましたとばかりに客席が湧くのです。
ご高齢でも現役として舞台に立つその姿から
私も含め、多くの人が勇気をもらっているのではないでしょうか。
市川寿猿の家系図
市川寿猿さんは、「市川」という名前から、
歌舞伎の名門の生まれと思われるかもしれませんが、
実は市川寿猿さんは歌舞伎の家系に生まれたわけではありません。
彼の役者人生は、前述の通り女歌舞伎の一座からスタートしました。
その後、八代目市川八百蔵(のちの八代目市川中車)に入門し、
本格的な歌舞伎の世界へ足を踏み入れます。
さらに三代目市川段四郎に入門した後、
1955年(昭和30年)に二代目市川猿之助(初代市川猿翁)の一門へと移籍しました。
その後、師匠が澤瀉屋一門に戻ることになった際に、自身も澤瀉屋へ入門。
以来、今日に至るまで澤瀉屋一筋で役者道を歩んできました。
市川寿猿さんご自身が語るように、
澤瀉屋では師匠(二代目猿之助)のご兄弟、
その息子さん(三代目猿之助:二代目猿翁)やご兄弟(市川段四郎)、
さらにその甥(四代目猿之助)、
そして現在の市川中車(二代目猿翁の息子)さん、市川團子さん(二代目猿翁の孫)など、
5代にわたって長く仕え、一門を支えてきたのです。
なんと、今年で70周年ですよ!
「家系図」という言葉から連想される血縁関係ではありませんが、
師弟関係によって深く結ばれた「芸の系譜」の中に、
市川寿猿さんは位置づけられると言えますね。
澤瀉屋という大きな家族の一員と言って過言はないでしょう!
現在の澤瀉屋は、四代目市川猿之助さんの不幸な事件の後、
二代目市川猿翁さんも逝去され、
市川中車さんが引き継いでいる形になっています。
二代目市川猿翁さんの秘蔵っ子?でもある
市川猿弥さん、市川笑也さん、市川笑三郎さんなども
舞台ではご健在です。
澤瀉屋ファミリーのこれからのご活躍も願っているところです。
市川寿猿の妻や息子は?
長年にわたり役者として活躍する市川寿猿さんを、
陰で支え続けた存在がいました。
それは、約2年前に亡くなられた奥様です。
奥様との出会いは、彼女が芝居好きだったことがきっかけでした。
血の繋がりはないものの遠い親戚にあたり、
福岡から東京へ芝居を見に来た際に、
寿猿さんがお茶に誘ったのが始まりだったそうです。
当時、奥様のご両親(新聞社にお勤めだったそうです)は、
役者である寿猿さんとの結婚に反対していました。
しかし、奥様は「この人と一緒になる!」と親に啖呵を切ったのだとか。
その強い意志に心を動かされ、寿猿さんも結婚を決意したという、
まるでドラマのようなエピソードがあります。
あの市川寿猿さんに、そんなドラマティックな歴史があったとは
気持ちがほっこりしますね。
60年以上もの長い年月を夫婦として共に過ごし、
地方公演が多い寿猿さんにとって、
妻が飛行機や新幹線でわざわざ観に来てくれることが、
何よりの喜びだったと語っています。
奥様は、普段はあまり愛想が良い方ではなかったそうですが、
寿猿さんと一緒にいる時は自然と顔がほころんでいたといいます。
寿猿さんの芝居について尋ねても
「まあ、あんなもんでしょう」と多くを語らなかったそうですが、
それは役者と同じで、本当に良いところは敢えて口に出さない、
奥様なりの愛情表現だったのかもしれないなって思いました。
晩年の2年間は認知症を患い、施設に入所されていました。
面会に行っても反応がない日もあったそうですが、
寿猿さんが隣に座ると、ふと笑顔を見せてくれたこともあったそうです。
最愛の妻を亡くし、寿猿さんは
「もっと感謝の言葉を伝えておけばよかった」と、
今になって後悔の念を口にしています。
長年連れ添った深い絆と、今もなお残る奥様への愛情が伝わってきて涙が出てきちゃいます。
一方で、息子さん娘さんに関する情報は見当たりませんでした。
ご夫婦お二人で、深い絆を大切に歩んでこられたのかもしれません。
今は、お一人で生活されている寿猿さん。
舞台があることが、生き甲斐になっているようにも思いました。
市川寿猿が高齢でも舞台に立てる秘訣がすごい!
94歳(まもなく95歳)という年齢で、なお現役で舞台に立ち続ける市川寿猿さん。
その驚異的な若さとエネルギーの源はどこにあるのでしょうか?
ご本人が語る秘訣を探ると、次の7つが浮かび上がってきます。
市川寿猿の秘訣①:年齢を考えないこと
寿猿さん曰く、これが若さの一番の秘訣だそうです。
「おじいさん」と呼ばれてもピンとこず、
ご自身の感覚は40代くらいなのだとか!
年齢という枠にとらわれず、常に前向きな気持ちでいることが、
心身の若さを保つ上で非常に重要なのかもしれません。
市川寿猿の秘訣②:体を動かすこと
特別なトレーニングをしているわけではないようですが、
日常生活の中で体を動かすことを意識されています。
35歳頃から住んでいた団地の5階まで、
毎日階段で上り下りしていたことが、
良いリハビリになったと感じているそうです。
地道な継続が、丈夫な足腰を維持する秘訣なのでしょう。
現在でも、手を引かれることはありますが、
しっかりと舞台上を立ち歩いていらっしゃることに
驚嘆しています。
市川寿猿の秘訣③頭を使うこと
体だけでなく、頭を使うことも
市川寿猿さんは健康維持に繋がると考えています。
「今晩のおかずは何にしようかな」と考えたり、
もちろん常に舞台のことを考えたりすることが、
脳の活性化に繋がっているようです。
以前、テレビのバラエティ番組で、
市川猿之助さんが寿猿さんはカンペを使ってると
バラしていました。
使う場面はあるかもしれませんが、
なしでもセリフを言えるのも頭を使う
一つの方法かもしれませんね。
市川寿猿の秘訣④規則正しい食生活
市川寿猿さんは、食事は1日3食きちんと摂ることを心がけていると言います。コ
ンビニの惣菜を利用することもあるそうですが、
自分で胡瓜のお新香を漬けるなど、
食への意識も高いようです。
バランスの取れた食事が、元気な体を作っているのですね。
これは、奥様から教えてもらったのも
生きているのかもしれませんね。
市川寿猿の秘訣⑤役者としての努力を怠らない
市川寿猿さんは年齢と共に、
台詞を覚えるのが大変になってきたそうですが、そこはベテランの知恵。
小さな紙に台詞を印刷し、
スマートフォンの裏や壁に貼って覚える工夫をされています。
また、耳が遠くなり他の役者の声が聞き取りづらくなった分、
相手の動きを注意深く観察し、
自分の台詞のタイミングを掴んでいるそうです。
舞台上では、役になりきるために動きや声にも細心の注意を払い、
常に工夫を凝らしています。
どうしても役柄も高齢な役が多いのですが、
役の性格によって表情が変わるのがすごいなあと思っています。
市川寿猿の秘訣⑥謙虚な心と探求心
市川寿猿さんは、「自惚れて満足したら、役者は終わり」
という言葉を胸に刻んでいます。
観客からの大きな拍手は励みになるものの、
それに満足してしまうと芸が停滞してしまう。
だからこそ「大きな拍手はむしろ聞こえない方がいい」
と語る役者の気持ちが、今になってよく分かると言います。
常に向上心を持ち、他の役者の舞台を観て研究することも欠かしません。
芸歴90年⁉︎の役者さんなのに、
さらに学ぶ姿勢が素晴らしいなあと感動しますね。
市川寿猿の秘訣⑦新しいことへの挑戦
2022年には、なんと92歳で史上最高齢での
「宙乗り」(ワイヤーで吊られて舞台上空を移動する演出)を披露し、
大きな話題となりました!
さらに、ご自身でX(旧Twitter)アカウントを更新するなど、
新しい技術にも柔軟に対応しています。
このチャレンジ精神こそが、若さの秘訣なのかもしれません。
これら7つの秘訣からは、特別なことではなく、
日々の地道な努力と、役者としての芸に対する真摯な姿勢、
そして何よりも前向きな心持ちが、市川寿猿さんを支えていることがわかります。
私ももう歳だから、とつい言いたくなりますが、
寿猿さんのご活躍を励みに、
年齢を言い訳にせず、何事も前向きに取り組みたいって思いました。
市川寿猿の病気は?現在はどうしてる?
長年元気に活躍されてきた市川寿猿さんですが、
2024年10月、心配なニュースがありました。
出演予定だったスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を、
体調不良のため休演されたのです。
診断の結果は「脳梗塞」でした。
『ヤマトタケル』は、昭和61年の初演以来、
寿猿さんが1000回を超える公演のほとんどに出演してきた大切な演目であり、
連続出演記録が途絶えることになりました。
しかし、幸いなことに大きな後遺症はないとのことです。
寿猿さんご自身も「皆様にまた元気な姿を見ていただけるように頑張ります」と、
力強いコメントを発表されており、復帰への意欲を見せていました。
2025年1月には、歌舞伎座の「大富豪同心」に出演し、
明るい笑顔で歯切れ良く言葉を話されていました。
その姿に、大きな拍手があがっていました。
その後、2、3、4月はご出演がなくてちょっと心配もしれいます。
再び舞台で元気な姿を見せてくれる日はいつかなあ?
心待ちにしているところです。
市川寿猿と市川猿之助の関係は?
市川寿猿さんと「市川猿之助」という名前は、
切っても切れない深い関係にあります。
寿猿さんが所属する澤瀉屋は、
市川猿之助を代々の当主とする一門であり、
寿猿さんはその澤瀉屋の長老格として、
代々の猿之助さんを支えてきた存在なのです。
歴代の市川猿之助さんとの関係を紐解いてみましょう。
二代目 市川猿之助(しょだい いちかわ えんおう)
寿猿さんは、この二代目猿之助さんに師事し、直接指導を受けました。
澤瀉屋の芸の基礎を、初代から叩き込まれたのです。
これは今では寿猿さんだけとなってしまったので、
まさに生き字引と言われる所以でもあります。
三代目 市川猿之助(にだいめ いちかわ えんおう)
市川寿猿さんは、この三代目猿之助さんのもとで長く修行を積み、
その薫陶を受けたと話しています。
三代目猿之助さんが様々な役柄を踊り分ける際には、
後見(こうけん)として舞台上で息を合わせ、
お面を渡すなど、重要な役割も務めていました。
また、三代目猿之助さんが創始した
革新的な「スーパー歌舞伎」の第一作『ヤマトタケル』には、
初演からほとんど全ての公演に出演されました。
スーパー歌舞伎の歴史と共に歩み、その芸を継承する一翼を担ってきました。
四代目 市川猿之助
現在の四代目市川猿之助さんとも、深い信頼関係で結ばれています。
寿猿さんが92歳で史上最高齢の宙乗りを披露した演目『東海道中膝栗毛』は、
この四代目市川猿之助さんが脚本・演出を手がけた作品です。
四代目市川猿之助さんは、寿猿さんの宙乗りを「仕掛けた」張本人であり、
「健康で現役で舞台に立ち、何でも挑戦する意欲を今も持ち続けている寿猿さんだからこそお願いした」
と語っています。
市川寿猿さんも、四代目猿之助さんを
「楽観的で明るく、常に皆のことを考えている」と高く評価していました。
このように、市川寿猿さんは、
初代猿翁(二代目猿之助)、二代目猿翁(三代目猿之助)、
そして現在の四代目市川猿之助さんと、
澤瀉屋の当主を役者として間近で支え、その芸を学び、共に舞台を創り上げてきたのです。
さらに、三代目市川猿之助さんのお孫さんにあたる市川團子さんのことも、
初舞台の頃から見守っており、
「(『ヤマトタケル』で團子さんが主人公を演じる姿は)役と気持ちが重なり、感慨深いものがある」と、
まるで自身の孫の成長を見守るような温かい眼差しで語っています。
まさに、市川寿猿さんは澤瀉屋の歴史そのものを体現する存在であり、
一門にとってかけがえのない宝のような存在と言えるでしょう。
私の歌舞伎歴なんて、全く子供のお遊びみたいなもの、
って思うほどに市川寿猿さんの経歴に痺れました。
市川寿猿まとめ:星になるまで役者でいたい
この記事では、現役最高齢の歌舞伎俳優、二代目市川寿猿さんのプロフィール、
家系(師弟関係)、奥様との絆、そして驚くべき健康と活躍の秘訣、
さらに市川猿之助さんとの深い関係性についてご紹介しました。
90歳を超えてもなお、芸への探求心を忘れず、
新しいことにも挑戦し続ける市川寿猿さん。
その姿は、私たちに年齢を重ねることの素晴らしさ、
そして情熱を持ち続けることの大切さを教えてくれますね。
「年齢は考えない」「自惚れたら終わり」という言葉からは、
謙虚さとプロフェッショナルとしての矜持もうかがえます。
亡き妻への深い愛情、そして澤瀉屋一門への長年の貢献と忠誠心も、
市川寿猿さんの人柄を物語っています。
近年、脳梗塞という病を経験されましたが、幸いにも回復しました。
市川寿猿さんは
「役をいただける限り、星になるまで役者でいて、もう少し生かしておきたかったと思われる役者になりたい」
と語っています。
その言葉通り、これからも私たち観客を魅了し続けてくれることでしょう。
市川寿猿さんの今後のさらなるご活躍を、心から応援しています!
お読みくださり、ありがとう存じまする。
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