PR

片岡我當の死因は肺炎、弟仁左衛門、愛之助に知らせなかった理由は?

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

歌舞伎役者の片岡我當さんがご逝去されました。

上方の味をしみじみと伝えるベテランの役者さんでした。

このニュースが流れたのが、7月17日でした。

が、実際に亡くなられたのは5月だったということ。

なぜ、公表が遅れたのか、弟仁左衛門や、甥の愛之助の反応はどうだったのかもまとめました。

スポンサーリンク

片岡我當の死因は肺炎

片岡我當さん、直接の死因は誤嚥性肺炎ということです。

都内の病院に入院していたとのことで、

そこで最後を看取られたとのことでした。

片岡我當さんは、松嶋屋の片岡3兄弟の長男でした。

次男の片岡秀太郎さんも2019年に間質性肺炎でご逝去されています。

いちばん下の弟が、片岡仁左衛門さんです。

仁左衛門さんは現在81歳ですが、舞台では主演を務める人気ぶりを

今なお発揮していらっしゃいます。

実は、片岡我當さんは、

長いこと体調不良を理由に舞台から遠ざかっていました。

2014年の12月、京都南座の顔見世公演で倒れてから

5年後の2019年7月に大阪松竹座の

昼の部の「厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)」で、

平家全盛期役の平清盛役で舞台復帰をされました。

しかし、それからも体調は芳しくなく、

最近は舞台での姿を見ることができなかったのです。

体調不良の理由は、明確にはしていませんでしたが、

肺が原因なのかもしれないですね。

もしくは、内臓などに疾患があったのかもしれません。

闘病生活の末のご逝去はとても残念です。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

五代目片岡我當のプロフィール

片岡我當:本名 片岡 秀公(かたおか ひできみ)

生年月日 1935年1月7日

家系 父:十三代目片岡仁左衛門、弟:二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門。

息子:片岡新之介、甥:片岡孝太郎

最終学歴 同志社大学工学部

屋号 松嶋屋

定紋 七つ割丸に二引

襲名歴 :

1940年 『堀川』のおつる役 片岡秀公の名で初舞台(大阪歌舞伎座)

1971年 『桜時雨』の三郎兵衛役、『二月堂』の良弁役 五代目片岡我當を襲名(大阪新歌舞伎座)

 

片岡我當は、5月に亡くなっていた?

片岡我當さんがご逝去されたのは、

5月11日だったとのことです。

しかし、親類である、仁左衛門さんや愛之助さん、

ファンの方にもそのことは伏せられていました。

故人の意思ということでした。

ご家族だけで密葬を終えられ、

2ヶ月後の7月に発表となったのです。

その理由も明かされてはいません。

私の推測では、

片岡我當さんは上方のお客様をとても大切にされていました。

毎年7月に大阪歌舞伎を愛する会が主催する

大阪松竹座の七月大歌舞伎が始まるまでは、

公表を避けたかったのではないかと思いました。

大阪松竹座の七月大歌舞伎は、船乗り込みという

イベントから始まる初の風物詩にもなっています。

その開催に、影を落とさないように、というご配慮だったのではないかな

というのが私の推測です。

六月、七月と尾上菊五郎・尾上菊之助襲名披露公演では、

片岡仁左衛門さんはお芝居と口上に出演されています。

片岡我當さんはそういう気配りをする方なので、そう思ったところです。

 

片岡我當の最後の舞台、代表作・当たり役は?

片岡我當さんの最後の舞台は、

2020年2月に歌舞伎座で行われた、

13代目片岡仁左衛門追善公演の舞台でした。

ここで、片岡我當さんは、

「八陣守護城」の佐藤正清役を演じられました。

堂々とした武将の存在感に、ほーっとため息をついて見入った記憶があります。

そうなかなかみられない舞台、と思ってもいましたね。

この演目、このお役は、お父上である

13代目片岡仁左衛門さんの最後のお役でもあるそうです。

お父様の後を追う、そんな言葉が頭に浮かびました。

片岡我當さんは、関西歌舞伎の復興に、

父や三代目中村鴈治郎らとともに、

力を尽くしたこともよく知られています。

堂々とした体躯で、堅実な芸風に定評があります。

立役や荒事、敵役、老役などをこなせる大ベテラン。

弟の十五代目仁左衛門の色気とは違う、凄みも出せる役者さんです。

代表作には、

『沼津』の平作

『新口村』の孫右衛門

『仮名手本忠臣蔵』「九段目」の加古川本蔵

『熊谷陣屋』の弥陀六

『輝虎配膳』の長尾輝虎

などがあります。

肚に何かを抱えながらも情を見せるお役が

得意だったのだなあと思います。

片岡我當を仁左衛門、愛之助らも偲ぶ

片岡我當さんの訃報に際し、

片岡仁左衛門さんは次のようにコメントをされています。

兄を惜しみつつも、楽になったことにホッとしたご様子もにじみます

仁左衛門さんは、昨年姉妹を相次いで亡くし、

これで全てご兄弟を亡くしてしまったとのこと。

そんな思いも感じられるコメントだなと思いました。

兄の最後の舞台は、父(十三世片岡仁左衛門)の二十七回忌追善狂言(2020年2月歌舞伎座「八陣守護城」(佐藤正清)でした。父の最後の舞台と同じ演目です

一番印象に残っている思い出は、兄と(次兄の)秀太郎と私の三人でつとめた『若松会』ですね

プライベートでも、兄は冒険家でしたので、子供の頃の楽しい思い出がたくさんあります

悲しい知らせではありましたが、長い闘病生活から解放されて、先に旅立った家族たちと、あちらで楽しく暮らしているだろうと想像しています

これまでの皆さまより賜りましたご厚情に、心から感謝申し上げます

片岡愛之助さんは、甥にあたります。

愛之助さんは一般家庭のご出身で、

我當さんの弟の片岡秀太郎さんの芸養子です。

秀太郎さんが女方であったことから、

仁左衛門さん、我當さんから教えをいただきながら、

今のような実力をつけられたとのことです。

親のような師匠のような関係だったのかもしれませんね。

「小さいころからお世話になっておりましたし、たくさんのことを伯父には教えていただきました。

役者としての在り方、心構え。伯父の我當、叔父の(片岡)仁左衛門はやる役が違う。恵まれた環境にいたんだなと改めて思いました

(舞台に)お出にならなくなってからも病院やお家にうかがったり、〝これ、どうしたら?〟ってなったときはお電話でいろんなことを教えてくださいました。

有意義な時を過ごさせていただいた。もっともっといてくだされば、もっともっといろんなお話を聞いていればよかった。いつも逆に励まされていた」

片岡我當さん、もっとお芝居を見たい役者さんでした。

今までたくさんの感動をありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました