平成の三之助を知ってますか?
辰之助、新之助、菊之助の3人をそう呼んでいた時代がありました。
平成の終わりに、その頃をふと思い出したので、古い資料を引っ張り出してみました。
ブームになった三之助
平成の三之助、若き日の尾上松緑、市川海老蔵、尾上菊之助
2000年、平成の歌舞伎界を大いに賑わす出来事がありました。
歌舞伎座で上演された「源氏物語」。
当時23歳の市川海老蔵が光源氏役、尾上菊之助が紫の上役、25歳の尾上辰之助が頭中将役を演じ、
会場は連日満員、チケットも初日で売り切れという、
驚異の大ブームを巻き起こしたのです。
二代目尾上辰之助(現四代目尾上松緑)、七代目市川新之助(現十一代目市川海老蔵)、
五代目尾上菊之助、この3人が平成の三之助と呼ばれ、
1996年ごろから2002年(辰之助が抄録を襲名)まで、
多くのファンを劇場に集めたのです。
現在でも人気が高い3名ですが、若い頃の人気はさらに熱かったのです。
実は昭和にも三之助が!?
平成を遡る昭和の時代にも三之助と呼ばれた方々がいらっしゃいました。
昭和40年代(1960年代後半)のことです。
当時の三之助とは、六代目市川新之助(のちの十二代目市川團十郎)、初代尾上辰之助、四代目尾上菊之助(現七代目尾上菊五郎)の3名のことです。
そう、平成の三之助のお父さんたちなんですよ。
この頃、伸び悩んでいた歌舞伎界も、
若い女性の世代に歌舞伎役者ファンが急増したおかげで息を吹き返し、
興行界に確固たる地位を占めるまでになったことから、
3人の存在はとても重要視されていたようです。
新之助は明るくおおらかな性格、菊之助は2枚目で洗練された魅力の持ち主、
男らしく気の強い辰之助というキャラクターの取合せが絶妙だったとか、
歌舞伎の舞台でも、荒事・二枚目役が新之助、女形が菊之助(後に立役が主へ)、世話物や踊りが辰之助と
それぞれ役の取り柄も異った役者であったために、
自然と競演の機会も多く、人気も高まっていったということです。
この三之助も襲名によって名が変わったということ、
尾上辰之助の早世によりトリオは自然解消となりました。
その代わり、伝説が残ったということにもなりますね。
平成の三之助、尾上松緑、市川海老蔵、尾上菊之助現在のプロフィール
では、大人気の3人、それぞれのプロフィールを簡単に紹介します。
順番は、年の順です。
四代目尾上松緑(元 二代目尾上辰之助)のプロフィール
尾上松緑:本名 藤間あらし (ふじま あらし)
生年月日 1975年2月5日
祖父 二代目尾上松緑
父 初代尾上辰之助(逝去後、三代目尾上松緑の名を追贈される)
屋号 音羽屋
定紋 四つ輪に抱き柏
襲名:
1980年 本名の藤間あらしで「山姥」怪童丸役で初舞台(国立劇場)
1981年 「幡随長兵衛」長松役(歌舞伎座)二代目尾上左近襲名
1992年 「壽曽我對面」曽我五郎役 二代目尾上辰之助襲名
2003年 「勧進帳」弁慶役、「蘭平物狂」伴蘭平役(歌舞伎座)四代目尾上松緑襲名
六世藤間勘右衛門として、藤間流勘右衛門派の家元も務める。
当たり役 「倭仮名在業系図」(蘭平物狂)の伴蘭平
「義経千本桜」の佐藤忠信
「新皿屋舗月雨暈」の魚屋宗五郎
父同様に、押しの強い男気溢れる演技が魅力です。
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五代目尾上菊之助のプロフィール
尾上菊之助:本名 寺嶋 和康(てらしま かずやす)
生年月日 1977年8月1日
祖父:六代目尾上菊五郎、父:七代目尾上菊五郎、母:富司純子、姉:寺島しのぶ
屋号:音羽屋
定紋:重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪
襲名:
1984年 「絵本牛若丸」牛若丸役(歌舞伎座)六代目尾上丑之助襲名・初舞台
1996年 「弁天娘女男白浪」弁天小僧菊之助役ほか(歌舞伎座)五代目尾上菊之助襲名
当たり役 「弁天娘女男白浪」弁天小僧菊之助
「鏡獅子」の小姓弥生
「京鹿子娘二人道成寺」の白拍子花子
清楚で品のあるお姫様役は絶品、最近は源義経、髪結新三などの立役も務めています。
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十一代目市川海老蔵(元七代目市川新之助)のプロフィール
十一代目市川海老蔵:本名 堀越 寶世(ほりこし たかとし)
*2015年に 孝俊から改名
生年月日 1977年12月6日
祖父:十一代目市川團十郎、父:十二代目市川團十郎
屋号:成田屋
定紋:三升、替紋は杏葉牡丹
襲名:
1983年 「源氏物語」春宮役(歌舞伎座)初お目見え
1985年 「外郎売」貴天坊役(歌舞伎座)七代目市川新之助襲名
2004年 「助六由縁江戸桜」花川戸助六役、「暫」鎌倉権五郎役(歌舞伎座)十一代目市川海老蔵を襲名
2020年 十三代目市川團十郎白猿を襲名することが発表
当たり役 「鳴神」鳴神上人
「源氏物語」 光源氏
「助六由縁江戸桜」花川戸助六実は曽我五郎時致
華やかな二枚目、声もいい、現在は押しも押されもしない大スターです。
こちらも参考にどうぞ
平成の三之助、松緑・海老蔵・菊之助の当時の評判を芝居の筋書きから読んでみた
1998年1月に浅草公会堂で行われた、「初春花形歌舞伎」。
この筋書きがあるので、ここから当時の三之助に対する評を紹介します。
大ブームの前ですが、すでに平成の三之助として人気を博していた時、
彼らが若かりし頃の姿が目に浮かびます。
こちらも年齢順です。
まずは、
当時二代目尾上辰之助
「三之助」では兄貴格(当時23歳)。
二代目を襲名して7年。
父、祖父を相次いで失った悲しみを乗り越え、
菊五郎、團十郎ら、父のよき友であった先輩から厳しく、温かい薫陶を受けてきた。
声変わりも不十分で発生もおぼつかなかった襲名の頃と比べると、
舞台姿も一段と大きくなり、歌舞伎役者にふさわしい落ち着きを感じさせるようになった。
今回いよいよ「勧進帳」での弁慶役(本公演では初)に挑む。
先輩たちが演じる弁慶を、
舞台の上で大きな目を皿のようにして見つめていた辰之助。
そのどん欲なまでの勉強ぶりに本公演への意気込みを感じた。
若手から本格的な役者へとステップアップを目指していた頃、
ここから松緑への道が続いて行ったのです。
次に、
五代目尾上菊之助
女性ファンを虜にする、可憐な初々しい「藤娘」(当時20歳)。
丁寧で礼儀正しい受け答え、それと共に、
「三之助と呼ばれることをあまり意識はしていません。
僕たち三人一組のアイドルではありませんから。」と
はっきりとものを言う。
芸に対しては、人一倍ひたむきで研究熱心。
周囲が大騒ぎしても「まだまだです。」と冷静で、
浮ついたところが全くない。
そういえば当時はとても真面目な好青年、という評価でした。
姉の寺島しのぶが、私が男で弟が女だったら・・・なんて発言もあったほど、
きちんとしたしっかり者、というイメージが強かったですね。
安定した演技はその質に基づいていることを思わせます。
最後に、
十一代目市川海老蔵
白塗りが舞台に映える。
眉目秀麗を絵に描いたような美しさ。
面長、切れ長の目、鼻筋が通って、
どこか影を感じさせる容貌、
「海老さま」と騒がれた祖父十一代目(團十郎)を彷彿とさせる。
勉強すべきことはこれからたくさんあるだろう。
しかしながら、「隋市川」の御曹司として、
大物の雰囲気は十分(当時20歳)。
ファンとしては、
これは是非とも未来の海老蔵、團十郎の誕生を楽しみにして、
長生きしなくてはというのが実感である。
当時からその2枚目っぷりは話題でした。
今時の若者としてやんちゃな発言もあり、注目も浴びていましたね。
かっこよかったけど、当時よりは今の海老さまの方が私は好きです。
というところでちょっと懐古な記事をお届けしました。
いよいよ、令和の時代突入。
そして「團菊祭」が5月3日から始まります。
尾上菊之助の長男、尾上丑之助の襲名で盛り上がってはいますが、
昼の部の「勧進帳」、
ここでこの3名が顔を合わせますよ。
武蔵坊弁慶:市川海老蔵
源義経:尾上菊之助
冨樫左衛門:尾上松緑
垂涎ものの舞台ですよ~~~。
こちらもぜひ足を運びたいものですね。
今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。
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