歌舞伎役者の中村吉右衛門さんが死去されたと
突然の訃報に、ただただショックを受けています。
時代物から世話物までを自在に演じる歌舞伎界屈指の立ち役俳優で文化功労者、人間国宝、日本芸術院会員の #中村吉右衛門(本名・波野辰次郎)さんが11月28日、死去しました。
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— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) December 1, 2021
中村吉右衛門、急性心不全で死去
歌舞伎役者の中村吉右衛門さんが、11月28日にご逝去されたそうです。
この日は、お孫さんの和史さん(丑之助さん)の
お誕生日でもあったんです。
あまりにもショックで呆然としています・・・
今日、12月1日は12月大歌舞伎の初日、
歌舞伎座はお祝いムードであふれているところでしょう。
なんて、悲しい、、、、
ただただ、ご冥福をお祈り申し上げます。
ご逝去されたのは、
令和3年11月28日午後18時43分
入院先の都内の病院で息を引き取ったとのことです。
死因は心不全だったそうです。
お倒れになった時は、心臓発作でということだったので、
心臓が悪かったようです。
それ以外にも内臓疾患があり、手術を受けた後の体調が思わしくない、
ということが昨年ありました。
高熱を発して、舞台を休演されたこともありました。
満身創痍で舞台に立っていらしたという方もいます。
全て燃やし尽くしてしまったのでしょうか。
それでも残念でなりません。
メディアに松本白鸚さん(実の兄)、松本幸四郎さん(甥)、
尾上菊五郎さんの追悼コメントが寄せられていたので抜粋します。
松本白鸚(兄)さんの追悼コメント
別れは何時の刻も悲しいものです。
今、とても悲しいです。
たった一人の弟ですから。
幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。
病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。
播磨屋の祖父そっくりでした。
松本白鵬
松本白鸚さんは、吉右衛門さんの実のお兄様でした。
若い頃は、ライバルと言われていたこともありましたが、
お互い大きな歌舞伎の家を継ぐ者として、
実の兄弟以上に強い絆があったのではないかと思われます。
松本幸四郎(甥)さんからの追悼コメント
叔父のお顔を見た時、初めて涙が溢れてきました。
80歳で「勧進帳」の弁度を勤める。必ず復活されてご自身の目標に向かわれる日が来ると信じていましたので、計報を聞いてすぐにはこの事実を受け入れられる自分ではありませんでした。叔父は先人を敬い、その芸を体現し、芸術である歌舞伎を進化されてこられました。
叔父の芸を永遠のものにするために、教えていただいた我々がその情熱を心に刻み舞台を勤めて参ります。
いずれも様には、叔父をご愛願くださり心より御礼申し上げます。
松本幸四郎
松本幸四郎さんは、甥であり、真摯に学ぶ弟子・後輩でも
ありました。
9月は盛綱陣屋で佐々木盛綱を務めていらっしゃいましたが、
吉右衛門さんの座を守ってのご出演なのかなと
勝手に思っていました。
お役によっては、吉右衛門さんに似ている!と思えることもあり、
これからの芸を継承するお一人であることは間違い無いと思います。
尾上菊五郎さんからの追悼コメント
長い役者人生を全身全霊で頑張られました。
再び、一緒に舞台に立てることを願っていましたので残念でなりません。
これまで幾度も同じ舞台に立ちましたが、菊之助の結婚を機に、縁あって親戚となり、孫の丑之助も生まれ、初お目見得や初舞台では共に孫の成長を喜び合いました。平成最後の舞台では『鈴ヶ森』で私が白井権八、播磨屋さんが幡随院長兵衛を勤めたのも深く印象に残っています。
本当にお疲れ様でした。
尾上菊五郎
尾上菊五郎さんは、現在歌舞伎役者の中では
最長老に位置する方です。
吉右衛門さんと芸風は違いますが、ともに比類なき存在の役者さん。
吉右衛門さんとは、息子さんの菊之助さんと吉右衛門さんのお嬢さんである纓子さんのご結婚により、
親戚の関係でもありました。
お孫さんの丑之助さんの襲名舞台で、
お二人が目を細めていた姿が忘れられません。
コメントも悲しい・・・
中村吉右衛門さん死去 「別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした」松本白鵬さん惜別コメント | FNNプライムオンライン https://t.co/asBAF7wpnX— kabukist (@kabukist1) December 1, 2021
中村吉右衛門の倒れてからの病状は
中村吉右衛門さんは、今年(令和3年)3月28日に都内のホテルで倒れ、
そのまま救急搬送されました。
倒れた時は、心肺停止の状態だったということで、
重篤な様子だったとニュースで報道されていました。
その後、集中治療室から一般病棟へ移り、
治療と回復に努めていたということでした。
倒れた当日も、歌舞伎座の舞台に立っていらっしゃった吉右衛門さん。
三月大歌舞伎の第三部「楼門五三桐」で、
主役の石川五右衛門を演じた吉右衛門さん。
私が拝見した時は、
楼門に立ち、「絶景かな~絶景かな~」と豪快な決めポーズ。
敵2人との立ち回りや、手紙を朗々と読む姿からは
それまで心配だった体調不良の影響はさほど見られずでした。
時間としては15分ほどの短い一幕でしたが、
お元気そうな様子に
あ~よかった~・・、と胸をなでおろしたものでした。
それが一転、、、、
28日もその舞台を務めた後、
都内のホテルで夕食をとっているときに異変が起きたそうです。
レストランの洗面所から戻ってきて落ち着こう、、とした時に、
「ちょっと具合が悪いみたいだ。」と言葉を発し、
そのまま脱力するかのようになったそうです。
その後、吉右衛門さんのお姿を拝見することはかないませんでした。
一部関係者の話、ということで、
命に別状はなく、復帰を目指して治療しているという話を
本心から信じていました。
お孫さんの丑之助くんと「勧進帳」での共演を、
楽しみにしているということも聞いていました。
だから、絶対に復帰してくれると思っていたのに・・・
ショックです。
毎月、歌舞伎公演情報を見るたびに、
中村吉右衛門さんのお名前を探していました。
悲しい。本当に悲しい。
倒れられてから、意識が戻らなかったということ、
歌舞伎の音声を流したり、声をかけたりと
約8ヶ月、そばで見守られたご家族のご心痛を思うと、
言葉にならない無念さを感じられます。
そういう状態でも、復帰を祈って、
公演にお名前が掲載されていたのですね。
あの素晴らしい芸をもう一度見たい・・・
その思いで、ずっと待っていた方達がどれだけ多かったことでしょう。
報道があった翌日の12月2日のお昼頃に、
上野の寛永寺で荼毘に付されたそうです。
東京の空はよく晴れていました。
私は、その頃歌舞伎座におりました。
15時過ぎからは、娘婿の尾上菊之助さんの舞台
「ぢいさんばあさん」が上演されていました。
どこかに座ってらっしゃたかもしれませんね。
病気の経過については、こちらにまとめて書いていますのでよかったらお読みください。
中村吉右衛門が77歳で死去、尾上菊五郎・松本白鸚・松本幸四郎がコメント寄せる(コメントあり)https://t.co/wlcrFJ75Bq pic.twitter.com/nD934LvjI6
— ステージナタリー (@stage_natalie) December 1, 2021
中村吉右衛門の継承者は誰?
中村吉右衛門さんは、初代中村吉右衛門さんの養子となり
2代目を襲名されました。
実の関係は祖父と孫、
お嬢さんが、松本幸四郎家に嫁いだことから、
2人産んだ息子の一人を父親の後継へと養子に出したのです。
吉右衛門さんご自身には
お嬢様が4人いらっしゃいます。
4女の攖子さんが、尾上菊之助さんに嫁ぎ、
生まれたお孫さんが尾上丑之助くんです。
同じ歌舞伎のお家ですが、
菊之助さんも丑之助さんも音羽屋の家をお継ぎになる立場です。
現在、血縁で中村吉右衛門の名を受け継ぐ役者はいません。
播磨屋のお家としては、
中村又五郎さん、中村歌昇さん、中村種之助さん、
中村歌六さん、中村米吉さんなどがいらっしゃいます。
中村吉右衛門の名は、あまりにも大きいので、
跡を継ぐというのはとても重大なことです。
そういう点から考えると、
中村吉右衛門の名はしばらくは(いつまでとは言えない)、
歌舞伎界で見ることは難しいと思われます。
中村吉右衛門の家系図と息子と孫
中村吉右衛門さんの家系図とプロフィールをここで紹介します。
音羽屋との関係を見るとこうなります。
中村吉右衛門さんのプロフィールと秀山祭
中村吉右衛門さんのプロフィールです。
没年を書き入れるのがとても辛かったです。
二代目中村吉右衛門のプロフィール
中村吉右衛門:本名 波野 辰次郎(なみの たつじろう)
出生名 藤間 久信→波野 久信 から改名
生没年月日 1944年5月22日〜2021年11月28日 享年77歳
出身地 東京都
身長 178cm
血液型 B型
家系 父:初代松本白鴎、養父:初代中村吉右衛門、母:藤間正子、
兄:二代目松本白鴎、妻:波野知佐
屋号 播磨屋
定紋 揚羽蝶
趣味 スケッチ(画集を出版したり、個展を開く腕前)
襲名・芸歴
1948年「俎板長兵衛」の長松役ほかで中村萬之助を名のり初舞台
1966年「金閣寺」の此下東吉ほかで二代目中村吉右衛門を襲名
1989年~ 2016年 テレビドラマ「鬼平犯科帳」長谷川平蔵役
2006年 歌舞伎座にて「秀山祭」を始める
2011年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
2016年 文化功労者に認定
当たり役・・・数えきれないので5つだけ
『勧進帳』の弁慶
『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助
『一谷嫩軍記・熊谷陣屋』の熊谷直実
『菅原伝授手習鑑』の武部源蔵、松王丸
『天衣紛上野初花』(河内山)の河内山宗俊
著書
「半ズボンをはいた播磨屋」(淡交社/PHP文庫)
「吉右衛門のパレット」(新潮社)
「夢見鳥」(日本経済新聞社)
役者としての傍、松貫四(まつかんし)という筆名で歌舞伎の台本も書いています。
現在は「こんぴら歌舞伎」として定着した、四国の芝居小屋「金丸座」の復興にも尽力、
歌舞伎座で9月に開催される「秀山祭」を企画など、
歌舞伎の芸の伝承に力を注いでいました。
秀山祭とは、養父である初代中村吉右衛門さんの俳号です。
ご自身が、初代から学んだことを、
若い役者さんたちに継承し、その実力を磨く場として、
中村吉右衛門さんが開催されていたのが、
歌舞伎座9月公演の秀山祭でした。
コロナにより2020年は1演目「双蝶々曲輪日記」の上演にとどまり、
今月は秀山祭の冠も外れていました。
それまで、歴史物を中心に、松本幸四郎さん、尾上菊之助さんらの中堅役者や、
播磨屋、萬屋の若手役者たちに役を与え、
演技の型や役者の心根などを教えてきたのです。
吉右衛門さんには、先述のように後継となる方がいらっしゃいません。
自らが学び、受け継いだ芸の全てを
若い人たちに残そうとしたのだろう、と今は思います。
秀山祭についてはこちらにも書いていますのでお読みください。
また、趣味のスケッチはプロ並みの腕前であり、
YouTube動画「歌舞伎ましょう」にその腕前を見ることができます。
中村吉右衛門さん、
本当に素晴らしい歌舞伎役者でした。
歌舞伎以外の現代劇、映画でも多くの人を虜にした
偉大な役者さんでした。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
ただただ悲しいです・・・
中村吉右衛門さんについてはこちらにも書いています、
読んでくださりありがとう存じまする。
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