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中村仲蔵の家系図、現在の子孫は誰?勘九郎との関係は?

歌舞伎役者
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中村仲蔵(なかむらなかぞう)は、歌舞伎役者の名前です。

初代は、1736年に孤児として生まれますが、

天性の愛嬌と踊りの腕を見込まれ、子役から歌舞伎役者へとなった実在の人物です。

その過程には様々なドラマがありますが、

「忠臣蔵」の斧定九郎役をきっかけに、スター役者への階段を登り詰めた方で

講談、落語などではお馴染みのキャラクターなんです。

ここでは、その家系図や現在はどうなっているのかということを中心に書いていきます。



 

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中村仲蔵(なかむらなかぞう)とは?

初代中村仲蔵は、先述の通り、孤児から千両役者にまで上り詰めた

江戸時代の歌舞伎役者です。

歌舞伎役者の名は、代々受け継がれていきますが、

この「中村仲蔵」という名前は、

江戸と上方の両方で名乗られていったという稀有な経緯もある名前なのです。

初代中村仲蔵は江戸中村座の歌舞伎役者

中村仲蔵、というと初代の人物が最もドラマチックな人物として

描かれています。

初代の中村仲蔵は、

1736年に江戸の稲荷町に孤児として生まれます。

それが、江戸歌舞伎の名門中村座の唄歌いに引き取られたことから、

歌舞伎の世界に入っていくことになるのです。

初代の仲蔵は、踊りの才能を見込まれたことから

子役として舞台に立つようになるのですが、

その踊りを厳しくお稽古したのが、仲蔵の義母である

志賀山おしゅんという方です。

当時、座元であったのは、6代目中村勘三郎でした。

その次男である2代目中村伝九郎が、

仲蔵の踊りの才能を見抜いて舞台に立たせたと言われています。

中村中蔵の名で舞台に立ったのは、1743年だそうです。

しかし、その7年後の1750年に贔屓にされていた吉川某によって身請けされ、

役者を廃業してしまいます。

しかし、役者への情熱は冷めず、1754年にまた舞台に復帰します。

とはいえ、それからが苦労の始まりで、

下積み時代は、楽屋なぶりものにされ、先輩方からいびられる日々、

耐えきれず川へ身投げをしたこともあったそうです。

それでも、「芸きちがい」と呼ばれるほどに芸の稽古に励んだ仲蔵の姿が

4代目市川團十郎の目に止まるのです。

やっと手にしたお役が、

「仮名手本忠臣蔵」5段目の斧定九郎です。

これが、のちの当たり役となっていくのだそうです。

定九郎というと、ちょっとしか出ないけど

痛烈な印象を残す悪役ですよね。

それが当たり役、というのも想像すると面白いものです。

ここから、中村仲蔵と改名し、徐々に人気をあげて

千両役者と言われるまでになったのだそうです。

無名の孤児が、当時の歌舞伎界の大看板となった人生は、

立身出世の物語として、長く人々に愛されたようですね。

初代中村仲蔵

1736年4月23日~1790年6月5日

両親 義父:中山小十郎、義母:志賀山おしゅん

妻:お岸(7代目杵屋喜三郎の娘)

屋号:堺屋(栄屋)

紋:中車紋・三つの人の紋

 

中村仲蔵は講談や落語でも人気の演目

中村仲蔵の人生は波乱に富んでいて、

講談や落語でも上演されています。

講談では、現代でいうと神田伯山さんの「中村仲蔵」が有名です。

真打ち昇進及び六代目襲名披露興行の大初日にも中村仲蔵を披露しています。

出世の部分を強調されたストーリーとなっでいるそうです。

youtubeでも見られますよ。

落語では、8代目林家正蔵さんが得意とされたそうです。

6代目三遊亭圓生さんの落語は、史実をできるだけ忠実に肉付けした話になっているそうです。

話す方によって、どの部分を強調するかが違うようですね。



中村仲蔵の家系図

中村仲蔵の家系はどうなっているのかも調べてみました。

中村仲蔵さんは、先述の通り、東と西とでお名前が別れています。

ここでは、中村座と縁のある東の名跡の方を書いていきます。

が、

残念ながら、家系図はありません。

というのも、仲蔵の名前は、血縁で受け継がれているのではなく、

役者の名前として受け継がれているようだからです。

それでも、中村勘三郎家とのゆかりがあることが伺えます。

ざっと、初代から5お題目までを紹介します。

初代中村仲蔵

1736年~1790年

詳細は上記

中村市十郎 → 中村中蔵 → 初代中村仲蔵 → 六代目中山小十郎 → 初代中村仲蔵

*2代目との間に、初代仲蔵の子が仲蔵の名を受けついだようですが、代数なしとあるので、公式ではなかったのかなと思われます。

中村仲蔵

1759年~1796年

初代中村仲蔵の養子ですが、のちに名前を変え、最後は志賀山万作を名乗ることになります

芳澤鶴松 → 二代目芳澤吉十郎 → 中村万作 → 中村仲蔵 → 中村万作 → 七代目中山小十郎 → 九代目志賀山万作

2代目中村仲蔵

1759年~1796年

3代目大谷広次の門下

大谷永助 → 二代目大谷春次 → 三代目大谷鬼次 → 二代目中村仲蔵

3代目中村仲蔵

1809年~1886年

志賀山せいの子で、5代目中村伝九郎の門弟となり、14代目中村勘三郎を名乗ります。

初代中村鶴蔵 → 三代目中村仲蔵 → 十四代目中村勘三郎

4代目中村仲蔵

1855年~1916年

13代目中村勘三郎の門弟からの地に3代目中村仲蔵(14代目中村勘三郎)の門弟となります。

中村銀之助 → 十二代目中村勘五郎 → 四代目中村仲蔵

5代目中村仲蔵

1935年~1992年

3代目中村富十郎のひ孫で、3代目市川團右衛門の孫、その後17代目中村勘三郎の門弟となります。

その才能に期待されたものの、早逝されたとのことです。

市川太郎 → 十三代目中村勘五郎 → 五代目中村仲蔵



中村仲蔵の現在の子孫は

中村仲蔵という歌舞伎役者は、現在は存在していません。

初代からの血筋がどうなっているのかも

なかなか資料が見つからずわかりませんでした。

5代目がもう少し、生きて子孫を残す、

あるいは弟子をとるようなことがあれば、

今でも6代目の名が残ったかもしれません。

17代目の中村勘三郎という名も、

直接の血縁ではないけれども空席になっていた名を復活させた名跡です。

今後、中村仲蔵という名も誰かが受け継がないとも限りませんね。

ちなみに、現在中村屋一門には、

中村仲四郎、中村仲持、中村仲助、中村仲之助、中村仲弥

という役者さんたちがいらっしゃいます。

誰かがその名をいただいたら、

それはそれで大きな出来事になりますね。

ちょっと期待しておこうと思います。



中村仲蔵と中村勘九郎の関係は?

中村仲蔵の人生がドラマ化され、

それを演じたのが、中村勘九郎さんでしたね。

中村勘九郎さんと中村仲蔵さんには、血縁関係はありません。

しかし、中村座という芝居小屋で歌舞伎を盛り立てた仲蔵さんと、

中村の名を今でも受け継ぎ歌舞伎の発展に尽力している勘九郎さんには

共通点があるなあと思います。

5代目の仲蔵さんは、勘九郎さんのおじいさまである

17代目中村勘三郎さんのお弟子さんだったということなので、

勘九郎さんとも面識があるでしょうしね。

さらに、3代目の中村仲蔵さんが

14代目中村勘三郎の名を受け継いでいたのも奇縁です。

勘九郎さんは、現在でも人気役者であり、

将来を期待される道を歩いていらっしゃいます。

境遇や血筋は違うにしても、

歌舞伎の芸に取り憑かれた、役者というところは一緒ですね。

勘九郎さんが千両役者になっていったら面白いなあと

未来をワクワクと想像してしまいました。

読んでくださり、ありがとう存じまする。

*中村勘九郎さんについてはこちらに書いています

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