六月に体調不良で舞台を休演した市川左團次が、
七月歌舞伎座で復活しました。
大阪松竹座では、片岡我當が約5年ぶりに舞台復帰!
いやあ、嬉しいやらおめでたいやら!
四代目市川左團次が七月大歌舞伎で、復活!
四代目市川左團次、梶原平蔵景時役で復活
六月の博多座で、二日の夜に「土蜘蛛」の舞台終了後、
体調不良を訴え、翌日から休演した四代目市川左團次。
その後、体調は回復しましたが、
七月に備えてということ、念のためにということから、
六月いっぱいは舞台でお姿を拝見することがかないませんでした。
七月の演目発表時には、2つのお役にお名前がありましたが、
その後、1つのお役に修正され、
なんとか舞台復活はありそうだぞ・・・と、
期待をしていたところです。
4日に初日を迎えた歌舞伎座の
夜の部の、通し狂言「星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)」で、
梶原平蔵景時を無事に務められたことを知り、
とても嬉しく思いました。
歌舞伎美人のサイトに掲載されていたこの写真、
確かに、市川左團次が写っています。
よかったよかった・・・。
19日の夜の部で、
元気そうなお姿を拝見しましたよ。
相変わらず、野太いダミ声♫
聞けて嬉しかったです。
四代目市川左團次のプロフィール
四代目市川左團次プロフィール
市川左團次 本名:荒川 欣也(あらかわ きんや)
生年月日:1940年11月12日
家系 父:三代目市川左團次、息子:六代目市川男女蔵、孫:六代目市川男寅、妻:荒川千恵
屋号 高島屋
定紋 三枡に左、通常は松皮菱に鬼蔦を使用
襲名 1947年 「菅原伝授手習鑑・寺子屋」菅秀才役 五代目市川男寅として初舞台
1962年 「曽我石段」八幡三郎役他 五代目市川男女蔵襲名
1979年 「毛抜き」粂寺弾正役他 四代目市川左團次襲名
当たり役 「毛抜き」粂寺弾正役
「助六由縁江戸桜」髭の意休役
「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」弥陀六役
身長は180cmという堂々とした体躯。
ギョロ目とよく響く声で、座頭から脇役まで、
当たり役というものが多く枚挙がない。
独自の存在感があり、この人がいないと舞台が寂しく感じられるほど、
舞台上に欠かせない大役者です。
*市川左團次については、こちらの記事に書いています。よかったらお読み下さいね。
片岡我當が大阪松竹座7月歌舞伎で復活、澤村唐十郎も・・・
西の方からは、片岡我當復活のニュースも届きました。
療養中の澤村唐十郎も、プロデューサーとして、
活躍しているという噂も届いています。
五代目片岡我當、当たり役平清盛役に大拍手
約5年ぶりに、大阪松竹座の七月大歌舞伎で、
舞台復帰を果たした五代目片岡我當。
昼の部の「厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)」では、
平家全盛期役の平清盛役で登場しました。
2014年12月の京都南座「顔見せ」公演中に
体調不良で倒れてから、
約5年ぶりの復帰に、ファンも大喜びだったそうです。
芝居の終盤、左手で大きく檜扇を掲げる場面では、
「松嶋屋!」の大向こうがかかり、
涙ぐんでいるファンもいたそうです。
我當の清盛は重厚さと品があり、
まさに当たり役となっているそうです。
終演後のロビーでは「元気そうでよかった」という声も聞かれ、
喜ばしい復活の舞台となりました。
五代目片岡我當のプロフィール
では、五代目片岡我當とはどういう役者なのでしょう。
こちらに紹介をしますね。
五代目片岡我當のプロフィール
片岡我當:本名 片岡 秀公(かたおか ひできみ)
生年月日 1935年1月7日
家系 父:十三代目片岡仁左衛門、弟:二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門。
息子:片岡新之介、甥:片岡孝太郎
最終学歴 同志社大学工学部
屋号 松嶋屋
定紋 七つ割丸に二引
襲名歴 :
1940年 『堀川』のおつる役 片岡秀公の名で初舞台(大阪歌舞伎座)
1971年 『桜時雨』の三郎兵衛役、『二月堂』の良弁役 五代目片岡我當を襲名(大阪新歌舞伎座)
片岡三兄弟の長男として、皆を取りまとめる立場にあります。
関西歌舞伎の復興に、父や三代目中村鴈治郎らとともに、
力を尽くしたこともよく知られています。
堂々とした体躯で、堅実な芸風に定評があります。
立役や荒事、敵役、老役などをこなせる大ベテラン。
弟の十五代目仁左衛門の色気とは違う、
凄みも出せる役者さんです。
*弟である片岡仁左衛門については、こちらにも書いています。よかったらお読み下さいね。
二代目澤村藤十郎は、4月の金比羅トークショーにも出演
1998年に脳梗塞を発症して以来、
舞台から遠ざかっている、
澤村藤十郎も元気な姿を見せてくれています。
噂では、大阪松竹座に顔を出すとも言われていて、
最終日に拝謁できる可能性もあります。
役者としての活動は見られないものの、
プロデューサーとしての活躍はしているご様子。
以前から、「こんぴら歌舞伎」や「出雲阿国歌舞伎」など、
各地で観客掘り起こしにつながる企画に携わった手腕の持ち主なのだそうですよ。
そういえば、4月の金比羅金丸座では、
中村屋の兄弟が大活躍。
そこで、飛び入りトークショーが行われ、
澤村藤十郎が登場し、中村勘九郎とトークを楽しんだ、
というニュースもありました。
実は、勘九郎の父である十八代目中村勘三郎と、
30回公演で座談会を約束していた過去があったとか・・・。
それが叶わず、
35回目となった今年は、
勘三郎の遺児で勘九郎とのトークが実現でき、
とても感激したということでした。
まだまだ、面白い歌舞伎をやっていきたい!
と目を輝かせたということなので、
元気なお姿をまた拝見できることを期待しています。
二代目澤村藤十郎のプロフィール
続いて、澤村藤十郎のプロフィールを
紹介します。
二代目澤村藤十郎のプロフィール
澤村藤十郎:本名 澤村豪一(さわむら ごういち)
生年月日 1943年10月12日
家系 父:八代目澤村宗十郎、兄:九代目 澤村宗十郎、いとこ:六代目 澤村田之助。
妻:千代枝(十七代目 中村勘三郎の二女)、義姉:波乃久里子
出身地:東京都
屋号:紀伊国屋
定紋:笹竜胆(ささりんどう)
襲名歴:
1957年『仮名手本忠臣蔵』の一力娘お久役で澤村精四郎(さわむら きよしろう)を名乗り初舞台。(歌舞伎座)
1976年『新版歌祭文(野崎村)』の久作娘お光役、『碁太平記白石噺』宮城野妹信夫役他で二代目澤村藤十郎を襲名。(歌舞伎座)
美貌の女形として活躍、
舞台に立つと艶やかな魅力を発揮していた役者です。
プロデューサーとしての活動も目を引くものがあり、
関西歌舞伎の復興のために、奔走したそうです。
1998年に脳梗塞で倒れ、
以来右半身に麻痺が残っているそうです。
以前見た、美しい姿はまだ目に焼き付いています。
3名とも、ご高齢ということもあり、
これからは体調を見ながらの舞台活動となりそうです。
息長く、舞台での姿が見られるよう、
健康を保っていただきたいと願います。
名優の復活は嬉しいです。
今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。
市川左團次休演についてはこちらの記事にも書いていますので、よかったらお読みくださいね。
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