三代目市川右團次(歌舞伎役者)、息子右近とダブルで襲名、名門の復活と海老蔵、猿之助との関係。プロフィールや3人目の妻のこともまとめて紹介

陸王でシューフィッター役を務め、一気に知名度が上がった二代目市川右團次を紹介します。

意外なプロフィールや、3人目の妻との関係、

ダブル襲名の背景もちょっと気になる方です。

三代目市川右團次のプロフィール、家系、経歴、3人目の妻とは円満

ではいつも通り、初めは簡単なプロフィール紹介から



三代目市川右團次のプロフィール

市川右團次 本名:武田 右近(たけだ うこん)

生年月日 1963年11月26日

血液型 A型

出身地 大阪府

最終学歴 慶應大学法学部卒

家系 父:飛鳥峯王(日本舞踊家元)、妻:武田明子、子:二代目市川右近(武田タケル)、妹:飛鳥左近

屋号 高嶋屋

定紋 三升に右

初舞台 1972年「天一坊」一子忠右衛門役 武田右近として初舞台(京都南座)

襲名 1975年「二人三番叟」附千歳役(大阪新歌舞伎座)三代目市川猿之助の部屋子として、初代市川右近を名乗る

2017年「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」猿島惣太後に七郎天狗役他 三代目市川右團次を襲名(新橋演舞場)

家系を見てあれ?って思う方もいらっしゃるかもしれません。

父は日本舞踊の家元、実は歌舞伎役者になったのは、三代目市川猿之助に憧れてのことだったそうです。

私は、市川右近時代をよく存じているのですが、

そのころは、猿之助一座の大黒柱、

猿之助の一番弟子として活躍している時でした。

猿之助の部屋子として役者人生をスタートさせたのですが、

2017年に高嶋屋の大きな名前を託されます。

それが市川右團次です。

その辺の過程も交えて、以下に紹介を続けていきます。

三代目市川右團次の経歴

では、経歴をもう少し詳しく紹介しますね。

元々は、大阪の日本舞踊飛鳥流家元の御曹司として誕生。

三代目市川猿之助に憧れ、歌舞伎役者の道を選び、

1975年に上京して、三代目市川猿之助の部屋子となり、市川右近を名乗ります。

猿之助の勧めもあり、中学入学と同時に、東京に住んで、

学校に通いながら三代目猿之助の元で修行を始めます。

中学は、慶應大学の中等部。

猿之助の母校でもあります。

1998年に、名題に昇進し、押しも押されぬ歌舞伎役者としての

名を築いていきます。

当時は、三代目猿之助の実子である香川照之は、

歌舞伎とは違う道を歩んでいました。

それもあったのでしょう、

三代目猿之助は、歌舞伎俳優研修修了生や、一般家庭出身の方を、

門下生として集め、育てることに熱心でした。

そこで修行した若者を猿之助一座に入れ、

自身が主役を務める舞台に立つ機会を与えていたのです。

当時の右近は、その一座の中でも筆頭で、

猿之助の一番弟子、後継者候補としても見られていました。

2012年、二代目市川猿翁を襲名すると同時に、

四代目市川猿之助の名は甥の市川亀治郎に譲られます。

実子香川照之が、市川中車を名乗り歌舞伎界に進出したのも、

この時期でした。

そして、2016年、

市川右近が久しく途絶えていた市川右團次の名を受け継ぐことが決まります。

澤瀉屋から高嶋屋へと屋号も替わります。

この移動?独立?については、

様々な憶測がされていたそうです。

私自身も、かなりびっくりしたニュースでした。

猿之助のところの右近さんが、

違うところに行って、右團次になる???

何でっ?て・・・。

まあ、その背景についてはこのあと書いていきますね。

2017年の1月の舞台で、晴れて市川右團次の名を襲名します。

しかも、息子とのダブル襲名。

やっぱり、このプロセスは気になってしまいます。



三代目市川右團次、息子右近とダブル襲名、その背景に海老蔵も関わる、猿之助との関係は?

三代目市川右團次、息子右近とダブル襲名、その背景に海老蔵が・・

2017年、新橋演舞場の正月『壽新春大歌舞伎』公演にて、

二代目死去から80年を経て上方歌舞伎の大名跡である市川右團次の名を復活させ、

三代目として襲名することとなりました。

息子が父の名を継ぐということで、二代目市川右近とのダブル襲名、

先にも書きましたが、この襲名は当時話題になりました。

この襲名の背景には、市川海老蔵の働きがあったそうです。

時を戻して、2008〜9年ごろ、

市川海老蔵から、当時の市川右近に、

「市川右團次という名を襲名してはどうか?」と

話を持ちかけられたのだそうです。

市川右團次という名は、81年間襲名されることがなく途絶えていた名ですが、

上方の名門の名だったそうです。

(東には市川左團次さんがいらっしゃいますよね。同じ高嶋屋の家です。)

なんでも、

・同じ「右」という文字がつく名前であること。

・宙乗りや早変わりなど、ケレンを持ち味にしていたということ。

・80年間名を継ぐ人が出てこないこと。

などから、その名を復活させようと考えた海老蔵が、

話を持ちかけたのだそうです。

確かに、その背景を聞くと、

この名を受け継げる役者は、当時の右近以外には考えられない、

そういう名前でもあります。

四代目猿之助、九代目中車の襲名は2012年なので、

それ以前に水面下で大きな名前の復活は

進んでいたという見方が正しいようです。

加えて、息子に自分の名である市川右近を譲ることで、

その名を名跡とできることも願ったりということです。

現在は、海老蔵の公演で大きな役を務めることも多く、

今までよりも活躍の場が広がったと言えます。

三代目右團次は、ちょっと背は小さいのですが、

キリッとした面差しや目力の強さ、

よく通る声とキビキビとした身のこなしは、

歌舞伎役者をしての華を持った一人だと思います。

この襲名を通じて、もっともっと大きな役者になっていくのなら、

私も本当に嬉しいことだと思います。

三代目市川右團次、市川猿之助とは一体どうなってるのか

ここまで、襲名の過程を紹介しました。

当代の市川猿之助との仲はどうなっているのかも気になるところです。

これに関しては、右團次の次の言葉を紹介します。

「澤瀉屋から高嶋屋に変わるわけですが、師匠と弟子の関係はまったく変わるものではありません。
師匠の創造の精神や理念というのは屋号や名前を超えても広く歌舞伎界に伝えていかなければと思っています。
市川右近という名前をここまで育ててくださいましたし、息子(右近)は澤瀉屋として修業させます」

自分を育ててくれた、先代の猿之助や一門への感謝の気持ちと、

信頼のほどがうかがえます。

加えて、襲名公演の折に、三代目猿之助や九代目中車が共演したことや、

右近の襲名をバックアップしてくれたとも語っていました。

確かに、名前は変わっても役者としての存在感が大きい右團次は、

猿之助の一座でも大切な一人と言えます。

通常の感覚とは違う常識が存在しているのが、

歌舞伎のお家の世界なので、

こういうことがあることは、逆に外から歌舞伎界を目指す人にとっては、

モデルとして頼もしいと思われるのではとも思いました。

最近、猿之助と右團次の共演を見ていないので、

久しぶりに同じ舞台に立つ姿を見たいと思いました。



三代目市川右團次、三人目の妻との馴れ初め、息子の溺愛ぶり、陸王での名演技!

最後に、ちょっと歌舞伎から離れたことについて。

「陸王」というテレビドラマがありました。

この中で、情熱的なシューフィッター村野を演じていたのが、

市川右團次でした。

アスリートがよりその能力を発揮できるようにと、

個人に最も適した靴を開発し提供するこの役目、

右團次の活躍から陽の目を見ることになったそうです。

確かに名演技でしたよね。

実は、右團次は右近とともに、

オフィシャルブログを書いています。

ここに、こんな写真も載っていました。

市川右團次オフィシャルブログより

ブログからは、息子への親バカぶりもうかがえます。

右近は、右團次46歳の時の子どもだそうです。

それまでに、二人の妻との結婚歴がありましたが、

長く続かなかったそうです。

元モデル、元レースクイーンという華やかな世界を経験してきた女性だったということもあり、

梨園の妻という支える、尽くすという独特なポジションには

治らなかったのではないかという説もあります。

ま、はっきり言って私にはどうでもいいことなんですけどね。

ただ、大きな名を継ぐこともあり、

家庭を守る役目をしてくれる妻が必要になったことは

想像することができます。

知人の紹介で出会った、現在の妻の明子さんは、

元モデルでお美しい方です。

一目惚れに近かったみたいですよ。

9歳も年下ではあるけれど、家庭を守るという役目も

しっかりこなしているとのこと。

念願の子どもにも恵まれ、家庭は安泰の様子。

そうなると、役者としての輝きもさらに増す、

と期待が大きいです。

なかなかに波乱大きな半生を生きてきた市川右團次。

ここから、大役者としての半生が待っているのかと思うと

芝居を見るのが一層楽しみになります。

4月は、海老蔵一座の巡業公演で共演が決まっています。

早速、私はチケットを手に入れました。

右近が進化した右團次の姿を拝見してきます。

その結果については後日報告しますね。

では、今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。