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市川右團次の家系図と家族、妻と父の支えがすごい。息子は右近。

歌舞伎役者
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歌舞伎役者の市川右團次(いちかわうだんじ)をご存知ですか?

テレビドラマ「陸王」でシューフィッター役を務め、

全国的に名前が知られるようになりました。

家系図に見る意外なプロフィールや、3人目の妻との関係、

ダブル襲名の背景など、

たくさん気になる話題がある方なんですよね〜。

2019年には、息子の右近くんとラグビーW杯の開会式で、

連獅子を披露したのも記憶に新しいですね。

どんな方か、ちょっと知りたくなりませんか?




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市川右團次の家系図とプロフィール。舞踊の家から歌舞伎役者へ

市川右團次は、歌舞伎役者の中でも

群を抜いて特異な経歴をお持ちです。

元々は舞踊の家元の家に生まれたのですが、

歌舞伎役者を志して、3代目市川猿之助(現在の猿翁)に弟子入りします。

私は、市川右近時代をよく存じているのですが、

そのころは、猿之助一座の大黒柱、

猿之助の一番弟子として活躍している時でした。

2017年に高嶋屋の大きな名前を託されます。

それが市川右團次で、襲名して今に至ります。

その経緯を説明しますね。

三代目市川右團次のプロフィール

市川右團次 本名:武田 右近(たけだ うこん)

生年月日 1963年11月26日

血液型 A型

出身地 大阪府

最終学歴 慶應大学法学部卒

家系 父:飛鳥峯王(日本舞踊家元)、妻:武田明子、子:二代目市川右近(武田タケル)、妹:飛鳥左近

屋号 高嶋屋

定紋 三升に右

初舞台 1972年「天一坊」一子忠右衛門役 武田右近として初舞台(京都南座)

襲名

1975年「二人三番叟」附千歳役(大阪新歌舞伎座)三代目市川猿之助の部屋子として、初代市川右近を名乗る

2017年「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」猿島惣太後に七郎天狗役他 三代目市川右團次を襲名(新橋演舞場)

 

右團次の父は日本舞踊の家元の飛鳥峯王です。

そのままいったら、おそらく父の名を継いで舞踊家になっていた方かもしれませんね。

それが、なぜ歌舞伎役者になったかというと、

先述の通り三代目市川猿之助に憧れてのことだったそうです。

そんなこともあるのですね。

市川右團次、日本舞踊家元の息子から歌舞伎役者へ

元々は、大阪の日本舞踊飛鳥流家元の御曹司として誕生した右團次。

三代目市川猿之助に憧れ、歌舞伎役者の道を選び、

1975年に上京して、三代目市川猿之助の部屋子となり、市川右近を名乗ります。

猿之助の勧めもあり、中学入学と同時に、東京に住んで、

学校に通いながら三代目猿之助の元で修行を始めたのだそうです。

中学生にして、一人上京ってすごいと思いませんか?

いくら、師匠が進めたからといっても、

大阪の実家を出て慣れない東京で一人暮らしは

大変だったと思いますよ。

通った中学は、慶應大学の中等部。

3代目猿之助の母校でもあったそうです。

簡単に入れる学校じゃないと思うので、

頭もすこぶる良かったのではないでしょうかね。

1998年に、名題に昇進し、押しも押されぬ歌舞伎役者としての

名を築いていきます。

当時は、三代目猿之助の実子である香川照之は、

歌舞伎とは違う道を歩んでいました。

それもあったのでしょう、

三代目猿之助は、歌舞伎俳優研修修了生や、一般家庭出身の方を、

門下生として集め、育てることに熱心でした。

そこで修行した若者を猿之助一座に入れ、

自身が主役を務める舞台に立つ機会を与えていたのです。

当時の右近は、その一座の中でも筆頭で、

猿之助の一番弟子、後継者候補としても見られていました。

私が、よく拝見したのもこのころです。

私の友人が大ファンで、出待ちに付き添ったこともあるのです。

今から25年くらい前ですね・・・。

女性ファンが多くて出待ちの行列にも序列があった覚えがあります。

ちょっと身長が低いのですが、目力があるハンサムな役者さんでした。

今も、いい顔をされていますよね。

このまま、猿之助一座を引っ張っていくのかなって思っていたら、

2012年、三代目市川猿之助は二代目市川猿翁を襲名することを発表します。

それと同時に、四代目市川猿之助の名は甥の市川亀治郎に譲られたのです。

家筋からすると、これは至極当然のことでしょうね。

亀治郎も人気が高い役者さんでしたから。

驚くのは、この時期にあったもう一つの襲名です。

実子香川照之が、市川中車を名乗り歌舞伎界に進出したのですよ。

その息子の政明君も、市川團子として歌舞伎界にデビューを果たします。

あら~~右近さん、どうなるのかしら、、って気になっていました。

澤瀉屋の名を継いでいくのかな~って思っていたところ、

2016年、久しく途絶えていた市川右團次の名を受け継ぐことが決まったのですよ。

屋号も澤瀉屋から高嶋屋へと替わります。

この市川右團次のお家は、

市川家の筋ではありますが、澤瀉屋の筋とは違うお家なのですね。

市川左團次、市川門之助とも関わりがある、

市川斎入の家の名前なのです。

この移動?独立?については、

様々な憶測がされていたそうです。

私自身も、かなりびっくりしたニュースでした。

猿之助のところの右近さんが、

違うところに行って、右團次になる???

何でっ?て・・・。

まあ、その背景についてはこのあと書いていきますね。

 

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『大阪文化芸術FES』近づいてまいりました❗️6か月ぶりの舞台でぇ〜〜す😀😀😀

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市川右團次の父は日本舞踊の家元、その支えに感謝

 

市川右團次さんのご実家は、歌舞伎のお家ではないと先述しましたね。

大阪の日本舞踊飛鳥流家元、飛鳥峯王さんがお父様です。

ご自宅の二階がお稽古場だったそうで、

家中に三味線の音色や舞を踏む足音が聞こえる環境で育ったそうです。

しかし、お父様自身ももともと日本舞踊のお家ではなかったとのこと。

元は、商家の四男に馬で、ゆくゆくは商人の道をと

考えていたのだそうです。

そのお兄さんに当たる方が、歌舞伎が好きだったことから、

伝統芸能へ関心を持つことになったみたいですね。

ご自身も趣味として、日本舞踊を習っていたとのことですが、

その理由も隠し芸を披露するときのため、

ということなので、本当に芸で身を立てる気持ちは

なかったんだろうなあと推測します。

しかし、面白いですよね〜

趣味の道を極めて、結局そっちが自分の天職になってしまう、

そういう人生を生きている方のようなんですよ。

右團次さん、その血を引いているってことが

よくわかりますね。

だから、中学で東京に修行に出すこともお父様は応援してくださったとのこと。

また、今後大阪へ連れ戻すのか?と聞かれたときに、

「一生をお預けするつもりです。」と言い切ったとか。

そういうお父さまの応援は、家を出て修行する右團次さんには

とても頼もしかったようなんです。

右團次さんは、自分の力で道を切り拓く方だなと思っていましたが、

それはお父さまの背中を見て育ったからかもしれませんね。

 



市川右團次の息子は市川右近、ドラマ「ノーサイドゲーム」で子役デビュー

市川右團次には、一人息子がいます。

名前をタケル君というのですが、

役者として父が名乗っていた市川右近の名を継いで活躍をしています。

2019年には、テレビドラマ「ノーサイドゲーム」で

主人公の長男役を演じ、

「あの可愛い子は誰!?」と話題になったんですよ。

私も毎週見ていましたけど、

ドラマデビューとは思えないくらい、

表情で演技する姿にグッと胸を突かれました。

クリクリのお目めがとっても可愛い小学校4年生の男の子なんです。

右近は、右團次46歳の時の子どもだそうです。

それもあるのでしょうね。

ブログからは、息子への親バカぶりもうかがえます。

この右近くんのプロフィールも簡単にお伝えしましょうね。

二代目市川右近のプロフィール

では初めに、市川右近本人について書いていきます。

二代目市川右近のプロフィール

市川右近:本名 武田 タケル

生年月日 2010年4月18日

家系 父:三代目市川右團次 祖父:飛鳥峯王

学校 慶応大学附属小学校

屋号 澤瀉屋

定紋 澤瀉鶴(おもだかづる)

襲名 2016年「義経千本桜」銀平娘お安実は安徳天皇役で初お目見え

2017年「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」梅若丸、松若丸役で二代目市川右近を襲名

2019年 テレビドラマ「ノーサイドゲーム」でテレビデビュー

ラグビーワールドカップ開会式で「連獅子」を披露

右團次と右近のダブル襲名、

そのプロセスは、私もずっと知りたかったことです。

それについて調べたので、紹介します。

その前に、よかったらこちらもお読みくださいね。

https://kabukist.com/renjisi-1473

 



 

市川右團次の妻は3人目その馴れ初めは?

 

市川右團次の現在の妻、明子さんは3人目ということです。

実は、今までに2人の方と結婚、離婚ということがありましたが

長く続かなかったそうです。

そのお二人が、元モデル、元レースクイーンという

華やかな世界を経験してきた女性だったということです。

しかし、歌舞伎には独特なお家の世界があります。

梨園の妻という支える、尽くすという独特なポジションには

治らなかったのではないかという説が

お二人との離婚を招いてしまった理由としてささやかれていますね。

ま、はっきり言って私にはどうでもいいことなんですけどね。

ただ、大きな名を継ぐこともあり、

家庭を守る役目をしてくれる妻が必要になったことは

想像することができます。

現在の妻の明子さんとは、知人の紹介で知り合ったのだそうです。

元モデルで着物も似合うお美しい方です。

一目惚れに近かったみたいですよ。

9歳も年下ではあるけれど、家庭を守るという役目も

しっかりこなしているとのことなので、

安心して芝居に打ち込めているようです。

念願の子どもにも恵まれ、家庭は安泰の様子。

そうなると、役者としての輝きもさらに増す、と期待が大きいです。

一家団欒も、右團次さんのお芝居を支えているのですね。

 



市川右團次、息子右近とダブル襲名、その背景に海老蔵も関わる

2017年、当時の市川右近が、新橋演舞場の正月『壽新春大歌舞伎』公演にて、

二代目死去から80年を経て上方歌舞伎の大名跡である市川右團次の名を復活させ、

三代目として襲名することとなりました。

加えて、息子のタケルくんが、

父の名を継ぐことも決まり、二代目市川右近とのダブル襲名となったのです。

この襲名はとても話題になったのですが、

その背景に、市川海老蔵の働きがあったそうです。

なぜに、海老蔵がここに出てくるの?

気になっちゃうでしょ。

私もそうでしたよ。

わかりやすいように時間軸に沿ってお伝えしましょう。

時を戻して、2008~9年ごろ、

市川海老蔵から、当時の市川右近に、

「市川右團次という名を襲名してはどうか?」と

話を持ちかけられたのだそうです。

これが、この襲名のきっかけ。

市川右團次という名は、上方の名門の名だったそうですが、

81年間襲名されることがなく途絶えていた名なのだそうです。

(東には市川左團次さんがいらっしゃいますよね。同じ高嶋屋の家です。)

なぜに、海老蔵はそんな話をしたのかというと、

・同じ「右」という文字がつく名前であること。

・宙乗りや早変わりなど、ケレンを持ち味にしていたということ。

・80年間名を継ぐ人が出てこないこと。

などから、その名を復活させようと考え、話を持ちかけたのだそうです。

確かに、その背景を聞くと、

この名を受け継げる役者は、当時の右近以外には考えられない、

そういう名前でもあるなあと思いました。

四代目猿之助、九代目中車の襲名があったから、

右近が澤瀉屋を離れて海老蔵についた、、という人もいるんですけど、

この襲名は2012年なので、

それ以前に水面下で大きな名前の復活が

進んでいたという見方が正しいようです。

自分は、高島屋の名を継ぐけれど、

息子には自分の名であった、市川右近を譲ることで、

その名を名跡とできることもわかり、

それは願ってもないこと、と喜んだのでしょうね。

海老蔵の機転から、うまい具合に話が進んでいったことを思うと、

海老蔵の戦略力はなかなかにすごいものだなあと感心します。

現在の右團次は、海老蔵の公演で大きな役を務めることも多く、

今までよりも活躍の場が広がったと言えます。

ちょっと背は小さいのですが、

キリッとした面差しや目力の強さ、

よく通る声とキビキビとした身のこなしは、

歌舞伎役者をしての華を持った一人だと思います。

この襲名を通じて、もっともっと大きな役者になっていくのなら、

私も本当に嬉しいことだと思います。

 



市川右團次、市川猿之助とは?猿之助一座とはどうなってるの?

ここまで、襲名の過程を紹介しました。

そうなると、

当代の市川猿之助との仲もどうなっているのかと気になるところです。

これに関しては、右團次の次の言葉を紹介します。

「澤瀉屋から高嶋屋に変わるわけですが、師匠と弟子の関係はまったく変わるものではありません。

師匠の創造の精神や理念というのは屋号や名前を超えても広く歌舞伎界に伝えていかなければと思っています。

市川右近という名前をここまで育ててくださいましたし、息子(右近)は澤瀉屋として修業させます」

この言葉からは、自分を育ててくれた、先代の猿之助や一門への感謝の気持ちと、

信頼のほどがうかがえますね~。

加えて、襲名公演の折に、三代目猿之助や九代目中車が共演したことや、

右近の襲名をバックアップしてくれたこともあったのだそうです。

確かに、名前は変わっても役者としての存在感が大きい右團次は、

猿之助の一座でも大切な一人と言えます。

スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」での、

市川右團次の白髭は、ものすごい存在感でストーリーに

深みを持たせていましたからね~。

通常の感覚とは違う常識が存在しているのが、

歌舞伎のお家の世界なので、

こういうことがあることは、逆に外から歌舞伎界を目指す人にとっては、

モデルとして頼もしいと思われるのではとも思いました。



 

なかなかに波乱大きな半生を生きてきた市川右團次。

ここから、大役者としての半生が待っているのかと思うと

芝居を見るのが一層楽しみになりますね。

では、今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。



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