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六代目 中村勘九郎の家族の歴史を訪ねる旅その1 〜NHKファミリーヒストリーに中村屋の歴史を見た〜

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歌舞伎俳優、六代目中村勘九郎。

NHK大河小説「いだてん」の主人公として、

日曜夜のお茶の間の顔でもあります。

私からすると、

勘九郎(十八代目中村勘三郎)さんの

息子のイメージがまだ強い彼ですが、

その演技力で着々と

歌舞伎界の名優への道をたどっているところです。

2月11日(日)のNHK「ファミリーヒストリー」では、

そんな中村勘九郎さんの家族の歴史に迫ると聞き、

普段見ないテレビの前に釘づけです。



 

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六代目勘九郎の高祖父とは?

中村勘九郎さんの本名は、波野雅行。

その「波野」という名の謎から番組は始まりました。

なんで波野なのか?

「え〜、知らない〜。海の近くにいたんでしょうね〜?」

と屈託のない勘九郎さん。

笑顔が可愛いです。

その祖を遡りたどり着いたのが、

上方役者として一世を博した中村歌六さん。

四代前のご先祖さまです。

大阪高麗橋の三井という商店の番頭の子が出自、

播磨屋仁平衛という人の養子となり、

6歳で役者の弟子となったそうです。

給金を調べるとかなりの高給取り、

役者商売往来という江戸時代の資料から、

女形として真上上吉という

素晴らしい評価を得ていたことがわかりました。

その歌六さんの息子、時蔵さんへと話題は移っていきます。



六代目勘九郎の曽祖父、中村時蔵とは?

 

その歌六さんの息子の時蔵さんが、

昔を忘れないためにとつけた名前が波野。

父方の屋号丹波屋の波と母方の名である平野屋の野をもらって

つけた名字が「波野(はの)」だったのです。

それがいつの間にか「波野(なみの)」になったとか・・。

勘九郎さんもびっくりの由来でした。

 

時蔵さんは、俳優の道に進みます。

人気であった23歳の頃

東京の芝居小屋の誘いで、上京します。

その折にお参りした神戸市の長田神社には、

今でも時蔵さんが奉納された灯籠が残されていました!

 

さて、浅草に向かった時蔵さん。

まず市村座で舞台に立ちます。

お相手は後の九代目市川團十郎、

一谷嫩軍記という名作でしたが、

その衣装が地味すぎて・・・という衝突もあったそう。

彼の芸風は、シリアスな役でもどこか面白みを感じさせるというもの、

これを聞いて、故十八代目の勘三郎さんの舞台を思い出してしまいました。

しかしその芸風は、

東京の客には受け入れられなかったとか。

ある時、奴の役で芝居小屋で舞台に出ていた時、

小屋にボヤが起きたそうです。

その時に、平然と火を消して、

あたかも芝居の続きのように

「ご安心なされませ、

火事は奴めが消し止めましてござります。」

と言ったとか・・。

アドリブとはいえ、すごい器を持った方だったようです。

その後、人気が上がり、

東京でも有名になっていったとのことでした。

舞台を賑やかにして自分の存在を明らかにすると、

当時評されていた資料を読み、

その血が受け継がれていると神妙な面持ちで、

勘九郎さんが語っています。

 

その後58歳で、父の名跡「中村歌六」を襲名します。

そんな時に出会った、女芸人であった山本ろく、

その間に生まれた男の子が聖司です。

時蔵は、彼を養子として引き取り、

俳優として育てることにします。

彼こそが十七代目の勘三郎となるのです。

 

なかなか波乱万丈な物語です。

勘九郎さんも初耳のことばかり、

その展開に目が離せません。

 

この続きはこちらからもお読みいただけます。

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