市川猿之助さんが、2017年のスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」の公演中に
事故で大怪我を負ったこと、当時大きなニュースになったので、
ご存知の方も多いでしょう。
最近、テレビのバラエティ番組で、その怪我について語る機会がありました。
今、お元気で舞台に立たれていることが、奇跡的に嬉しいくらい
大変な大事故だったのです。
その怪我の真相について、改めて調べ、整理してみました。
市川猿之助の大怪我の真相とは?
市川猿之助さんが、大怪我を負ったのは、
2017年10月9日のことでした。
新橋演舞場で上演中のスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」の昼公演の
カーテンコール途中だったということです。
「開放骨折」という恐ろしい怪我を負った猿之助さん。
ご本人の話や調べたことからは、
冷や汗が出るくらい、怖い出来事だったということがわかりました。
私は、痛いのが大嫌いなので、調べて本当に怖かったです。
それでも、舞台のことを気にしたり、皆に心配かけないようにしたりと
座長としての言動には、感動もしたのです。
だから、事故のことを書くのも怖いんですけど、
その姿勢をお伝えしたくて、こうして書くことにしました。
市川猿之助が巻き込まれた「ワンピース」の舞台中の事故とは?
事故が起きたのは、2017年10月9日のスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」の昼公演、
好評のうちに幕がおり、カーテンコールで客席へ
元気に挨拶をした猿之助さん。
花道にある、180cm×90cmほどの大きさの
セリに乗って舞台下へ降りていくときのことだったそうです。
回転する装置に衣装が巻き込まれ、
それに引っ張られるように左手が装置に・・・。
ぎゃー、、、い、痛い・・・。
バキッて音がしたそうです・・・。
首もギュ~って絞られて、
そっちに引っ張られ、あと少しで首も飛ぶところだったってことも
話していました。
うお~~~、ヤバし!
この時、舞台上では、引き続きカーテンコールが行われ、
観客は事故があったことには気づかなかったそうなんです。
それ聞くと、役者ってすごいなあと思います。
お客様には悟られずに気持ち良く劇場を出ていただく、
が、舞台下では大変なことが繰り広げられていたらしいですね。
当日、この現場に出会わせた方のツイッターが見つかりました。
午前11時から始まり会場をたったのは午後3時半。三幕の舞台は、舞台を三回見たくらいの充実ぶりでルフィ役の市川猿之助さんは舞台最後までどうどうとした立ち回りで終了した。ただフィナーレに全役者さんが登壇するなかルフィが最後まで登場しなかったが、会場には全く不安を感じさせなかった。
— OKADA, Masayo (@ok_plab) October 9, 2017
今日ワンピース歌舞伎を観に行っていたのですが、カーテンコールで猿之助さんが出てこれなくて、暫く他の役者さんが拍手や一発芸で盛り上げて繋いでた。
劇場出て行くときに救急車やパトカーが来たのでもしやと思ってたけど…そうだったのか…あの下で…胸が痛む。— まかのん✿ (@makanon_ru) October 9, 2017
市川猿之助は、事故にあったときのことをこう語っている
当時のことを市川猿之助さんの言葉を借りると、
・舞台下は阿鼻叫喚の状態だった。
・左腕から骨が飛び出ているのも見えた。
・あまりの痛さに、一瞬気を失った。
・出家してお坊さんになろうか。
→腕が付いていたから考え直したとのこと
これだけ、冷静に振り返っていることも、
すごいと感じるほどの発言です。
猿之助さん、救急車で病院に運ばれるのですが、
その前に、かなり冷静にその後の舞台について指示を出したのだそうです。
公演は、6日に開園したばかり、25日の千秋楽まではまだ舞台がありました。
そのため、舞台を止めないための座長の責任感だったのでしょうね。
この時、主役ルフィの代役を務めたのは、
ダブルキャストで出演中の尾上右近さんです。
今人気の、若手歌舞伎役者、鶴田浩二さんを祖父に持ち、
カレー大好きでバラエティでも姿を見かけますよね。
右近さんは、この時のことを振り返り、
この経験があったから今の自分がいると
猿之助さんへの感謝の気持ちを持ち続けているそうです。
「どこまでもついていきます」と、
何かの番組で言っていましたね。
そもそも、ダブルキャストにするということから、
猿之助さんの思慮深い舞台製作の様子がうかがえますね。
もう1つおまけがありました。
この舞台の後に会う約束をしていたのが
福山雅治さんだったということで、
お会いできないと電話までかけていたそうです。
市川猿之助の怪我は「開放骨折」だった
市川猿之助さんの怪我は「開放骨折」というものでした。
検査をしたら、19箇所くらい折れていたのだそうです。
ご自身が目撃した通りに、
骨が飛び出ちゃうから、「開放骨折」というのですって。
これ、超怖いです~~。
結果的に、手術をし、2ヶ月間ほど入院生活を送ったそうです。
市川猿之助が負った「開放骨折」とは?
では、「開放骨折」とはどういうものなのでしょうか?
調べたところ、こう書いてありました。
開放骨折とは、骨折の中でも最も重い症状で、、骨折によって皮膚に小さな穴が空いてしまったり、骨折部が体外に飛び出している状態を指す。
緊急手術を行わなければ、出血多量や感染症によって、死に至ることもある。
骨折部に細菌感染が起こる場合もある。治療が複雑になることから、複雑骨折とも呼ばれる。
筋骨格系の治療に加えて観戦に対する治療も行うため、長期の療養を必要とする。
2ヶ月の入院と言ってましたが、
骨の治療だけでは済まない大怪我だったということなのですね。
お付きの人が一緒に病院生活をしてくれたそうですが、
この2ヶ月間は動かすことができず、
舞台に立てるのか、踊りが踊れるのかと
かなり不安になったということです。
皮膚の状態も、悪かったそうで、
役者としては、ちゃんと完治するまでは気が気じゃなかったでしょうね。
それにしても、場合によっては死に至るだなんて、
恐ろしい限りですよ。
事故そのものも、機械の巻き込まれなので、
下手したら、、、と思うとゾッとします。
今お元気なのが、本当に嬉しいことです。
*こちらの番組でも語っていましたね。
市川猿之助のお見舞いに訪れた有名人は?
入院しているときに、多くの方がお見舞いに訪れたそうです。
猿之助さんが言ってたのが、
まずは、市川海老蔵さん。
入院の知らせを聞き、心配で駆けつけてくれたそうです。
市川猿之助さんと市川海老蔵さん、同じ市川姓ですが、
海老蔵さんの成田屋のお弟子さん筋にあたるんです。
血縁関係はないのですが、
初代の市川猿之助さんが、9代目市川團十郎さんの元で修行をしていて、
そこから分家となったそうです。
違うお家ということで、海老蔵さんは成田屋ですが、
猿之助さんは、澤瀉屋(おもだかや)です。
ここら辺のお家の事情は、こちらの記事を参考になさってくださいね。
それから、実のいとこの市川中車/香川照之さんです。
「大丈夫~~」と泣きながら病室に入ってきたとのこと、
わ~、絵が目に浮かびますね。
梅沢富美男さんもお見舞いにいらしたそうです。
後日、お話ししていましたが、
梅沢さんは、猿之助さんを見たときに
「終わったな」って思ったそうです。
それほどまでに、大変な状態だったということです。
ううう
そして、福山雅治さん。
福山さんと猿之助さんは仲がいいんですよ。
先述しましたが、怪我をした日に会う約束もあったということでした。
福山さんからは超豪華なお見舞いも届いています。
電話で、何が欲しいか、と聞かれた猿之助さんが、
「フカヒレ」と答えたのだそうです。
お腹が空いてたわけじゃなくて、
贅沢したかったわけじゃなくて、
ボロボロになっちゃった皮膚を直したい一心だったとか。
そうだ、皮膚→コラーゲン→フカヒレ!となったそう。
そしてやってきた福山さん、
両手いっぱいに紙袋をぶら下げていたそうですが、
その中に入っていたのが、フカヒレのフルコースだったとか・・・。
それを並べた後、食べる時に介添えまでしてくれたと
猿之助さん、感激していましたね~~。
福山さんに、アーン、してもらったのかな?
それはそれで、緊張しそうですよね。
~フカヒレコースイメージ~
市川猿之助、怪我をしながらもした約束とは?
2ヶ月間、多くの方にお見舞いを受けたという猿之助さんです。
日頃、スタッフやお弟子さんへ心配りが丁寧だという噂もあります。
きっとそれは本当のことなんでしょうね。
大怪我をした時に、した約束というのもあったそうですよ。
そのお相手が、松本幸四郎さんとゆずの北川悠仁さんです。
松本幸四郎さんは、怪我をしたその後に、
「大丈部?」とお見舞いの電話をしたそうです。
そして、その時に、2018年に予定されていた自身の襲名公演に出てね、
って頼んだんですって。
「いいよ」って答えた猿之助さんもすごいけど、
怪我の最中に公演依頼の幸四郎さんはもっとすごいと思いました。
北川悠仁さんとは、ゆずのコンサートを見に行く約束をしていたそうです。
それが手術後だったそうで、
猿之助さんは、手術をしたらいけると思っていたんですって。
なのに、あまりの痛さに動けなかったって・・・
そりゃそうでしょう。
19箇所骨折していて、そのうち外に飛び出している骨があるんですもの!
誰が考えても無理ですよね~
もちろん、その痛さに耐えかねて、ごめんなさい、行けませんて誤ったんですって。
ま~ったくね、て思うけど、ちょっと可愛いですね、よだいめ。
市川猿之助、怪我を負った左手の現在は?
市川猿之助さんは、怪我の3ヶ月後に舞台に復帰を果たします。
どれだけ嬉しかったことでしょうね。
でも、その時でさえ、腕はきちんと治っていなかったそうです。
「元どおりに動かなくても、それさえ受け入れてしまえば。。」
と語ってもいたんです。
復帰舞台は、歌舞伎座の「壽 初春大歌舞伎」でした。
「菅原伝授手習鑑 寺子屋」の
涎(よだれ)くり与太郎役で登場した時は、
書道の手の動きやほうきを持ち上げる動きには、特に違和感が見られなかったそうです。
でも、左手首には、大きな腫れが残っていたとか・・・
もうすぐ怪我から3年が経ちます。
まだ、猿之助さんにはその影響が残っているのでしょうか?
舞台で見るお姿には何も気になるところはありませんが、
これはご自身でなければわかりませんものね。
今年7月のAstudioに出演された時に腕を見せた猿之助さん。
そこにはどんな思いが込められていたのでしょうかね。
市川猿之助さんの大怪我について振り返りつつまとめてきました。
一歩間違えば命の危険、、という事故。
そこから復帰した猿之助さんの強さには感動を超えるものがあります。
今、その舞台が見られることは本当に幸せなことだよな~~って。
今後も、市川猿之助さんの舞台をがっつり応援していきますよ!
読んでくださり、ありがとう存じまする。
コメント