日蓮聖人生誕800年を記念して制作された歌舞伎「日蓮」。
令和3年6月歌舞伎座公演にて上演されることになりました。
主演は、市川猿之助さんです。
この作品「日蓮」のあらすじや6月公演のキャスト、
そして観劇した感想をまとめました。
コロナ禍で疲弊する社会を照らす希望を感じさせるいいお芝居です。
歌舞伎「日蓮」とは
日蓮という作品は日蓮聖人生誕800年を記念して、
横内謙介さんの脚本、市川猿之助さんの演出で歌舞伎化された作品です。
2020年に制作発表があった時は、もう少し長いお芝居になるかと思いました。
数年前から、大作を上演する準備をしてきたのだそうですが、
コロナ禍で思うように制作ができず企画変更を余儀なくされたそうです。
そんな中、日蓮聖人の前半生を描く本品が誕生したのだそうです。
日蓮聖人は、1222年に千葉県安房国に誕生し、
それから高い志を持ち学ぶ中で仏の道へと進んでいかれたそうです。
波乱万丈な生涯で教えを広め、生き悩む人々を救ったと言われているそうです。
歌舞伎作品においては、昭和40年代に、
2代目尾上松緑さんと初代松本白鸚さんが明治座で主演した作品があるそうです。
制作発表があった時、
私はスーパー歌舞伎オグリのイメージが頭にあったので、
そういうスペクタクルな作品になるのかと想像していました。
しかし、ソーシャルディスタンスを始め、
コロナウイルス感染対策を徹底しながらの制作だったそうで、
スペクタクル要素は抑えていると猿之助さんがおっしゃっています。
令和3年6月歌舞伎公演で上演される本作品は、
1時間ほどの長さということなので、
本来描きたかった日蓮聖人の生涯の一部を切り取って
私たちに何らかのメッセージを伝えてくれるものと思っています。
副題は、愛を知る鬼(人)〈あいをしるひと〉です。
この「鬼」という字、ツノのない文字を使っています。
そこにもこだわりが感じられます。
日蓮~愛を知る鬼(人)~(歌舞伎座6月公演)のあらすじ
比叡山の延暦寺では、
法華経こそが最も尊い教えであると主張する蓮長(後の日蓮)に対し、
反感を持つものが多い。
その蓮長を理解し、諭そうとする麒麟坊や成弁(後の日昭)だが、
高僧尊海に蓮長に関わらないように告げられる。
成弁は、蓮長が末法の世の中で
僧としてなすべきことを追求する熱意ある姿に感銘を受けている。
自分の修行はこれで良かったのか、、と振り返るのであった。
お堂の中では、阿修羅天が善日丸に
弱い心を捨てろと迫っている。
そこへ、姿を現した蓮長に対し、
いつまで比叡山にとどまるのかと質す阿修羅天。
実は、この阿修羅天と善日丸は、
蓮長の2つの心、すなわち僧侶としての情熱と慈愛に満ちた心の
具現化した姿でもあった。
蓮長は善日丸も連れて行く決意を語る。
暗闇の中に、蓮長の師匠であった道善坊と領家の尼、
蓮長の父重忠、母梅菊までもが姿を現す。
彼らは、蓮長が故郷に錦を飾ることを願っているのだ。
しかし、蓮長の思いは、疫病や地震などで苦しむ世の人を
法華経の教えによって救わねばならないというもの、
理解されない孤独や比叡山の教えに背く葛藤の中でも
その思いを強く抱いている。
そこへ賎女おどろが現れ、蓮長をイカサマ坊主と責める。
おどろは、蓮長の教えを信じたものの、
行きずりの男の子を宿したことから、
悪阻に苦しみ仕事ができず、世の中に絶望しきっている。
そんな中、善日丸が外に置かれていた赤子を連れてくる。
それは、おどろが産み落とした子だった。
おどろは、自分も子どもも生きる意味がない、一緒に死ぬのみだと嘆く。
そんなおどろに、蓮長は、生まれた赤子が汚れなき蓮の花に見えるといい、
おどろに感謝する。
そして、この赤子が生まれて良かったと思える世にしたいと訴えるのだった。
絶望しきっていたおどろだが、
蓮長の話を聞き、赤子が自らの宝であることに気づく。
そして、生きる希望を持つのであった。
そこへ成弁が現れ、蓮長とともに法華の教えを通じて、
世の人を救いたいと告げる。
蓮長はそれを受け入れ、自らを日蓮と名乗ることにする。
また、成弁も日昭と名を改め、
日本をもっと人々が幸せに暮らせる国にしたいと決意をする2人。
その前に、両親と比叡山を開いた最澄大師が現れ、
日蓮に、「照千一隅」の言葉を送る。
日蓮は、それを胸に、登る朝日に向かって、
この世を浄土にすると誓うのでした。
日蓮~愛を知る鬼(人)~(歌舞伎座6月公演)の配役
歌舞伎座6月公演の「日蓮~愛を知る鬼(人)~」の配役です。
蓮長後に日蓮 市川 猿之助
成弁後に日昭 中村 隼人
阿修羅天 市川 猿弥
善日丸 市川 右近
麒麟坊 市川 弘太郎
日蓮父重忠 市川 猿三郎
道善坊 市川 寿猿
賎女おどろ 市川 笑三郎
日蓮母梅菊 市川 笑也
伝教大師最長 市川 門之助
猿之助一座の皆様せいぞろい、澤瀉屋ファンが大喜びのメンバーです。
市川右近さんが久しぶりに歌舞伎の舞台をつとめられることも
私はとっても嬉しく思っています。
日蓮~愛を知る鬼(人)~(歌舞伎座6月公演)猿之助の思いは?
日蓮を演じ、かつ演出も担当するのは市川猿之助さんです。
猿之助さんがこの作品にかける思いを
ネットのメディアやインタビューで目にすると
素晴らしい心持ちだなと感心仕切りでした。
ご自身のインスタグラムの言葉にも
愛をいっぱい感じることができ、
日蓮聖人を愛の人と捉え演じる意気込みがうかがえました。
猿之助さんの思いが尊すぎで涙出ます。猿之助が語る、歌舞伎座『日蓮』| 歌舞伎美人(かぶきびと) https://t.co/JgrpNCx7Af
— kabukist (@kabukist1) June 6, 2021
日蓮聖人に対し、
「優しさが溢れ出ている誠に慈しみ深き人」と敬い、
その方を演じられる喜びに胸がいっぱいといった様子です。
長い生涯の中から、この日蓮と名乗るくだりをお芝居にしたのは、
猿之助さんの思いがあったからといいます。
それは、聖人が生きた時代は末法と言われ、
疫病や自然災害で人々が苦しんでいた時代だったことが、
災害やコロナウイルスによる閉塞感に直面する現在と
似ていることが芝居化への原動力にもなったそうです。
今自分ができることで人々を救いたい、
生まれてきて良かったと思える世にしたい、
そういう思いを強く感じられるのが、
今回芝居化した内容だったということなのです。
それを知って、猿之助さんはすごい人だなと改めて思いました。
わたしたち観客は、お芝居の中に、現在とは違う非日常を見て、
心を動かされる感動や明日も生きるエネルギーをいただくのだと思っています。
ワハハって笑って元気になる芝居もあれば、
人々の優しさに胸が熱くなり希望をもらえる芝居もあります。
私は、猿之助さんやお仲間の澤瀉屋の皆さんが作る舞台が好きです。
猿之助さんの表現力には、何度も心が揺さぶられる経験をしました。
だから、この「日蓮~愛を知る鬼~」も、
猿之助さんがどう日蓮を表現し、私たちに感動を与えてくれるのか、
すごく楽しみにしています。
役者さんの力って本当に大きいのです。
日蓮(歌舞伎座6月公演)の感想
歌舞伎座6月公演の第3部「日蓮~愛を知る鬼~」を6月6日に観劇しました。
その感想をここからは書いていきます。
原作者の横内謙介さんのTwitterに、
日々修正しながら舞台に臨む澤瀉屋の様子が
呟かれていました。
新作歌舞伎「日蓮~愛を知る鬼~」を観て
これは長編の中の一幕としても
観られる舞台だと感じました。
おそらく前半の最大の山場、
蓮長が比叡山での修行の末に
自身の葛藤を乗り越え、
この世を浄土にするために法華の教えを広める、と決意する場面。
この前には、こんなストーリーがあって、
この後には、こういう展開が続くのだろうと
期待させる重要な一幕。
企画当初は大作の予定だったということから
いつかはそれを完成させるだろう、
いや、ぜひ完成作を観たい!!
そう思える充実の舞台でした。
この感想では、4点について書いていきます。
日蓮の感想①メタファーが印象的なエピソード
印象的なエピソードが2つあります。
1つは、阿修羅天と善日丸の葛藤。
山を降りる覚悟がつかない蓮長の前に、
憤りに燃える阿修羅天と
慈愛に満ちた善日丸が現れます。
阿修羅天は、善日丸のことを弱虫と非難し、
お前などいない方がいいとまで言うのです。
そして、この世の不条理や比叡山の僧の堕落ぶりに、怒りを見せます。
対する善日丸は、人の優しさや痛みに目を向けます。
おどろが置いてきた赤ん坊の声にいち早く気づき、
その手に抱き抱えます。
この2人、見た目も、言うことも、正反対。
これこそが、蓮長の心の中で起きていた葛藤だったということなんです。
2人のキャラクターを争わせることで
蓮長の葛藤を視覚化し、観ている者にも
不調和を感じさせます。
終盤、
阿修羅天も善日丸も静かに姿を消す場面が、
全てを受け入れ、自分の道を拓こうとする
蓮長の覚悟と感じられ、心が熱くなりました。
もう1つは、賎女おどろのエピソードです。
これは、観る前から笑三郎さんの演技がすごい!と聞いていたのですが
観て納得の熱演でした。
蓮長の言葉を信じたおどろですが、
自分の境遇はよくなるばかりか、
不運が重なり絶望へと追いやられるのです。
それを非難する、それに対して言葉を失う蓮長、
でも善日丸が外から泣く赤子を連れてきた途端に、その絶望感が変化していきました。
この赤子は、おどろにとっては望まない子でもあり、2人で死ぬつもりだと、
吐き捨てるように告げます。
ここまでの苦しさ、無念さを切々と語るおどろの熱に、
舞台が圧倒されました。
そう、あまりにも深い絶望が
その場を制する、そんなイメージ。
観ている人は、同じように苦しみを
感じたことと思います。
しかし、赤子を希望と説く蓮長、
希望を与えてくれたおどろに感謝する蓮長、
その言葉と真心におどろの心も動かされるのです。
そして、手にした赤子の笑顔に
自分がかけがえのない宝を得たことに気づくのです。
絶望が希望へと一気に変わりました。
それを見て、蓮長は自らの迷いに踏ん切りをつけるのです。
迷いの中にいる蓮長も、
絶望に勝つ術を持たなかったのかもしれません。
それを、おどろの変容を通じて確信を得ることができた、
このエピソードが持つ意味も深いと感じました。
日蓮の感想②メッセージ性の強いストーリー
このお芝居は、麒麟坊へ他の僧たちが文句を言う場面から始まります。
のっけから、会話、会話、会話です。
とにかく、台詞が多いのもこのお芝居の特徴だと思います。
日蓮の生涯、偉業を伝えるとなると、
かなりの時間を使ってその足跡を追う必要もあるでしょう。
このお芝居を理解するためには、
時代背景、日蓮の半生、比叡山との確執などもある程度知っておいた方がよいでしょう。
ドラマや映画では、その役をナレーターが負います。
歌舞伎では、唄や語りで聞かせるか、舞台上の演者に喋らせるか、
と言うことが多いです。
本作は、演者の台詞の中に、
必要な要素を入れ込んでいるのだと思います。
そして、彼らの語る言葉はとても力が強いです。
それぞれの役が持つ意見や価値観をセリフとして語るのですが、
それらに強いメッセージ性を感じます。
猿之助の蓮長はもちろんのこと、
蓮長の振る舞いに納得はできないが熱意に共感する成弁、
故郷で待つ恩人や家族が蓮長に寄せる期待、
阿修羅天や善日丸が代弁する蓮長の心の葛藤、
そして世の中の絶望を吐露するおどろの言葉、
どれを取っても重要で聞き逃したくないという気持ちで観ていました。
だから、観終わった時は、
ふう~と力が抜ける思いがしました。
蓮長の行動の全てが、愛を根元に生まれていると猿之助さんはおっしゃっています。
末法に苦しむ世の人たちの姿に、
コロナウイルス、自然災害、そして人や国が広げる争いなど
様々な壁にぶつかりもがく現代人の姿を重ね、
「愛」と「希望」を実現せんと自らを解き放つ蓮長の姿や言葉に、
深い慈愛を勇気を感じることができました。
日蓮の感想③澤瀉屋sの結束力
澤瀉屋とは、市川猿之助さんらの屋号です。
2代目市川猿翁さんの元、猿之助さん、中車さんはじめ、
澤瀉屋の号を名乗る役者さんが多くいらっしゃいます。
その方達のほとんどが、梨園出身ではなく、
一般家庭から歌舞伎役者を志し、
澤瀉屋で修行をした役者さんたちです。
梨園の役者さんたちに比べると格は劣りますが、
実力派揃いの皆さんです。
そうした一門の役者さんたちが、要所要所の役を務めていて、
強い結束力の元、チームで芝居を作っている様子がうかがえます。
澤瀉屋ファンからすると、涙が出るくらい嬉しい配役なのです。
最長老の市川寿猿さんは91歳、最年少の市川右近さんは11歳です。
それぞれの役に意味があり、個性を生かした存在感を見せています。
熱演に拍手を浴びたおどろ役の市川笑三郎さんや、
インパクトが強い阿修羅天の市川猿弥さん、
慈愛に満ちた母役の市川笑也さん、
おなじみのメンバーです。
ここに、最澄大師役で市川門之助さんや
成弁役で中村隼人さんも加わり、
舞台に厚みを添えています。
この配役で臨むお芝居、次はスーパー歌舞伎かいな?
なんて、ちょっと先の夢まで見えそうな面々でした。
最後に一同が揃う幕切れでは、鳥肌が立つほどに
希望を感じさせてくれました。
日蓮の感想④市川猿之助のカリスマ性
最後に、主演の市川猿之助さんの素晴らしさについても
述べておきたいと思います。
市川猿之助さんは、仏教に対する学識も豊かな方です。
この日蓮を演じるにあたり、様々な文献を読んだり、
実際に寺へ足を運び、関係者にあったりと
準備をしていらっしゃいました。
そして、この芝居でのテーマを考えたときに、
この場面をこの演出で上演すると決められたのです。
原作の横内謙介さんと、十分にコミュニケーションをとり、
この芝居化を進めてきたこともインタビューやメディアの情報から
読み取ることができます。
特に私が泣きそうにるくらい感動したのが、
こちらのメッセージです。
「今のコロナ禍と同じように、日蓮の時代も疫病が流行っていた。奇しくも今の我々と、劇中の日蓮の気持ちが重なります。生きているこの世で救わなければならない。生まれてきてよかったと思える世の中をつくりたい。理想に燃えて、日蓮は山を下りた。そういう作品にしたい」
日蓮をスーパースターとして描くのではなく、
人間としての葛藤を抱え、それでも自分の信念によって
進もうとする姿を、猿之助さんが膨大なセリフとともにリアルに演じています。
苦悩の末、一筋の希望を見出した表情や、
「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船にならん」と
高らかに唱えた時、あたりが一気に清められた気がしました。
市川猿之助さんの地平がさらに広がった思いもします。
ベタ褒めすぎますけど、観終わってからも色々考えさせられる
充実の舞台でした。
ここまで、読んでくださり、ありがとう存じまする。
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