林英哲は、和太鼓奏者!プロフィール、年齢、結婚、弟子、麒麟が来るでも太鼓を打つ!

林英哲は、和太鼓奏者です。鬼太鼓座、鼓童を経てソリストとなり、日本の和太鼓界を牽引してきた、文字通りの第一人者。

そのプロフィールやすごい芸歴を紹介します。

大河ドラマ「麒麟が来る」のテーマソングの太鼓も彼の演奏なんですよ。

海外での公演も多く、日本、そして世界を代表するアーティストです。

林英哲(えいてつ)のWikiプロフィール、年齢、結婚

和太鼓奏者、林英哲のプロフィールを紹介します。

林英哲:本名 林 英哲(はやし えいてつ)

生年月日:1952年2月2日 68歳

出身地 広島県庄原市東城町

血液型 A型

最終学歴 県立東城高等学校

実家はお寺で、父は住職を務めていた。

高校時代、横尾忠則氏に憧れて美大進学をめざす。

横尾が来るという佐渡島のイベントに参加したことがきっかけで、

田耕氏に誘われ鬼太鼓座に加入、

不本意ながらの太鼓人生をスタートさせたと言います。

若い時代は、結婚間近の彼女もいたそうですが、

不安定な生活もあり、それは成就せず、

現在まで独身の生活です。

醤油顔の日本系イケメンで、

68歳の御年を感じさせない筋肉質のボディ、

太鼓を打つ姿に憧れる女性も多かったですね~。

私も、その背中に惚れた一人です。

孤高、寡黙なイメージの男性って、

グググっと胸に迫るものがあるんですよね。

和太鼓を打つ後ろ姿も、

かっこいい~~~としか言えず、

目がハートになってしまいます。

林英哲の芸歴がすごい!鬼太鼓座、鼓童からソリストへ、世界の小沢、山下洋輔とも共演!

和太鼓奏者林英哲は、

1971年に鬼太鼓座に加入してから、

なんと49年の和太鼓奏者歴を誇ります。

1982年にソリストになってからは、38年です。

その間の芸歴があまりにもすごいので紹介します。

林英哲鬼太鼓座参加から、鼓童設立まで

先にも書きましたが、

元々、和太鼓をやる気がなかった英哲が

和太鼓を演奏することになったきっかけが、

佐渡島でのイベントです。

横尾忠則氏に会いたい思いで参加したところ、

肝心の横尾氏は来られず、

なぜか、和太鼓集団鬼太鼓座に加入し、

そのの主力メンバーとして、活躍することになってしまいます。

当時、練習にマラソンを取り入れ、

走ったそのまま部隊に飛び乗って太鼓を打つ、

という斬新なスタイルが話題となります。

今ではよく見られる、大太鼓の正面打ちは

林英哲の発案から始まったものです。

1975年のボストンマラソンに参加、ゴール地点で大太鼓を打ったところ、

大反響を呼びました。

日本古来の伝統芸能、民俗芸能を舞台化し、

数々の講演を行なっていました。

が、1981年に鬼太鼓座は分裂します。

残った座員のリーダーとして、

「鼓童」を立ち上げ、そこから再スタートを切るのです。

今でも、「鼓童」は大変な人気を誇っていますが、

その源流を作ったのが林英哲なのですよ。

この時期のことを

林英哲はあまり語りたがりません。

私も、著書や本人のインタビューで知ったので、

実際は見られていないんですよ。

見てみたかったなあというのが本音です。

だって、見た人が一様に「すごかった」っていうんだもん。

それに、今までなかったものを作った創設期って、

ものすごい宝があるような気がするんですよね。

見たい見たい、と思っていたら、

お蔵入りになった映画、限定公開があったそうです。

また上映期間が来るまでのお楽しみかな。

林英哲ソロデビュー、オーケストラ演奏、創作舞台へ

鼓動を後にして、1982年太鼓独奏者として活動を開始します。

1984年には、初の和太鼓ソリストとしてカーネギー・ホールにデビューを飾ります。

オーケストラに和太鼓ってイメージありますか?

私は何回か足を運びましたが、

オーケストラのど真ん中に、大太鼓があるんです。

そして、ソロの時は指揮は立ちません。

演奏者も皆、太鼓の音を聞き入っているんです。

他の楽器も入ると指揮者も前に立ち、合奏となるのですが、

不思議なことに、音がうまく混じり合うんですよ。

林英哲の演奏技術のなせる技だと思いますが、

オーケストラと和太鼓の不思議なマッチング、

一度聞いてみるといいと思いますよ。

その後、林英哲の創作に向けての挑戦が始まります。

「万霊(マン・レイ)」を皮切りに、

実在した芸術家の人生を描く和太鼓交響詩ともいうべく

作品を次々に発表するのです。

特に、伊藤若冲をテーマにした、

「若冲の翼」は、

若冲ブームとも相まって、国内外で高い評価を受けました。

私は、これも観に行っていますが、

若冲が描いた飛べない鳥や極彩色の精密画の数々を

音とリズムと旋律で表すという本当に

今までにない衝撃的な感動的な舞台でした。

バサバサっていう鳥の羽ばたきが

いつまでも耳に残る、素敵な舞台だったんですよ。



林英哲の弟子は英哲風雲の会、大学や地域でも指導者として活躍

林英哲に憧れて、和太鼓を志す若者が増えました。

ソリストではありましたが、

1993年CM曲の製作を依頼されたことをきっかけに、

全国から若者を集め指導することになりました。

林英哲の弟子というと、

筆頭に上がるのが上田秀一、木村優一、はせみきた、服部博之など。

彼らは、英哲風雲の会というユニットを作り、

林英哲と共演、あるいはソロでも活躍をしています。

また、洗足学園音楽大学、東京藝術大学、筑波大学大学院等でも

教鞭をとり、学生に指導をしています。

地域イベントでは、

子どもたちに教えることもありました。

和太鼓を音楽として教える日がくるなんて、

昔の人は考えたこともなかったでしょうね。

それを可能にしたのが、

林英哲やその後に続いた太鼓奏者が築いた文化だと思うんです。

学校教育に邦楽が取り入れられた時は、

大ブームとなった和太鼓、

最近はブームは下火ですが、それも林英哲の軌跡の一つと思うと、

ものすごい功績だと思うんですよ!!

林英哲が共演したすごい人たち!小沢征爾、坂東玉三郎、山口小夜子、山下洋輔、世界遺産など

和太鼓奏者林英哲は、

ソロでもすごいんですけど、

共演した人たちがまたすごいんです。

指揮者小澤征爾・ボストン交響楽団とは、

鬼太鼓座から、ソリストになっても共演する機会があり、

1999年には日本のイベントでも共演しています。

歌舞伎役者坂東玉三郎、世界的モデルだった故山口小夜子とも

共演しています。

太鼓と舞踊の組み合わせは言葉のない世界を表現するのに、

ぴったりなんですね。

ジャズミュージシャンの山下洋輔氏とは、

一緒にアルバムも作り、

コンサートツアーもありました。

どちらも打楽器ということで、

音と音の激しいバトルと絡み合いが、

絶妙なハーモニーとなっていくんです。

これはハマると病みつきになりました。

人相手ではありませんが、

世界遺産での演奏も多いのが特徴です。

奈良の東大寺、京都の延暦寺、

広島の厳島神社など、

奉納演奏という形での演奏は

荘厳というにつきました。

これは、なかなか見る機会がないのですが、

やはりものすごい共演ということができると思います。

一人のアーティストで、

これだけ様々な人や場所での演奏をしている方って、

世界中でも稀だと思うんです。

林英哲が、世界唯一という理由はこういうことにもあると思います。

林英哲、「麒麟が来る」のテーマ音楽を担当

2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」のテーマ曲に、

林英哲も参加しています。

オープニングに流れるクレジットを

ご覧になったことがありますか?

和太鼓の演奏が林英哲です。

劇中の太鼓音もやはり手がけているとのこと、

もうすでに放映されてしまいましたが、

第2話で、斎藤道三の陣で陣太鼓を打っていたのが、

林英哲の弟子の英哲風雲の会でした。

ちょっとしか映らなかったんですけどね。

手元に写真がないので、

探して見つけたらこちらも紹介しますね。

林英哲は、

多くのCDやDVDを出しているので、

「麒麟が来る」の太鼓に、ビビッときたら、

そちらも試して見るといいと思います。

私的には、

大太鼓のソロ打ちが大好きです!

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和太鼓奏者林英哲は、

経験がなんと49年、ソロで38年という

輝かしい実績と唯一無二の演奏技術が超魅力的な

太鼓打ちだと思います。

まだまだ、美しい背中で、私たちを魅了してほしいと思います。

コロナの関係で、

しばらく公演も中止になってるのが悲しすぎる。

早く、あの勇姿を見たいと願ってます。

和太鼓奏者林英哲について紹介してきました。

読んでくださり、ありがとう存じまする。