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市川段四郎の家系図、兄、母、妻は?スーパー歌舞伎の立役者

歌舞伎役者
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市川段四郎という名前は、歌舞伎役者の名として

とても偉大な名前です。

市川猿翁さんの弟として、市川猿之助さんの父として

澤瀉屋を支えた立派な歌舞伎役者でした。

そのご逝去の報を聞き、無念でなりません。

市川段四郎さんについてお伝えします



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市川段四郎の家系図とwikiプロフィールは?

市川段四郎さんは、長年澤瀉屋、市川一門を支えた

大役者です。

まずはプロフィールを紹介します。

4代目市川段四郎のwikiプロフィール

市川段四郎 本名:喜熨斗 宏之(きのし ひろゆき)

正没年月日 1946年7月20日〜2023年5月23日(享年76歳)

身長163cm・体重57kg

血液型O型

家族:妻 喜熨斗延子、息子 喜熨斗孝彦(4代目市川猿之助)

学歴:慶應義塾大学文学部卒業

屋号:澤瀉屋

定紋:三升の中に段の字(みますの なかに だんのじ)

替紋:八重澤瀉(やえおもだか)。

襲名歴:

1957年(昭和32年) 4月 歌舞伎座『熊野』(ゆや)の女童で初代市川亀治郎を名乗り初舞台

1963年(昭和38年) 四代目市川團子を襲名。

1969年(昭和44年) 5月 歌舞伎座『根元草摺引』(こんげん くさずりびき)で四代目市川段四郎を襲名。

2016年(平成28年) 11月 旭日双光章を受章。

市川段四郎の家系図は?

市川段四郎さんの家系図は、代々歌舞伎役者として

段四郎の名を受け継いできました。

父は3代目市川段四郎さん、55歳にして早逝し

その後は兄の市川猿翁(3代目市川猿之助)さんの右腕として

共に澤瀉屋を支えてきました。

母は、女優の高杉早苗さんで、文字通り芸能一家でした。

息子は、4代目市川猿之助さん、甥が市川中車(香川照之)さんです。



市川段四郎、兄の右腕として澤瀉屋を支えていた

3代目市川段四郎さんがお亡くなりになった時、

段四郎さんは若干17歳、兄の猿翁さんは24歳でした。

その若さで、澤瀉屋を支えなければならない

運命を背負ってしまったのです。

猿翁さんは、歌舞伎界の異端児とも言われ、

革新的なアイデアを発揮し、上方歌舞伎のケレンを取り入れた演出で

歌舞伎界に新風を巻き起こしたそうです。

とはいえ、伝統的な芝居をよしとする方々には

邪道と言われ、梨園の中でも孤立することが多かったとのことです。

とはいえ、ケレンを取り入れた

「義経千本桜」の四の切りは

今では多くの役者が踏襲する型となり

新しい伝統として定着しています。

1986年に創案したスーパー歌舞伎は、

歌舞伎の伝統的な様式に新しい演劇の要素を加えた

斬新なスタイルの歌舞伎で、

話題を呼びました。

この兄を独創的なスタート見ると、

段四郎さんは骨太な男くさい役が似合いました。

技量も優れた役者で、古典の演目では

その存在感を発揮されていました。

兄との共演では、脇役に徹し、

時には補佐役、時には敵役として

多くのお芝居を引き締める役割を担っていました。

兄の猿翁さんが長男の中車さんと断絶していた時は、

悲しむ中車さんを慰める優しさも見せていたということです。

私は、段四郎さんは3代目猿之助の芝居を引き立てる

重厚なサブキャラとして見てきました。

憎ったらしい悪役と思ったこともありますが、

猿翁さんのスター性を引き立てるだけの

大きな懐を感じさせる役者さんだったと思っていました。

その後猿翁さんは、2003年の博多座での「西太后」公園のさなか、

体調不良で降板し、その後舞台に上がることはありません。

段四郎さんはその後も

息子、4代目市川猿之助と共に澤瀉屋を支えますが、

2013年の12月に体調不良を訴えて、

そのまま舞台から遠ざかっていらっしゃいました。

兄と2人で育て上げた澤瀉屋は

現在、4代目市川猿之助やその右腕たちによって

人気のある一座となっています。



市川段四郎の母は、女優の高杉早苗、姉は市川靖子

市川段四郎さんのお母様は、

女優の高杉早苗さんでした。

私はお名前は聞いたことがありますが、

お姿を見た記憶はありません。

1934年に松竹にその美しさを見込まれて女優デビューをしたものの、

1938年に3代目市川段四郎さんと結婚したことで

女優を一旦引退されたそうです。

今は両立される方も多いですが

この時代は、しかも梨園の妻としては

引退するように義父に言われての引退だったそうです。

その後、1948年から梨園の妻と並行して、

女優業にも復帰され、

映画やドラマの脇役としてご活躍されたとのことです。

脇役だったから、覚えがないのかなと思っています。

ご結婚されてから、

長男:市川猿翁さん、次男4代目市川段四郎さん、

長女、女優の市川靖子さんと

3人の子をもうけ、妻と母親業に大忙しだったのかなと思いました。

先述のように、大黒柱である夫の段四郎さんがお亡くなりになり、

2人の息子が歌舞伎界で活躍するまでを

ハラハラしながら支えていたのだろうなあと想像します。

 

市川段四郎さんのお姉さまも女優で

市川靖子さんとおっしゃいました。

みんな、市川姓ですが、

本名は喜熨斗さんなんですよ。

市川靖子さんは、テレビドラマだけでなく、

司会のアシスタントとしてもご活躍されたとのことです。

アフタヌーンショー、11PMなど

名前は覚えているバラエティのはしりのような番組です。

お子さんが2人いらっしゃるようですが、

お名前は公表されていないので

芸能人ではないのかもしれないですね。

2003年に62歳でお亡くなりになっています。



市川段四郎の妻も名門のご息女だった

市川段四郎さんの奥様のお名前は

喜熨斗延子さんとおっしゃいました。

段四郎さんよりも1歳年下だったようです。

ご実家が、友禅図案家の加藤庸三さんの長女だったということ。

伝統的なお仕事をされていたのですね。

段四郎さんが延子さんと結婚されたのが、

定かではないのですが、

ご長男の猿之助さんが1975年に誕生されているので

その少し前かなと思います。

当時、段四郎さんは29歳、延子さんは28歳でした。

歌舞伎界で、澤瀉屋を盛り立てるのに

大変な頃だったかと推察します。

段四郎さんにとって、大きな支えであったのではないでしょうか。

4代目猿之助さんは一人っ子なので、

ご両親はいろいろと目をかけて育てたのではないでしょうか。

2023年に不幸にもご自宅でお亡くなりになります。

生前を知る方からは、優しくてしっかりとした方

との声もありました。

家族3人で暮らしていたことから、

猿之助さんの世話もされていたのでしょうね。

これまで猿之助さんは

あまりお母さまのことを話していた記憶がありません。

一般人として表に出すことを好まなかったのかもしれないですね。



 

市川段四郎さん、遠山の金さんに出演してた!

遠山の金さん、、というと

時代劇の名作ですね。

今年の国立劇場の初春歌舞伎の演目が

「遠山桜」でした。

そのお芝居では、遊び人金さんは、

お芝居を愛し、歌舞伎の危機を救った人として

描かれていました。

市川段四郎さんは、その金さんをテレビドラマで

演じていたのですよ!!

タイトルは「ご存知遠山の金さん」。

放映期間は、1973年10月7日から1974年9月22日までの全51回。

当時NET(現・テレビ朝日)テレビで、日曜の20時枠で放映されていたとのことです。

日曜20時というと、大河ドラマの裏番になりますね。

気になる視聴率はわかりませんでした。

このシリーズでは、

市川團蔵さんが当時の名、市川銀次郎で

レギュラー出演もされていたそうです。

ゲスト俳優の中には、

市川男女蔵(先日逝去された市川左團次)さんの名もあり

歌舞伎役者の活躍も嬉しいドラマだったのだなと思いました。

ちなみに、遠山の金さんシリーズは、

演じた俳優が、中村梅之助さん、橋幸夫さん、杉良太郎さん、高橋秀樹さん、

松方弘樹さん、松平健さんと、

時代劇の有名スターの名が並びます。

市川段四郎さんもそのお一人として

お茶の間を沸かせたのでしょうね。

舞台復帰を待ち望んでいたものの

叶わぬこととなり悲しいです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

市川段四郎さんについては

素晴らしい歌舞伎役者であったことを

多くの方に知っていただきたいです。

読んでくださり、ありがとう存じまする。



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