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中村いてうの親は誰?勘三郎、中村屋との関係とwikiプロフィール

歌舞伎役者
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中村いてう(いちょう)さんは、

中村屋の一門の歌舞伎役者で、立師も担当されています。

その風貌から、中村勘三郎の隠し子では、、

という方もいるようですがそうではありません。

ただし、その芸や人に惚れ込んで弟子入りしたので、

とても強い絆があったのは事実です。

ここでは、中村いてうさんについて紹介します。




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中村いてうの親、本名、wikiプロフィール

中村いてうのプロフィール

中村いてう:本名 原田大樹

生年月日:昭和56年

出身地 岐阜県恵那市山岡町

2000年 国立劇場第15期歌舞伎俳優研修所卒業

2001年 当時の5代目中村勘九郎(18代目中村勘三郎)に弟子入り

中村いてう(いちょう)としてデビュー「頼朝の死」町人役(歌舞伎座)

2015年 名題昇進

2020年 恵那観光大使に就任

中村いてうさんは、岐阜県恵那市のご出身です。

一般家庭の家の出なので、

歌舞伎界との関係はありませんでした。

同じく岐阜県は、市川笑三郎さんの故郷でもあります。

一般家庭から歌舞伎への先達をしてくださった方でもあるらしいですよ。

さて、この恵那という地域は、

地歌舞伎が盛んでして、

地域の人たちによるお芝居がよく上演されているところなんだそうです。

ご両親については、まだ情報がありませんが、

おじいさまは地歌舞伎振付師である6代目松本団升(だんしょう)さん、

おばあさまも同じく振付師の2代目松本団女さんで、

幼い時からこのおじいさま、おばあさまのそばで

歌舞伎に親しんで育ったということでした。

おじいさまは、県の無形文化財保持者でもあり、

地元では有名な方のようです。

今はいてうさんも立師を務めていらっしゃいますが、

これは祖先の血を受け継いだのかなって思ってしまいます。

子供の頃の遊びも刀を使ったり、芝居の真似事をしたりということで、

気がついたらお芝居に出ていたということなんですね。

初めてのお役が、

「鏡山旧錦絵」の岩藤役、というのですから、

重要なお役ですよね。

テレビなどの映像を見ながら、自身でも研究し、

こういう気持ちではこういう行動、というように動いてみたら、

相手の尾上役の子どもが涙目になったというので、

それは子どもながらに真に迫った演技を見せたのではないかと思うところです。

自然に環境が出来上がり、演じることにのめり込んでいったようですね。

高校卒業後は、それが当然のように役者への道を目指すんですね。

国立劇場の歌舞伎俳優研修所で学び、

さあこれから、という時に出会ったのが

当時は5代目中村勘九郎を名乗っていた

故18代目中村勘三郎さんだったそうです。

 



中村いてうと中村勘三郎、中村屋との関係は?

国立劇場の歌舞伎俳優研修所で基礎研修生として

お稽古に励んでいたいてうさんが出会ったのが

当時は5代目中村勘九郎を名乗っていた

故18代目中村勘三郎さん、

そのお芝居に大きな衝撃を受けたといいます。

どういうものか、詳しくはわかりませんが、

私も勘三郎さんのお芝居が大好きだったので、

何をみても高揚したり、泣いたり、笑ったり、

と感情を揺さぶられました。

そこで、この人についていこう!と弟子入りをするのですね。

ちょうど、平成中村座を始めた次の年ということで、

その劇場が、故郷の芝居小屋にも似ていたことから、

夢中になって役者の道を進んでいったんですね。

しかし、思いが強過ぎて、

うまく芝居ができない歯がゆさから、

1年ほど芝居から逃げてしまった時があったそうです。

その時も勘三郎さんは、残ってくるのを信じていたのでしょうね。

居場所はそのままに、帰りたいという気持ちを受け入れてくれたんだそうです。

いてうさんを見ていると、

時々、お若い頃の勘三郎さんの面影が重なる時があるんです。

似ているなってふと思うのですが、

そう思う方は他にもいらっしゃるのでしょうね。

いてうさんの親が勘三郎さんではないか、隠し子では?

なんて噂もあったようです。

だけど、そうではなくて、

いてうさんは、勘三郎さんの芸に惚れ込んで

ついていきたいと信じた師匠です。

2人の関係は、師弟関係ですが、

とても強い絆を感じていたのではないかと思います。

勘三郎さんが亡き後は、

息子さんの、勘九郎さん、七之助さんが柱となって、

中村屋一門を守っていらっしゃいます。

そのお弟子さんの中でも、

いてうさんは大きな信頼を寄せられているなって感じます。

名代という資格も通っていますし、

舞台でも大事なお役をいただいています。

加えて、立師としても頼りにされているところがあります。

これからも、中村屋のお芝居に

いてうさんは、なくてはならないお一人じゃないかなって思います。

 



中村いてうに中村仲蔵をと、勘三郎は考えていたらしい

中村屋には、中村仲蔵というお名前があります。

これは、直接血の繋がりはないものの、

13代目の中村勘三郎の前名が中村仲蔵だったということや、

稀代の千両役者であった初代中村仲蔵が、

6代目中村勘三郎の息子の弟子であったことも関係あるようです。

実際には、5代目のお名前を継いだ方がいらして、

その方が早逝されたため、

名前はそのままになっているようです。

多分、その前に、

いてうに仲蔵を、、という考えがあったようですね。

令和3年12月に、中村勘九郎さん主演の

「忠臣蔵狂詩曲No5中村仲蔵」というドラマがあったのですが、

その中に、中村いてうさんはじめ、

中村屋一門の方が出演されていました。

この時に、立師としての腕前を惜しみなく披露したのだそうです。

実のところ、いてうさんには、通常の立師の領域を遥かに超えた、まさに八面六臂の活躍をしていただきました。制作陣に対しては劇中劇の演目選定や演出の提言、市村さんら俳優陣に対しては歌舞伎独特の発声や台詞まわし、所作全般、立廻り、そして歌舞伎と言えば、みなさんもすぐ連想する「見得」の仕方などなど・・・を懇切丁寧に指導してくださったのです。さらには(本来歌舞伎俳優なら自分でする)化粧、衣裳の着付けを手助けしてくださったのもいてうさんです。

 

とスタッフさんのブログに書かれていました。

中村いてうさん、不思議な巡り合わせですが、

その存在を知らしめる活動につながったようですね。

このドラマは、とても面白くて、夢中になって見ました。

勘九郎さんがかっこいいのはいうまでもありませんが、

江戸の芝居小屋や役者の生活が丁寧に描かれていて、

歌舞伎好きにはワクワクしかないドラマでした。

このドラマのおかげで、中村いてうさんと中村仲蔵という名の縁を

初めて知ったんですよ。

繰り返し見たい、素敵なドラマでした。



中村いてうは結婚してる?子どもは?

中村いてうさんは、令和4年には、41歳になります。

中村勘九郎さんと同い年です。

勘九郎さんは、奥様もお子さんもいらっしゃいますから、

いてうさんもご家族がいらっしゃるんじゃないかと思って調べてみました。

しかし、なかなか情報が見つかりません。

何かの対談で、子供の話とか、奥様の話とかされていないかな、、って思ったんですが、

お芝居の話しか出てきませんでした。

情報がはっきりしないので、言い切れないのですが、

まだご結婚されていないのかもしれませんね。

お芝居に夢中になりすぎて、

家庭を作るというのが後回しになっているのかも、、、

中村屋では、中村七之助さんがまだ独身で、

いつご結婚だろう???と

何かと話題になっています。

いてうさんも、これから結婚については触れる機会があるでしょうから、

それまで待って情報を集めたいと思います。

中村いてうさん、

大きな役ではありませんが、

お芝居では、印象に残る姿を見せてくださいます。

今後も、中村屋を盛り上げる役者さんとして

ご活躍を楽しみにしています。

読んでくださり、ありがとう存じまする。



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