歌舞伎役者、四代目中村梅玉を紹介します。
名優の誉れ高い六代目中村歌右衛門の養子で、
品のある立役として舞台では重要な役を務めることが多いですね。
6月南座は、新歌舞伎NARUTOを上演。
そこでも若手に混じって存在感を見せています。
四代目中村梅玉のプロフィール
まずはプロフィールの紹介です。
四代目中村梅玉のプロフィール
中村梅玉:本名 河村 順之(かわむら としゆき)
生年月日 1946年8月2日
出身地 神奈川県
最終学歴 青山学院高等部中隊
家系 父:六代目中村歌右衛門(養父)、実弟:二代目中村魁春
屋号 高砂屋
定紋 祇園守
襲名歴
1956年 「蜘蛛の拍子舞」 福才で初舞台、二代目加賀屋福之助を襲名(歌舞伎座)
1967年 「絵本太功記」十段目の武智十次郎役・「妹背山婦女庭訓・吉野川」の久我之助役で八代目中村福助を襲名。(歌舞伎座)
1992年 「祇園祭礼信仰記」(金閣寺)此下東吉役・「伊勢音頭恋寝刃」福岡貢役で四代目中村梅玉を襲名(歌舞伎座)
当たり役 「頼朝の死」源頼家役
「勧進帳」富樫役
正統派2枚目、色悪や大名など、盾役として
品のある佇まいと演技が魅力の大御所役者です。
四代目中村梅玉の家系 養父歌右衛門の願いで梅玉の襲名がかなった
四代目中村梅玉は、
実弟の中村魁春とともに、六代目中村歌右衛門の養子となりました。
妻は、文豪武者小路実篤の孫娘で、元バレーリーナの有紀子さん。
実子はおらず、中村梅丸は梅玉の部屋子です。
家系ってそのくらい?
まあ、そうはそうですが、「梅玉」という名の家系はすごいです。
この名は、三代目中村歌右衛門の俳名だそうです。
この歌右衛門(成駒屋)は、上方の女形として人気の役者でした。
その後を継いだ四代目歌右衛門が、
東京と大阪で三代目中村福助の名を譲ったことで、
福助の名が2つに分かれるということが起きてしまったんだそうです。
そのため、大阪の三代目福助が梅玉を名跡として独立させ、
二代目梅玉を名乗るようになったそうです。
その後三代目梅玉の死後、この名は長い間継ぐ者がいなかったのですが、
六代目中村歌右衛門が、従兄弟芝翫の息子に福助と成駒屋を譲り、
養子の元梅玉(当時は福助)に、四代目の襲名をさせたのだそうです。
このお家も複雑ですね。
ちなみに、四代目梅玉は、立役としての芸を確立していますが、
大阪の梅玉は、梅の女王という意味もあり、
女形の名跡だったそうです。
私は、立役の梅玉で良かったと思っています。
だって、かっこいいもん!
*中村歌右衛門についてはこちらも見てね
四代目中村梅玉の芸の幅広さ、NARUTOでの存在感がすごい
初舞台から稽古をつけてきた養父の六代目中村歌右衛門は、
梅玉に、「小器用な役者にはなるな」と
説いてきたのだそうです。
歌右衛門の家の芸は、歌舞伎座の舞台で様になる芸、
その教えを受け、正統派という芸風を身につけてきたのではないかしら。
その梅玉が、この6月に大変身しました。
京都南座で上演されている新歌舞伎NARUTOで、
敵役の「うちはマダラ」を務めているのです。
主演の坂東巳之助と中村隼人は、
このことをとても喜び、決定した時は、
「いち観客として梅玉のおじ様のこういったお芝居をあまり拝見したことがないので、純粋に楽しみ。どういうふうにおやりになるのか、想像ができないので」
と述べていました。
歌舞伎の芸を指導してもらったこともある隼人は、
「喜びもある反面、怖さも・・・」って。
若手役者に稽古をつける大ベテラン、
共演は嬉しいけど緊張するというのが本音でしょうか。
ビジュアル的にもとても様になっていた
梅玉のうちはマダラです。
その姿が舞台に現れると、観客はかたずをのんで見守ったそうです。
そして、仮面を取ったその瞬間、
「高砂屋」の声もかかったんですって。
やはり大役者は何をやっても物にしてしまうんですね~。
千秋楽が近づいた日の中村隼人のツイッターには、
若者と一緒に食事をする梅玉の姿がありました。
(っていうか、梅玉主催の食事会だったらしい)
72歳とは思えない、若々しい表情、
どこまでも正統派2枚目だなあと感服いたしました。
7月は歌舞伎座で2役が決定しています。
工藤祐経役と源義経役、これまたどちらも正統派!
いつまでも若々しく舞台で輝いていただきたいものです。
弟子の中村梅丸が、この11月に、中村莟玉(かんぎょく)を襲名、
梅玉の養子となることが発表されました。
中村梅丸が莟玉に 11月「吉例顔見世大歌舞伎」 「菊畑」で虎蔵演じるhttps://t.co/3WcCiiqQvE
— 毎日新聞 (@mainichi) August 23, 2019
こちらに書きましたので、よかったらお読みくださいね。
読んでくださり、ありがとう存じまする。
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