令和7年(2025年)の歌舞伎座四月大歌舞伎は、
色々な点で歴史的な一幕というのがありました。
昼の部の新作歌舞伎「木挽町のあだ討ち」が誕生したり、
夜の部の「毛谷村」は人間国宝が4人も揃うめっちゃ豪華な舞台。
尾上右近さんが夢を叶えた「春興鏡獅子」、
そして講談師神田松鯉先生もご登壇の「無筆の出世」と
歌舞伎座やるなあ、と思える攻めの舞台でした。
ここでは、夜の部の感想をお伝えしていきます。
彦山権現誓助剱の感想:松本幸四郎さん版(偶数日)
今年は国立劇場の新春歌舞伎が「彦山権現誓助剣」だった。
その3ヶ月後に歌舞伎座で上演、しかも同月に金比羅歌舞伎でも、、
とこの作品の意味を考えてしまいました。
さて、夜の部を見てきたので感想を書きます。
今月は諸事情があり22日の観劇でした。
幸四郎さんの六助は人の良さが滲み出ているので
終始温かな気持ちで見ることができました。
ぼやあっとしているようですが
実は剣術の達人ということで
動きは無駄なく俊敏にというのも
六助の様子を表しているなあと思いました。
私は、老婆が訪ねてきて
「私を母にしろ」と言ったり
お園がいきなり
「わしゃあんたの女房じゃいな」と言ったり
急に現れた人たちの言動に戸惑う姿が好きでした。
純朴で優しさ、柔らかさと、強さ、正義感というものを併せ持つ六助は
とても魅力的なキャラクターで、これからも幸四郎さんの六助を見たいと思いました。
ただ、気になるところもあって、
それは六助は孝行を尽くした母を亡くしたというところの描写です。
その悲しみを抱えているから、微塵弾正にも同情したのです。
相手の悲しみに寄り添うからこそ、敵討への決意が強くなる、
とすると、吉岡一味斎の死、斧右衛門の母の死に対する
共感的な姿勢が欲しかったなと思いました。
怒りが強いのも
その前に相手の悲しみを我がことに重ね合わせることで増大すると思うのです。
その他の重要登場人物は
お園役の片岡孝太郎さん、弾正こと京極内匠の中村歌六さん、
お幸役の中村東蔵さん、子役の中村種太郎くん。
個人的には、山賤仲間の片岡松十郎さん、片岡仁三郎さんの
ご活躍が嬉しいところでした。
片岡孝太郎さんのお園は安定感あり、女武道の面白みを見せてくれます。
凛々しく六助に向かっていく冒頭と
相手が六助と知ってからの中盤の変容がめっちゃいい。
役のまんまをしているところが可愛くておかしみもあるのです。
やっと私にも春がきた、と嬉しいんだけどなんかチグハグ
そんなお園が可愛くてたまりませんでした。
京極役の中村歌六さん、出番はそれほど多くないのですが
大きな印象を残しますね。
悪役でかなりずるいやつなのですが
ちょっと立派に見えちゃうところが玉に瑕と感じました。
手合わせで、負けそうになって、こそこそ六助に目配せするところ、
ああいうところは上手いなあと思います。
東蔵さんのお幸は以前も盤石で、今回もそれは変わらず。
ただ、少しお年を召したのだなってことが感じられ、
お芝居以外のそこがちょっと悲しかったです。
種太郎くんの弥三松は可愛くて元気いっぱい。
のびのび演じていていいですね。
と、役者さんに目がいってしまいましたが、
このお芝居は短い時間に見どころが多く、
ほろっときたり笑ったりと楽しめたお芝居でした。
彦山権現誓助剱の感想:片岡仁左衛門さん版(奇数日)
超大好きな片岡仁左衛門さん、
人柄がよくて力持ち、そして正義感が強い六助は
仁左衛門さんにぴったりのお役です!
私が観劇したのは25日の千穐楽でした。
これから観たいという方の参考にはならないかもしれない。
でも、観終わって思ったのが、
これがにざ様の六助見納めかもしれないなあということ。
もしかしたら、にざ様六助ラストステージになるかもしれない舞台について
感想を書いていこうと思う。
片岡仁左衛門さんの六助は、当たり役と言ってもいい役だと思う。
そんな役を数多くお持ちの片岡仁左衛門さんだと思うが、
まさに六助ってこういう人だよね、って感じの人物描写なのですよ。
このお芝居には前段があり、それぞれが同じ相手を仇と思う理由があるのです。
*六助は彦山権現の山の中で高良の神より剣術八重垣流の奥義の一巻をいただく
→六助にとって吉岡一味斎は神と同様に敬う存在である
*お園は一味斎暗殺の場で下手人の証拠を掴んでいる。お家断絶を防ぐために、仇討ちの許可を持っている
→お園にとっては仇討ちをすることがお家を守り父の無念を晴らすことである
*弥三松の母はお園の妹お菊で京極の横恋慕を拒んだことから殺される
→弥三松にも母の仇討ちは本望である
六助は純朴で剣術の達人ではあれど
なぜ、わざわざ微塵壇上の誘いに応じたのかとか、
一味斎の仇を討つことに強い決意を示したのかというのが
その背景に沿っていると自然に理解できるのです。
仁左衛門さんの六助は、ここでは語られていないその背景が
くっきりと浮かび上がってくるんです。
額を割られても、微塵弾正の出世を喜んで見送る六助、
おかしな老婆の申し出も無下に断らず様子を見ようとするやりとり、
一味斎が騙し討ちにあったことを知り心底悲しむ六助、
斧右衛門の母が弾正に利用されたと気づいた六助、
表情、言葉の言い方、身体の動きまで全て六助の心情がひしひしと伝わってきたのです。
演技を超えて、六助がそこにいるって思いながら舞台を見守っていました。
とはいえ、もうご高齢でもあり、
若い六助の溌剌とした動きには、少し無理もあるのかなという気もしました。
幕が閉まる寸前、天を仰いで目を瞑った仁左衛門さん、
再び目を開いた時、そこには涙が見えました。
ああ、やり切ったんだなあって。
そんな思いにしみじみとした幕切れでもありました。
このお芝居を観られたことが私にとっては幸せだなと心から思えた一幕でした。
やっと観られた右近の春興鏡獅子
尾上右近さんが、常々言っておられた夢が実現した舞台。
巷の噂ではとても評価が高く、私もずっと観たかったので
やっと観られたことが感無量。
初舞台なのに、そんなことは全く感じない
すでに円熟の芝居、と言いたくなる素晴らしい舞台でした。
冒頭、右近さんの弥生が登場したところから
オペラグラスをずっと覗き込み
1秒たりとも眼が離せない、惹きつけるお姿でした。
踊りは丁寧で、隙がなく、音楽と一体化しており、そこも安定感につながったように思います。
一番好きな場面は、獅子頭を手にした時の
獅子頭と弥生が別人格を見せ始めたところ。
本当に獅子が勝手に動いているように見えました。
全く違和感がない舞台って本当に珍しいんだけど
おそらくそれこそが右近さんの魂が舞台に乗り移っていたからじゃないかって思ってしまいました。
そもそも、尾上右近さんは清元の宗家のお家。
六世尾上菊五郎の曾孫として血は引いてはおりますが、
お家は歌舞伎のお家ではないのです。
その右近さんが、「春興鏡獅子」を踊りたいと熱望していたのは
誰もが知るところでした。
でも、このお芝居の特性(成田屋のお家芸)と
右近さんの出自からすると
歌舞伎座の本興業でそれが叶うと信じていたのは右近さん以外にはあまりいなかったのではないかと思います。
それでも元々の才と人並みならぬ努力で
歌舞伎役者としての人気と実力を認められ
念願が叶った舞台といえるのです。
ある意味、これは奇跡でもある、私はそれを目撃できたことに幸せを感じます。
できるならば、右近と言えば「鏡獅子」と言われるほどに
再演も重ねていってさらなる高みを目指してほしいと思います。
無筆の出世の感想:講談シリーズ第3弾!歌舞伎とのベストマッチ?
講談シリーズは、今までも「荒川十太夫」「俵屋玄蕃」と
珠玉の名作を歌舞伎演目に加えてきました。
その第3弾が、「無筆の出世」です。
しかも、97年ぶりに講談師が歌舞伎座の舞台に上がります。
こりゃ、楽しみっていったらないでしょう!?
講談師の神田松鯉氏が歌舞伎座の舞台に登壇、
幕開けの解説、途中のプロセス、最後のまとめと
3回登壇され、講談を聞かせてくださいました。
歌舞伎は、その間に挟まっている構成です。
歌舞伎の前・中・終に講談が入ったとも言えます。
つまりは、説明部分が講談だったってことなんですね。
一般に義太夫狂言では、太夫や唄い手がストーリーを繋げることがあります。
だから、それが講談になったと思えばいいのですが、
今回はその匙加減がベストなのかもうちょっとなのか、
私も実は測れないと思ってもいました。
個人的には、もう少し演技が多めの方が好みです。
これは、私の好みなので、プロの講評を見たいところです。
因みに渡辺保先生は、役者さんへは高評価でした。
ただ、最後の仇を恩で返すところがうまくいってない、という難点を挙げておりました。
そこを演技ではなくて講談で逃げている、というご指摘でした。
そういうところかもしれないな、
私がもうちっと演技で見せて欲しいと思ったことは。
では、本編についても少し触れます。
まず、松緑さんの治助がいい!
無学だけど熱心で機転が効くという若い頃の姿がめちゃくちゃよかった。
その後の出世につながるだけに、ここでその印象を強く出せたことが芝居の出来にも関わると思った。
特に、左内の屋敷で、文字が読めないばかりにと泣きながら
文字を読みたい、描けるようになりたい、と
痛切に訴える姿は泣けました。
それを見守り、治助の才を伸ばした夏目左内は市川中車さん、その妻に市川笑三郎さん。
お二人とも本当にしっとりとした佇まいで人格の清らかさがうまく出ていました。
中車さんは、癖のある役がハマる方ですが、
こういう人格者を務めてもその大きさが出せるのだなあと
感心してしまいました。
もう一人、印象に残ったのが、
大徳寺の僧侶日栄役の中村吉之丞さんです。
播磨屋らしい、古典的義太夫的な存在感がお芝居の重石として効いていました。
治助を取り巻く人たちの無私の行為が、
治助にとっては恩となり、出世への道を切り開いて行ったのだなあと
しみじみ思えました。
そうして、仇を恩で返された佐々与左衛門、
酒に酔った勢いで残酷な手紙を使わせた元の主人。
30年後に見せた姿は、残酷さよりも惨めさが際立つ老人。
床の間の手紙を見て、すぐにその過去を思い出したところからすると、
その過去を悔いていたのではないかと思われました。
そして、懺悔からの感謝へと涙が変わっていったところがとても感動的でした。
トボトボと歩く背中、そして涙にくれる表情、
中村鴈治郎さんも短い場面でしたが印象に残るお芝居を見せてくれました。
それだけに、演技をもう少し見たいなあって思ったのもありますね。
全体的に、シンプルに楽しめ、感動できるお芝居で、
これもいいもの観たなあって思いにさせてくれました。
こちらの感想もまとめたら追記するのでお待ちくださいね。
4月歌舞伎座公演の概要はこちらにまとめています。よかったらチェックしてみてね!

4月歌舞伎座公演昼の部「木挽町のあだ討ち」もよかったよ!感想はこちらから

お読みくださりありがとう存じまする。
コメント