市川猿翁さんがご病気のため、
令和5年9月13日にご逝去されました。
スーパー歌舞伎を生み出し、
歌舞伎の楽しさ、無限の可能性を見せてくれた
2代目市川猿翁さん、いや私にとっては3代目市川猿之助さん。
失った大きさは計り知れません。
心よりお悔やみ申し上げます。
ここでは、猿翁さんの偉大さを少しでも知っていただけるようにお伝えしていきます。
市川猿翁さん、不整脈のためご逝去
市川猿翁さんは
2023年9月13日に不整脈のためご逝去されました。
享年は83歳でした。
まずは、2代目市川猿翁さんの簡単なプロフィールを紹介します。
2代目市川猿翁のプロフィール
本名:喜熨斗政彦(きのしまさひこ)
生年月日:1939年(昭和14年)12月9日
没年月日:2023年(令和5年)9月13日
出身地:東京
最終学歴:慶應義塾大学文学部国文学科
襲名歴: 1. 三代目市川團子 (1947年)
2. 三代目市川猿之助 (1963年)
3. 二代目市川猿翁 (2012年)
市川猿翁さんは、病のため
舞台や歌舞伎界に姿をお見せになりませんでしたが、
その存在は大きく、常に澤瀉屋、歌舞伎界の背後に
控えていらっしゃる魂のような存在と私は感じていました。
ですから、訃報を聞いた時は
すーっと血の気が引いた記憶があります。
その一方で、来るべき時が来たか、、という思いもありました。
2023年は、市川猿翁さんだけではなく
澤瀉屋にとっては激震が走るほどの
暗い1年でありました。
市川猿之助さんの事件について、
市川段四郎さんのご逝去については、
実は猿翁さんには知らされていなかったそうです。
その点は安らかでいられたのかなあと
思うばかりです。
市川猿翁さん、後でも触れますが、
もう2度と現れないだろうと思える
素晴らしい歌舞伎役者さんでした。
ただただ、残念、、、
心からお悔やみ申し上げます。
市川猿翁は病気で一線を退いたが存在は大きかった!
市川猿翁さんは、
3代目市川猿之助として脂の乗り切った時期に
病気を発症し、第一線から退くことになります。
2003年、ご自身が演出・出演もされる「西太后」の舞台(博多座)の公演中に、
脳梗塞のような症状を発症し降板されたのです。
注:当時、市川右近(現在の右團次)さんが代役を務めました。
公表されたのは、「脳梗塞の初期」の段階でしたが、
実際の病名は「パーキンソン症候群」だったそうです。
調べると、この病は、
筋肉の硬直や、自律神経への異常、安静時振戦などの
症状が出るそうです。
この後表舞台に出ることは減ります。
最後に公衆の前に姿を現したのが
2013年、京都南座で行われた
「2代目市川猿翁、4代目市川猿之助、9代目市川中車襲名披露口上」でした。
猿翁という名は、隠居名なのです。
実質的には役者を引退し、指導する立場に入っていったということなんですが
お身体の自由が効かなかったので、どの程度のことだったのかは
わかりません。
それでも、市川猿翁さんの名で
スーパー歌舞伎や、澤瀉屋の新作歌舞伎に
監修、演出などで携わられていたので、
舞台にはいなくても
その存在はとても大きなものであったと思います。
市川猿翁の家系図、息子は中車・孫は團子
市川猿翁さんの家系は、
初代市川猿之助(2代目市川段四郎)から生じています。
その子である、2代目市川猿之助さんが初代市川猿翁を名乗り、
その子が3代目市川段四郎を名乗ります。
このかたが、2代目市川猿翁さんのお父様になります。
ご兄弟は、故4代目市川段四郎さん、
このかたは、4代目市川猿之助さんのお父様にあたります。
息子は、9代目市川中車(香川照之)さん。
そのお子さん、つまりお孫さんが
5代目市川團子さんになります。
歴史が古い歌舞伎役者の家柄としては
比較的新しいお家です。
こちらの図も参考になさってください。
市川猿翁、市川猿之助、市川段四郎の関係は
市川猿翁、市川猿之助、市川段四郎、
この名は、澤瀉屋にとってはとても重要な名です。
普通、歌舞伎の家では
当主の名前は一人です。
例えば、
音羽屋の当主といえば、尾上菊五郎。
成田屋の当主といえば、市川團十郎。
海老蔵、團十郎のように
格が上がって行くことはあっても
当主の名が複数あるのは珍しいものです。
(残念ながら、現在は当主が早くに亡くなってしまい、その名がないお家もあります)
このお家は、
本当に珍しいことなのですが、
市川猿之助、市川段四郎が交互に当主を務めているお家なのです。
その理由は、兄弟間での調整があったようです。
市川猿翁は隠居名ですから
院政を行なっているようなもので、
実質的な当主は4代目市川猿之助さんでした。
彼のお父様が市川段四郎さんなので、
もしかしたら、段四郎の名を継いで、
澤瀉屋のトップになるのかなと
推測していたのですが、
事件によりそれはなさそうです。
ですから、私は
3代目市川猿之助の次は
5代目市川猿之助が当主になるのでは、、という
微かな予測もしています。
その場合、現在の市川團子さんが
そうなる可能性が高いなあと思ってみているところです。
不謹慎でしたらごめんなさい。
私は、このお家が好きなので
やっぱりこのお家の歌舞伎を見続けたいのですよ。
そうなると、誰が当主になるのかは
気になっちゃいます。
ちなみに市川團子という名は、
2代目市川猿翁さん、4代目市川段四郎さんも名乗っている
猿之助に通ずる格のある名なんですよ。
市川猿翁の一門は澤瀉屋
市川猿翁さんのお家は、澤瀉屋です。
先にも述べた通り、
このお家は「梨園」といっても
新しいお家なのです。
実は、初代の市川猿之助さんは
元々は九代目市川團十郎さんのお弟子さんでした。
その成田屋、市川宗家から分離して独立し
澤瀉屋の家を築いたのです。
ですから、伝統を重んじる歌舞伎界では
名実ともに革新的な家でありました。
とはいえ、
スーパー歌舞伎を世に出した
二代目市川猿翁さんのご活躍で、
澤瀉屋の人気は一気に急上昇します。
私は、
三代目市川猿之助の時に拝見した
「ヤマトタケル」が今でも目に焼きついています。
それ以外でも
「義経千本桜」「黒塚」「傾城反魂香」など
よく知られた演目を、
ダイナミックにアレンジし客席の喝采を浴びた舞台の多いこと。
初めは、
「喜熨斗サーカス」と揶揄していた
旧歌舞伎人たちも、徐々にその演出を取り入れていったと言いますから、
飛び抜けた才で、不遇な境遇を脱皮したお家でもあるのです。
また、二代目市川猿翁さんは、
歌舞伎の御曹司ではない、
一般の家庭から歌舞伎界に入ってきた役者さんたちを
一門に招き入れ育成したことでも有名です。
先に名前をあげた市川右團次さんや
市川猿弥さん、市川笑也さん、市川笑三郎さんなど
実力のある役者が多いことも
澤瀉屋の人気と関係しています。
四代目市川猿之助さんも、
お家の垣根を越えて、若い役者さんを起用し
育てていらっしゃいました。
このことは、二代目猿翁さんから受け継いだことかもしれません。
市川猿翁が澤瀉屋へ残した遺産
市川猿翁さん、次の当主を決めずにお亡くなりになりました。
もしかしたら、四代目市川猿之助さんをと思っていた節はありますが、
事実としては残されていません。
猿之助さんに何もなければ
そのまま、自動的に猿之助さんが澤瀉屋を
引っ張っていったと思います。
(実質、面倒を見るのもお仕事を作ることも彼はやっていましたから)
ただ、現状猿翁さんは大きすぎる遺産を
澤瀉屋へ残したと私は考えています。
当主問題はその1つです。
あとは、澤瀉屋の芸の継承、
若手役者の育成、
澤瀉屋の本興行での役割などなど
数え上げたらものすごい大きな遺産です。
遺産というと、
お金のことや有形資産について考える方が多いと思いますが、
私は、芸や魂といった無形の遺産の方が
大きいのではないかと思っています。
今は、市川團子さんが、大きな役を演じ、
それを市川中車さんや、澤瀉屋一門の中堅役者さんたちが
支えている、という形態をとっています。
演劇を行うだけならそれでもできるでしょうが、
芸を伝えられる人、
澤瀉屋の魂の舞台を作れる人は
市川猿之助さんが舞台から退いている今は
誰もいない状態です。
この大きな遺産を次世代に活かすことができるのか、、
そのキーパーソンは四代目市川猿之助さんではないかと
私は考えています。
市川猿翁は不世出の歌舞伎役者
市川猿翁さん、本当に2人といない
素晴らしい歌舞伎役者です。
この功績をもう少し調べて、こちらに追記していきます。
ぜひ、市川猿翁さんが残した歌舞伎の素晴らしさを
多くの方に知っていただきたいです。
ここまでお読みくださり、
ありがとう存じまする。
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