花菱アチャコさん、母から名前を聞いたことはありますが、
戦前・戦後に活躍した漫才師であり喜劇役者であった方です。
現在放映中の朝ドラ「おちょやん」では、
花車当郎という役になっていて、おちょやん(モデルは浪花千栄子さん)が
芸能界に復帰する重要な役どころとして描かれています。
そんな、花菱アチャコさんについて浪花千栄子さんとの関係や、
実際の結婚相手、お子さんについて調べてみました。
花菱アチャコとはどんな人?
花菱アチャコのプロフィールwiki
花菱アチャコ 本名 藤木徳郎(ふじきとくろう)
生没年月日 1897年2月14日~1974年7月25日
(直腸癌のため死去)
出生地 福井県勝山市
両親 父:藤木広吉 母:藤木エン
代表作 「アチャコの青春手帳」「お父さんはお人好し」
名セリフ 「めちゃくちゃでごじゃりまするがな」「さいなもうー」
戦前は横山エンタツとの漫才コンビで一斉を風靡し、
戦後は喜劇俳優としてご活躍されました。
花菱アチャコの芸名の由来は?
花菱が実家の藤木家の家紋である「二重亀甲の花菱型」から、
アチャコは先輩役者がつけてくれたあだ名「アーチョン」から
ということになっています。
この「アーチョン」の方は、
付け打ちとも関係あるんですよ。
アーのかけ声で拍子木をチョンと打つ、
このタイミングが若い頃のアチャコさん苦労されていたとのことで、
先輩役者の「アッ」のかけ声に合わせて「チョン!」と打つ
ということを特訓したらしいのです。
そこからの芸名って面白いですね。
アチャコさんは、横山エンタツさんとの漫才コンビを組み、
大人気となっています。
でも、その活動期間は約4年と短いのですよ。
それは、アチャコさんが中耳炎を患って入院している間に、
エンタツさんが杉浦エノスケさんとコンビを組んでしまったかららしいです。
エンタツさんのご活躍に嫉妬する気持ちもあったそうなんですが、
戦後の俳優としての活動が大人気となったことから、
漫才だけではないアチャコさんの才能が発揮されることになったので、
それも運命としてみると面白いなあと感じます。
アチャコさんの経歴は、結構混み入っているので
改めてまとめられたら、、、と思っています。
花菱アチャコと浪花千栄子は結婚していた?
花菱アチャコさん、後述しますが、
奥さんとなる方は3人もいらっしゃいました。
でも、浪花千栄子さんとは結婚していません。
浪花さんは、渋谷天外さんと結婚していましたが、
渋谷さんの浮気により離縁し、その後は養女の輝美さんと暮らしていたということです。
なのに、なぜ、浪花千栄子さんと結婚の噂が立ったのか?
そう、結婚していないのに、そういう風に世間の人は思い込んでいたらしいんです。
その理由が、二人が共演したラジオドラマにあったんですね。
朝ドラ「おちょやん」でも、
当郎さんと千代ちゃんがラジオドラマ「お父さんはお人好し」でコンビを組み、
千代ちゃんが女優へ復帰するきっかけとなる様子を描いています。
実際に、このラジオドラマ共演というのは、
お二人にとっては大きなチャンスになったんです。
アチャコさんと浪花さんは、初めは「アチャコの青春手帳」で
親子の役で共演していらしたんです。
浪花さんが、アチャコさんのお母さん役ですね。
それが、「お父さんはお人好し」という作品では、
夫婦役となるんです。
その夫婦のかけあいが絶妙なほどに面白くて超人気になるんですよ。
そんなことから、二人が夫婦だと思われてしまっていたそうなんです。
実際、2人に恋愛的な感情があったかどうかはわかりません。
しかし、事実として残っているのはそういう噂になったということなんです。
今は、インターネットの普及で、
個人のプライバシーも簡単に調べることができますが、
戦後、今から75年も前の時代は、
庶民はそんなこと調べようがありませんから、
ドラマの様子から、それが本当だと錯覚してしまうのはあり得ますよね。
そういえば、私も
若い頃、三浦友和さんと山口百恵さんが共演するドラマを見て、
二人は恋人同士だと決めつけていました。
その後お二人は結婚されましたけど、そういうことに近いかな。
*浪花千栄子さんについてはこちらもお読みくださいね
花菱アチャコの結婚相手3人!?
さて、花菱アチャコさんの実際の結婚相手についても調べました。
なんと、3人の方と結婚されていたことがわかりました。
そのうちお一人は籍は入れていないので内縁関係ということになります。
まずお一人目の奥さまは福田マサさんという髪結いの女性でした。
マサさんとはなぜか入籍をしていないのですが、
二人の間には、1921年に長男の五郎さんが誕生しています。
しかし、その7年後にマサさんは亡くなってしまわれます。
悲しいですね・・・・・・
五郎さんは、その後二人目の奥様に育てられるのだそうです。
二人目の奥さまは、池田初代さんという京都で小料理屋を営んでいた女性です。
初代さんとは入籍して、正式なご夫婦となりました。
初代さんとは円満な家庭を築けたのかなというと
それもよくわからないのです。
でも、1950年ごろから別居していたということで、
お一人で五郎さんを育てていたのではないかと思います。
ラジオドラマで人気になったのは、この頃ですね。
三人目の奥さまは、志津原愛子さんという方です。
宝塚歌劇団出身だったということで、
芝居「宮本武蔵」での共演をきっかけに愛人関係になったそうなんです。
花菱さんも女好きな一面があったのかもしれませんね。
1955年に神奈川県川崎市に家を建ててそこへ
愛子さんを住まわせて東京を拠点に移したということです。
別居から5年ほど経つ頃、
初代さんとの別居には愛子さんの影があったと思われます。
この愛子さんの間には娘さんが誕生しています。
昭和の時代の芸人さんは、女性をどう見ていたのだろう?
と、腹立たしくなる時もあります。
アチャコさん、大活躍の陰で、
関わった女性も幸せになっていたのならいいなあって思ってしまいました。
花菱アチャコの子どもや孫はどうしてる?
花菱アチャコさんにはお子さんがいらっしゃいましたね。
現在はどうしているのでしょう?
わかっていることが二つほどあります。
まずは孫のお一人が、藤木久利さんであること。
藤木さんはアチャマゴ久利の名で、バンド活動をしていらっしゃいます。
その名も「アチャコ一座」だそうです。
私はこのバンドの音楽を聴いたことがありませんが、
アチャコの名を使うところはさすがだなあと思いました。
もう一人はお名前は判明していません。
大阪の妻初代さんが営んでいた小料理屋がありましたが、
ひ孫にあたる方が、そこをたこ焼き屋「ACHAKO」として経営しているとのことです。
現在でも、大阪の北浜において営業していらっしゃいます。
アチャコさんを偲ぶ方もお客さんとして訪れているのかもしれないですね。
こちらにリンクを貼っておきますね。
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花菱アチャコさんについて、浪花千栄子さんとの関係や奥様、お子さんたちについて
紹介しました。
戦前戦後を笑いで沸かせた大芸人、喜劇役者さんなんですね。
読んでくださり、ありがとう存じまする。
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