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梶原景時の最後は?現在の子孫はいる?歌舞伎では悪人だけど本当はどうなの?

鎌倉殿の13人
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梶原景時(かじわらかげとき)は、歌舞伎では悪人役として描かれることが多いです。

そんな梶原平三景時は「梶原景時の変」で最後を迎えます。

現在の子孫はどうなったのか?本当に悪人だったのか?なども交えて、調べたことを紹介します。

歌舞伎で梶原景時が悪人として描かれるのは、源義経が主人公の場合です。

源頼朝の忠実な家来であったことから、義経にとっては悪役、敵役です。

実際には、頼朝を支えた有力な武士だったようです。



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梶原景時とは?頼朝との関係は?

梶原景時は、平安時代末期から鎌倉初期にかけての武士で

鎌倉幕府の御家人の一人です。

生まれは1140年ごろとされています。

没年月日は1200年2月6日とあります。

これは、後述する梶原景時の乱でなくなったためはっきりしているようです。

源氏の家来だったが、平治の乱で源義朝が敗死したあとは

平家方についていました。

しかし、石橋山の戦いで源頼朝の命を助けたことから、

鎌倉幕府において、頼朝に頼りにされ、権力を持つようになります。

この時のことについては、

「源平盛衰記」に次のように書かれているそうです。

敗軍の頼朝は土肥実平、岡崎義実、安達盛長ら6騎としとどの岩屋の臥木の洞窟(現在の湯河原町)へ隠れた。

大庭景親が捜索に来てこの臥木が怪しいと言うと、景時がこれに応じて洞窟の中に入り、頼朝と顔を合わせた。

頼朝は今はこれまでと自害しようとするが、景時はこれをおし止め「お助けしましょう。戦に勝ったときは、公(きみ)お忘れ給わぬよう」と言うと、洞窟を出て、「蝙蝠ばかりで誰もいない、向こうの山が怪しい」と叫んだ。

大庭景親はなおも怪しみ自ら洞窟に入ろうとするが、景時は立ちふさがり「わたしを疑うか。男の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」と詰め寄った。

大庭景親は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得た。

 

この後、頼朝は房州に逃げ、そこで三浦氏と合流して陣を立て直し

改めて鎌倉に上ります。

そして、頼朝は平維盛率いる平氏軍を撃破します。

この時、大庭景親は捕えられ斬られまずが、

景時は、土肥実平を通じて頼朝に降伏します。

そして、改めて頼朝と対面し、御家人として仕えるようになるのです。

景時は悪役として描かれることが多いのですが、

和歌を好み教養のある武士でもあったそうです。

京都の出である頼朝にとっては

無骨な坂東武者の中において頼りになる一人だったのではないでしょうか。

それから、頼朝に重宝されるようになり、

頼朝の鎌倉幕府構築では目覚しい働きをしていくのです。

私からみても

梶原平蔵景時は悪役でした。

だから、あまり好きではなかったのですが、

こうやって調べてみると

鎌倉幕府成立のために欠くことのできない働きをした方なんだなあと思いました。

洞窟の頼朝を見逃さなければ

その後の歴史は大きく変わっていたはずです。

以外にもキーパーソンであったことにちょっと驚いています。



梶原平蔵景時の最後は?

梶原平蔵景時は、源頼朝の元で権力をふるいます。

確かに実力もあったと思いますが、

多くの資料からは

「傲慢」「嫌われ者」という言葉が読み取れます。

猜疑心の強い頼朝の命により上総広常を手にかけたという汚れ役も務めています。

また、義経が頼朝に煙たがられるようになった原因として、

景時の告げ口があったと言われています。

これは、

屋島の戦いや壇ノ浦の戦いで、

景時自ら先陣をかって出たにも関わらず、

義経に聞いてもらえなかったばかりか、

活躍の場を全て義経にかっさらわれた(被害妄想か?)と

思い込んでいたからのようです。

義経は傲慢である、と伝えたようですが、

どっちもどっちという気がしますね。

さらにこの戦いでは、

夜須行宗という武将が軍功を挙げたのですが、

行宗が恩賞を願った際に、景時は「行宗などの名前は知らない」と言ったので

訴訟になったらしいのですよ。

しかし、行宗には証人がいたので、景時は訴訟に負けちゃったんです。

こういう姿勢も、周囲から総すかんを食らう原因となったようです。

その後も、畠山重忠に謀反の疑いがあるとチクったこともあったそうです。

これも結局は頼朝は許しているので

かなり話を盛り盛りにして悪者に仕立てようとしたみたいですね。

そして、

とうとう自分の首を絞めることまでやっちゃいます。

頼朝の死後、頼朝頼みの景時は幕府内でも孤立していきます。

なのに、

結城朝光が、

「忠君は二君に仕えず」という発言を、

頼家への不忠義と言い立ててしまいます。

このことを阿波の局(義時の妹)が朝光に告げ口をして、

それは大変なことだ・・となってしまったのだそうです。

これがある意味決定打になり、

三浦義村らが景時を訴える連判状を作成します。

なんと、これには66人の御家人が署名したのだそうです。

このことにより、景時は鎌倉を追放されてしまいます。

一応、頼家としては景時にも事情を聞いたようですが

景時は弁明をしなかったそうなんです。

あんなに、人のことをチクっていたのに自分の弁明はしない、

ってなんでかなあと疑問にも思いましたけどね。

これが1199年のことでした。

そして、翌1200年、

景時が上洛しようとした際に、

駿河国付近で在地武士と合戦となり一族は滅びてしまったのだそうです。



梶原景時の現在の子孫は?

梶原景時は息子ともども駿河国で命を落とします。

ここで、子孫全滅か・・・とおもったのですが差にあらずです。

景時には7人の息子がおりました。

そしてそれぞれの息子の子達がたくましく生き延びていった

という記録も残っているようです。

わかっている人では、

次男 景高の息子景継が幕府に再仕官したということ。

そして、その子孫は足利氏の被官にもなっているとのことです。

三男景茂の長男景俊は鎌倉に残ります。

そしてその子孫が鎌倉公方の奉公衆を務めたということです。

その子孫である梶原景久は織田家の家臣となります。

しかし、本能寺の変で信長とともに明智光秀に討たれたといわれています。

次男景永は、その子孫が中国、近畿地方へと拠点を広げていったということです。

四男梶原景義の子孫、梶原景秀は播磨國の高砂城主となっています。

初めは、毛利勢に加担していたものの、豊臣秀吉の中国攻めで秀吉の傘下に入ります。

その後、豊臣家の家臣である宇喜多氏に仕えることになったそうです。

このように、戦国の時代まで武将として生き残っている子孫がいるって

すごいことだなあと思いました。



梶原平蔵景時は歌舞伎では悪人役が多いのはなぜ?

梶原平蔵景時は、歌舞伎演目の中で悪人として描かれることが多いです。

史実の景時像からは、知的で有能な武士というイメージがあります。

子孫が全国各地で生き延びていったということも

それだけの能力が引き継がれていっていると思っています。

ただし、讒言で身を滅ぼすという一面もあり、

人格面ではどうなんだろうと思うところもありますね。

歌舞伎演目の、景時悪人像は、

源義経に関係があります。

歌舞伎演目には、源平の時代を描いた作品が多いのですが、

その中でも義経はヒーローとして描かれることが多いんです。

日本人は判官贔屓ですよね、

義経大好き、義経は頼朝のために働いたのに

不和になり結局滅ぼされてしまった悲劇の主人公、

そういうイメージが強いです。

そのイメージを強化して描くためには

悪役が必要です。

かといって、頼朝や北条家を悪役にはしづらかったんじゃないでしょうか?

そこで駆り出されたのが、梶原景時だったんじゃないかな。

というのは、

私の想像で何か根拠があるわけではないです。

江戸庶民に受けるにはヒーローと悪役が必須、

そこで戯曲作家の目に止まったんじゃないかという仮説から考えました。

では、最後に

梶原平蔵景時が登場する歌舞伎演目を紹介しますね。

中には、善人として描かれている作品もあるんですよ。



梶原平蔵景時が出演する歌舞伎演目を紹介

梶原平蔵景時は、複数の歌舞伎演目の登場人物となっています。

よく上演される演目としては、

「外郎売」「梶原平三誉石切」「義経千本桜」「寿曽我対面」などがあります。

「外郎売」と「寿曽我対面」

「外郎売」と「寿曽我対面」は

同じ場面設定ですが別の演目としてのストーリーがあります。

その舞台になるのが、

源頼朝が主催した富士の巻狩りです。

ここで、その準備、進行などを任された工藤祐経を祝う宴が催されるという舞台背景。

「寿曽我対面」では、工藤の周りを有力御家人たちや廓の傾城などが集まり

祝いの言葉を述べていきます。

そこに、工藤祐経を親の仇と狙う、曽我五郎、曽我十郎兄弟がやってきて、

命を取ろうとするのですが、

この重要な役目が終わるまで待て、それが滞りなく行われたらその時に討たれよう、

と言葉を交わすというお芝居です。

この居並ぶ大名の中に、梶原景時もいるのです。

と言っても、そんなに目立つことはないですね。

「外郎売」は、滑舌が良くなる薬を売りにきた外郎売に化けて、曽我五郎がやってくるというお芝居。

後半は、祐経の命をねらう五郎との立ち回りや止めに入る十郎、

そして最後は同じく再会を約束する、という流れです。

悪役というよりも頼朝側の大名という描かれ方ですね。

「義経千本桜」

「義経千本桜」では、すし屋の場に登場します。

これは、平維盛の首とその妻子を差し出せと迫る

頼朝方の重臣という役柄です。

この場の主人公いがみの権太、その父らを善とすると

敵役ということになるんですね。

「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」

最後に「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」という

お芝居を紹介します。

この、景時はいい人なんですよ。

この芝居の背景は、平家全盛の時代です。

景時は、平家方の武将なのですが、

刀鍛冶の親父に刀の目利きを頼まれた時に、

それは頼朝再興に必要なものと読み取って周囲を欺き、

頼朝再興のために手を貸すという物語です。

ここでは、平家にくみしているけど内心源氏方というかっこいいお役です。

 

こうやって紹介すると

悪役とは限らないなと思いました。

いかに、景時=悪役のイメージが強いのか、、って思っちゃいました。

歌舞伎には、源平時代を舞台にした作品がたくさんあります。

その中で描かれる登場人物は

実在の人、架空の人様々ですが、

とても魅力的に描かれているので

興味を持った方には是非ご覧いただきたいなあって思います。

梶原景時を歌舞伎に見に行く、ってなかなかオツですよ。

読んでくださり、ありがとうございました。



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