18代目中村勘三郎さん。
ご逝去されてから、13年が過ぎましたが、その人気は衰えることはありません。
中村勘三郎さんが生きていらしたら、、と思うことがなん度もあるほど、忘れ難い名優です。
残念ながら亡くなられた原因や、その死を招いたがんという恐ろしい病、さらには医療ミスなのでは?という疑いまで調査してまとめました。
中村勘三郎さんが安らかであることを願ってこちらの記事にまとめさせていただきましたので、お読みください。
中村勘三郎の死因、享年は
中村勘三郎さんの訃報は、車を運転中にラジオのニュースで知りました。
え?と一瞬頭の中が真っ白になり、路肩に一時駐車をしたことを覚えています。
あれは、2012年の12月5日のことでした。
報道によると、5日の午前2時33分に入院していた都内の病院で息を引き取ったそうです。
死因は、急性呼吸窮迫症候群というもの、
何それ?って思いました。
だって、癌で入院、手術も成功、って聞いていたから
そんな聞いたこともない病名で命を落とすなんて
思ってもいなかったからです。
当時、ご遺族から出されたコメントの全文です
皆様へ
中村勘三郎は、7月27日、患った食道がんの手術をしていただきました。
12時間に及ぶ大手術となりましたが、手術は成功し、術後経過も順調で病棟内を歩くほどに回復しました。
しかし、経過中に肺炎を発症し、その後、肺炎による呼吸不全が進行するという事態に陥りました。この肺炎による呼吸不全は思いのほか、重症であり、呼吸不全に対する専門的な治療を行える病院へと、二度にわたり転院をし、考え得る最高の治療をしていただきました。
本人も病気に立ち向かい、手術から約4か月に及ぶ闘病が続きました。
その間、来年4月の歌舞伎座こけら落しに出演することを、心の依り所とし、癌晴って参りました。
医療スタッフの方々も懸命な治療をなさって下さいました。
けれども遂に、回復する事は叶わず、無念の内に、本日12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため永眠いたしました。
生前、中村勘三郎を長くご贔屓頂いたことを心より感謝いたします。
享年は57歳でした。
まだまだ、役者では幹部クラス、
舞台の座頭を務める柱的な存在ではありましたが、
大幹部と呼ばれる先輩たちの前では
学ぶ姿勢を崩さない方でもあったと言われています。
今ですら、勘三郎さんがいたら歌舞伎界はどうなっていたか?
と考えてしまうほど、影響力が大きな方でもありました。
だからだと思うのですが、
勘三郎さんの死因や、手術にまつわる疑問、噂がやたらと飛び交いました。
あれから12年が過ぎた今、私はもう一度その事実を知りたいと思っています。
屋号 中村屋
定紋 角切銀杏
生年月日 1955年5月30日
没年月日 2012年12月5日(57歳没)
本名 波野哲明
襲名歴 1. 五代目中村勘九郎
2. 十八代目中村勘三郎
別名 藤間勘暢(日本舞踊 藤間流)
猿若勘三郎(日本舞踊 猿若流)
出身地 東京都
祖父 三代目中村歌六(父方)
六代目尾上菊五郎(母方)
父 十七代目中村勘三郎
母 波野久枝(六代目菊五郎の娘)
兄弟 波乃久里子(長姉)
澤村千代枝(次姉・二代目澤村藤十郎の妻)
妻 波野好江(七代目芝翫の娘)
子 六代目中村勘九郎(長男)
二代目中村七之助(次男)
wikipediaより
中村勘三郎の死因、急性呼吸窮迫症候群とは?
中村勘三郎さんの直接の死因は、急性呼吸窮迫症候群でした。
これは、ARDSとも言われています。
群という文字が最後につく通りに、単一の病名ではないのだそうです。
様々な要因による肺の損傷から生じる重度の呼吸不全の総称で、
原因には、記憶も新しいコロナウイルス感染も含まれます。
肺炎や敗血症、高度の熱傷などもその要因となるそうです。
肺の内部に侵出液が溜まってしまうと、
肺に酸素を正常に取り込めなくなり、重度の呼吸不全を発症するのだそうです。
肺炎などのウイルス侵入は直接的でわかりやすいのですが、
胃内容物の誤嚥、高濃度の酸素吸入、薬物の影響なども
間接的にこの症状を引き起こすことがあります。
勘三郎さんの場合、手術は成功したものの、肺炎を発症し
それがこの急性呼吸窮迫症候群を引き起こしたと言います。
原因はどうあれ、呼吸ができないというのはとても苦しい状況なので、
勘三郎さんがそこまで苦しんでいないことを今更ながら願います。
中村勘三郎は食道がんの手術は失敗だった?
中村勘三郎さんは、2011年から2012年5月にかけて
長期にわたる歌舞伎公演に出演されていました。
最後の公演は、2012年5月の平成中村座でした。
「めぐみの喧嘩」の辰五郎と、「梅雨小袖昔八丈」の髪結新三を
演じられました。
その後6月に食道がんを公表し、入院します。
手術は、前掲のコメントにもあるように
7月27日に実施、なんと12時間にも及ぶ手術だったそうです。
術後の経過は良好で、院内を歩くこともできたと報告されていました。
しかし、呼吸器系の専門医に言わせると
食道がんで12時間かかることはない、のだそうです。
大体が6〜7時間なので、
12時間かかったということは、他にも疾患があったのではないかとか、
術中に何か深刻なことが起きたのではないか、という見方もあるようでした。
実際の手術は成功、ということですが、
その内容がどうなのかは私たちにはわかりません。
結果的に、命が助からなかったことで
手術を失敗と見る人もいるようです。
中村勘三郎が食道がんの手術をした病院は?
中村勘三郎さんが、食道がんの手術を受けたのは、
東京都江東区にある「がん研有明病院」です。
ここでの手術は上記の通り、成功とみなされています。
しかし、肺炎を発症したことから、
呼吸器官を専門に治療する病院へ2回転院をしています。
最後に息を引き取ったのが文京区にある
日本医科大学付属病院ということなので、
この間にもう一つ病院があったようです。
ご家族としては、がん研は癌の専門医ではあったけど
呼吸器系疾患の治療には専門とは言い難かったため
病状に合わせた専門病院に転院させたのでしょう。
私がそれをできたか、というと、
知識もコネもお金もないから、オロオロしてしまったでしょうが、
中村勘三郎さんが最後に入った病院は歌舞伎役者がよく使われていたということなので、
そういう後方支援を受けながら治療を進めていたのだろうなって思いました。
この12月という月は、京都の南座で顔見世と言われる公演が上演されていました。
これは、勘三郎さんのご長男、6代目中村勘九郎さんの襲名披露公演も兼ねていました。
勘三郎さんがお亡くなりになった当日も、
勘九郎さんも七之助さんも京都という地での公演に出演されており
その辛さ、悲しみは、想像すると今でも苦しい思いがします。
中村勘三郎、医療ミスではなかったがそう言われる理由とは?
中村勘三郎さんの死因と、死に至る経緯をここまで書いてきました。
最後に、「医療ミス」ではなかったのか?
という疑問についても調べてみました。
「がん治療で殺されない七つの秘訣」という本があります。
著者は、近藤誠(2022年に他界)さんとおっしゃる方で、
医師であり癌の放射線治療の専門家であったということです。
その本の中で、勘三郎さんが受けた手術はリスクの高いものであり、
食道がんの場合は、手術ではなく放射線治療など、
他の方法であれば助かったのではないかと書いています。
これは一つの仮説です。
2013年の2月には、長尾和宏医師(尼崎市でクリニックを開業)が
近藤医師の説に対し、以下のような説も述べていました。
・手術自体は完全に成功
・術後に大量の嘔吐があり、胃液が肺に流れ込んで呼吸不全に陥った→誤嚥性肺炎
・術前の肺が弱っていた、大きさが通常の人の3分の2
・術後の経過観察で動脈に二酸化炭素が溜まっていた
・抗がん剤治療と手術は問題ではないが、放射線治療の余地はあった
ということから、医療ミスではない、ということでした。
これらから私が思ったことは、
手術前に公表されていた情報と実際の状態とには差があったようで、
元々が難しい病状だったにもかかわらず、
それを知らずに結果が起きてしまったことが
これは何かあるんじゃないか、、と
医療ミス論が出たのではないかなあということです。
非常に残念ですが、中村勘三郎さんは病に打ち勝てなかったということなのですね。
中村勘三郎の本当の死因は?
さて、ここまで、中村勘三郎さんの死因や死にまつわる情報を書いてきました。
実際の真実は、私にはわかりませんが、
調べたことから考察すると
中村勘三郎さんの候補湯している死因とは別の
本当の死因があるように思いました。
医療の専門家ではない私ですが
私なりにまとめた考察を最後に書いて終わりにします。
中村勘三郎さんの直接的な死因は、
急性呼吸窮迫症候群のため黒油不全に陥ったことでした。
この状況を引き起こしたのが
食道がん等への手術を含む治療と肺の基礎疾患でした。
食道がんと言われていましたが、リンパ節への転移も判明しており、
そもそも手術自体が難しいものでありました。
それをなんとか乗り越えたものの、
不運にも誤嚥性肺炎を発症し、
弱った肺ではそれを乗り越えることができなかったのです。
病気を治す、とよく言いますが、
直すのは医者ではありません。
病気にかかった当人の身体です。
医者や医療行為は、それを助けるものであり
それが複雑に絡み合うほどに治すことは難しくなります。
中村勘三郎さんの場合、
肺の損傷と癌の発生が同時に起きていたため
一つ、一つとクリアしていっても
最後までは治しきれずお亡くなりになったのではないかと思いました。
そして、これらを引き起こしたのが過度の喫煙であるとも言われています。
確率の問題でしかありませんが、もし勘三郎さんが喫煙していなければ、
肺が健康な状態であれば、難しい治療でも乗り切れたかもしれない
と考えるととても虚しくなります。
今回、改めて中村勘三郎さんがなぜ亡くなったのかを調べて、
健康は自分で作るものだと実感しました。
私は、中村勘三郎さんのお芝居を見るのがとても好きでした。
今は、映像でしか見られませんが、
映像で見てもやっぱり心を揺り動かされる役者さんです。
息子さんの中村勘九郎さん、中村七之助さんも
とても素晴らしい役者さんだと思っています。
勘三郎さんの分まで、中村屋のお芝居を観ていこうと思っています。
だから、役者さんたちはご自身の健康に留意してほしいとつくづく思ったところです。
お読みくださり、ありがとう存じまする。
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