坂田藤十郎の息子、中村鴈治郎の家系図、息子は中村壱太郎。紫綬褒章受章の上方歌舞伎役者

中村鴈治郎さんは、上方歌舞伎で人気が高い歌舞伎役者です。

父の坂田藤十郎さん、兄の中村扇雀さん、息子の中村壱太郎さんともに

歌舞伎一家の長男さんです。

令和初の褒賞に670名が選ばれ、歌舞伎界からは四代目中村鴈治郎さんが受章することとなりました。

上方歌舞伎の発展に尽くした東京育ちの歌舞伎役者、

中村鴈治郎さんについて今日は紹介します。



四代目中村鴈治郎のプロフィール

四代目中村鴈治郎 本名:林 智太郎(はやし ともたろう)

生年月日 1959年2月6日

家系 父:四代目坂田藤十郎、母:林寛子(扇千景)、

妻:二代目 吾妻徳彌(日本舞踊吾妻流六代目家元・三世宗家)、息子:初代中村壱太郎

弟:三代目中村扇雀、甥:初代中村虎之助

最終学歴 慶應義塾大学法学部

屋号 成駒屋

定紋 イ菱

芸歴 1967年「紅梅曾我」一萬丸役で中村智太郎を名乗り初舞台

1995年「封印切」亀屋忠兵衛役他で五代目中村翫雀を襲名(中座)

2015年「廓文章」藤屋伊左衛門役、「封印切」亀屋忠兵衛役で四代目中村鴈治郎を襲名(大阪松竹座)

2019年 紫綬褒章を受章

あれ?大学は慶應義塾大学?

実は、鴈治郎は東京育ちです。

1980年代から段々と関西へ拠点を移して行ったということです。

また、名門の長男ですが、舞台に上がったのは小学校3年生の時、

これは遅いスタートと言えます。

このことについては次の章で説明しますね。



四代目中村鴈治郎は坂田藤十郎の息子、息子は中村壱太郎、家系図は?

先のプロフィールにも書きましたが、少し補足していきます。

中村鴈治郎の父は、四代目坂田藤十郎です。

現在の歌舞伎俳優の最高峰と言われる役者です。

齢88歳で舞台に立ち続ける、歌舞伎界の至宝ですね。

その妻である母は、元参議院議員であり議長も務めた扇千景さんです。

ここだけでもすごいお家にお生まれだなあと思ってしまいます。

弟さんの中村扇雀さんも歌舞伎役者です。

主に女形を務めることが多い役者ですが、

顔立ちがキリリとした品のよい女性がぴったり合う方です。

妻は、舞踊家の吾妻徳彌、現在は家元の座を息子吾妻徳陽(中村壱太郎のこと)に譲り、

宗家の座で後進の指導にあたっているそうです。

そして、息子は初代中村壱太郎。

若手立役の歌舞伎役者としての活躍もさりながら、

舞踊家吾妻徳陽としても、新境地を開いているところです。

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その坂田藤十郎さんですが、2020年11月12日にご逝去されました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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小学校3年生でのスタートとは、この家族の方針だったそうです。

2歳下の弟(三代目中村扇雀)の小学校入学を待っていたからだそうです。

まだ言葉もたどたどしいうちから舞台に立っている他の役者さんに比べると、

少なくて苦労したこともあったんじゃないかなあ~。

さらにさらに、学校で学んでいる間は舞台に立たせないという

方針もあったということで、

大学を卒業してから就職するように歌舞伎の世界に入ったんですって。



四代目中村鴈治郎、関西弁の壁を乗り越え上方歌舞伎の発展に尽くす

中村鴈治郎の本来の家は関西でした。

しかし、鴈治郎が生まれた頃は、

ちょうど関西の歌舞伎が低迷していた頃で、

仕事を探して両親は東京に居を移していたそうです。

前の記事の片岡仁左衛門もそうなのですが、

関西で演劇の興行があるのが何ヶ月あるか・・・という状態だったそうで、

東京に移住した上方の役者は多かったようです。

鴈治郎の家もその例に漏れずで、

生後8ヶ月で東京にやってきてそのまま東京で育ったそうです。

その後大学卒業まで舞台に立つ機会がなかった鴈治郎、

色々と苦労します。

その一つが、経験不足から役がつかないということ。

もう一つは、お家の芸を継承するにも

東京育ちの彼には関西弁が喋れないという意外な壁もあったということ。

関西で芝居を上演する仲間について行って、

そこで芝居をやりながら人脈を広げたそうです。

苦手な関西弁も、その人脈を通じて身につけることができたらしい、

今でいうコミュニティラーニングの走りですかね。

2001年には、大阪に部屋を借りて

そちらで生活をするようにしたら、段々と仕事も入ってきたのだとか。

そうこうするうちに、関西の役者として

認められるようになっていったということ。

名門の御曹司だけれど、見えないところでのご苦労はあったようですね。

2015年の襲名を機に、

住民票も大阪に移し、関西での興行で舞台に立つ日々。

それでも東京に比べれば、まだ劇場も少ないし、

上演回数も少ないとのことで、大阪での芝居の発展を願っているようです。

東京の劇場には、東京以外からもお客さんが来るので、

大阪もそうなればいいということ、

街と街が通りでつながればもっと魅力が増す、というのが持論で、

街づくりにもその思いは飛んでいるようです。



四代目中村鴈治郎、祝!令和初の紫綬褒章受章

5月吉日、嬉しいニュースが舞い込みました。

令和初の褒賞で、

五代目中村鴈治郎が紫綬褒章を受賞したのです。

スタートが遅かったり、関西という基盤の問題もありましたが、

歌舞伎は年月をかけて技も人気も作って行く芸能です。

「同世代の役者と差があって。でも長くやれる仕事なら差はいつかなくなるのでは、とも考えました。役者でよかったと今思います」

と、語っていました。

芸域が広かった祖父である、二代目中村鴈治郎の芸風を

目指してはいますが、

80過ぎても舞台に立ち続ける父の背中も見ていて、

還暦の今、20年後を思うのだそうです。

この受賞を機に、上方歌舞伎の発展とご本人のご活躍を

祈念せずにはいられません。

まだこれからもどういう技を見せてくれるのか

先は楽しみな役者でもあります。

今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。