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八代目大谷友右衛門(明石家)、兄は中村雀右衛門、息子は大谷廣太郎、大谷廣松。気になる家系と映画との関係

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今日は、八代目大谷友右衛門を紹介します。

歌舞伎の舞台では、お殿様や貴族など、

品格のある役を演じることが多い、ベテラン役者です。

実は、この方先日紹介した五代目中村雀右衛門とは兄弟なのです。

なのに、なぜか名前、屋号が違います。

その理由は???

その前に、プロフィールを見ていきましょう。



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八代目大谷友右衛門、そのプロフィールと父・弟・息子と家系の秘密

八代目大谷友右衛門 プロフィール

大谷友右衛門 本名:青木知幸(あおき ともゆき)

生年月日 1949年2月23日

父 四代目中村雀右衛門

母 青木晃子(七代目松本幸四郎の娘)

弟 五代目中村雀右衛門

息子 大谷博太郎・大谷廣松

屋号 明石家

定紋 丸十

初舞台 1959年 「勧進帳」太刀持ち役 二代目大谷廣太郎襲名

襲名 1964年 「ひと夜」 八代目大谷友右衛門襲名

 

家系を見ると、家族揃って歌舞伎役者ということがわかります。

しかし、なぜか父と弟の名前が違いますね・・・。

その秘密を次に書いていきます。



八代目大谷友右衛門の家系の秘密 なぜ兄弟で名前が違うの?

家系にあるように、父と弟の名前は中村雀右衛門です。

しかし祖父の名は六代目大谷友右衛門なんです。

あれ?七代目がいませんね・・・。

実は、七代目大谷友右衛門とは、父である四代目中村雀右衛門のことなのです。

ややこしいですね~~~。

本来は、大谷友右衛門の明石家が元の家なのですよ。

お父様も初めは七代目大谷友右衛門を名乗っていました。

しかし、戦争によりその運命は一転します。

1942年に徴兵を受け出征、1946年に無事に戻り、

役者として活動を再開していた時のことです。

戦死してしまった親友の母親に頼まれて、

親友が継ぐはずだったその家の名、

四代目中村雀右衛門を次ぐことになってしまったのです。

それが1955年のことでした。

実家、大谷家の名前は長男の八代目大谷友右衛門(当時二代目大谷博太郎)が

継ぐことになりました。

父はその後中村雀右衛門の名を不動のものにし、

その名が弟に引き継がれた(死去後襲名)ことから、

父・弟と違う名前の家を守ることになったのです。

ちなみに、2人の息子は現在歌舞伎役者として活躍中です。

長男が大谷博太郎、次男が大谷廣松。

若い2人の舞台にも今後は注目していきたいところです。

*中村雀右衛門については、こちらにも書いていますので、よかったらお読みくださいね。

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大谷友右衛門と映画の関係は?

もう一つ、大谷友右衛門とググると、

「映画」というキーワードが出てきます。

これは、父の七代目大谷友右衛門(四代目中村雀右衛門)のことです。

この方は、実は映画スターでもありました。

若い頃の写真を拝見すると細面の2枚目です。

1950年から1954年まで、「佐々木小次郎」を始め、

多くの映画に出演されたそうです。

だから、関連キーワードとして出てきてしまうのですね。

でも、こちらは当代の大谷友右衛門ではありません。

八代目は歌舞伎一筋です。

2枚目のお殿様、位の高い公家さまなど、

渋い魅力で舞台を引き締めてくださるベテラン役者なのです。

今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。



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