歌舞伎役者中村莟玉さん、初めて見た時の
かわいらしさに惹かれました。
当時は中村梅丸という名でしたが、
2019年中村莟玉(かんぎょく)を襲名し、
それからは女方に加えて立役でも凛々しさを発揮しています。
中村莟玉さんは、実は一般家庭から歌舞伎界へ入った方でもあります。
この記事では、中村莟玉さんが歌舞伎役者になった経歴を
親、学歴、身長などのプロフィールとともに紹介します。

中村莟玉(なかむらかんぎょく)wikiプロフィール、身長・家系・高校大学・本名は?
中村莟玉さんは、歌舞伎のお家ではなく、
一般家庭から部屋子となり、
そこから役者人生がスタートした方です。
そのプロフィールはこちらにまとめてみました。
中村莟玉(梅丸)
本名:森正 琢磨(もりまさ たくま)
生年月日 1996年9月12日生まれ 29歳
身長 163cm
学歴 都立白鴎高校卒業
家系 中村梅玉の部屋子から芸養子となる
*7歳から見習いとして通い、10歳から部屋子として師事
屋号 高砂屋
定紋 祗園銀杏
初お目見え 2005年 「御ひいき勧進帳」冨樫の小姓役 本名で出演(国立劇場)
部屋子披露 2006年 「沓手鳥孤城落月」小姓神矢新吾役、
「関八州繋馬」里の子竹吉役で中村梅丸を名のる(歌舞伎座)
新歌舞伎「NARUTO−ナルト−」春野サクラ役 などを演じる
2019年11月 「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき) 菊畑」の虎蔵(実は源牛若丸)役で初代中村莟玉(かんぎょく)を襲名
中村莟玉さんは東京都出身、
高校は都立白鴎高等学校です。
台東区にある公立中高一貫校で、偏差値は中の上くらいですね。
落ち着いた校風とのことで、大学の進学率も高そうです。
莟玉さんは、お稽古をしながらここで学んでいたのでしょうね。
卒業後は大学には進学せずに歌舞伎役者の道へ進まれました。
中村莟玉、身長サバ読みしてる?
中村莟玉さんは小柄です。
身長は、163cmと公式サイトで公表されています。
それをサバ読み?というのはなんでかな?
そういう声があるようなんです。
他の方と見比べてみても、公表された身長とは違いなさそうです。
この画像の一番左側にいるのが莟玉さんです。
隣の中村隼人さんが、175cmの身長ですから、
170cmよりも低そうですね。
こちらは尾上右近さんとご一緒の画像です。
右近さんとは同じくらいの身長に見えますね。
右近さんの身長は170cmということなので、
やはり、ひょっとして右近さんがサバ読み?
なんて考えちゃいましたよ。

中村莟玉(かんぎょく)の彼女はいるの?結婚は?
くりっとした瞳、にこやかな表情、
かわいいと言われる中村莟玉さんも、29歳の凛々しい男性です。
彼女の存在が気になるところです。
調べてみたところ、
まだ、それらしき情報はどこにも出ていませんでした。
一般家庭から、部屋子になり、
あっという間に活躍の場へと登ってきたところ、
まだお稽古や芝居の勉強に力を注ぐ時なのかもしれません。
そろそろ、年齢的には結婚も視野に入りますね。
ちなみに、好きなタイプは
・芯がある人
・落ち着いている人
・リラックスできる人
だそうです。
なかなかに古風なタイプが好みなのかなあと思いました。
中村莟玉の父は中村梅玉?実の両親が他にいる?
中村莟玉さんの歌舞伎界での父親は中村梅玉さんです。
これは、歌舞伎によくあるしきたりで、
芸養子ということで、お家の名前を継がせるために、
他の家から養子を取るのです。
中村莟玉さんの実のご両親は、本の出版の仕事をしていたそうです。
母親が歌舞伎好きだったこともあり、
よく劇場にも連れて行ってもらっていたようです。
それ以上、詳しい情報はなくて
一般人だからか莟玉さんもご両親については
あまり口にしたことはありません。
でも、我が子の好きな道を応援する親御さん、
とても深い愛情が感じられますね。
きっと、莟玉さんの舞台にも精力的に
足を運んで、応援していらっしゃるのではないかなあ〜
中村莟玉、一般家庭から歌舞伎役者への日のりは?
中村莟玉さんは、お母様が歌舞伎好きだったことから
幼い頃から自宅ではテレビで歌舞伎を見ていたそうです。
実際に公演を見たのは、2歳の時、
それ以来歌舞伎にはまり、
演目のあらすじも覚えてしまうような子だったそうです。
2歳でハマる・・・ってすごいですよね。
私は、2歳の頃のことは全く覚えていません。
そんな莟玉さんが歌舞伎界へ入ることになったのが7歳の時。
観劇の幕間に、斬られ与三郎の真似をして、
手ぬぐいでほおかむりをしていたところ、
日本舞踊の花柳福邑(はなやぎ ふくむら)先生のめにとまり
日本舞踊のお稽古に通うようになったのです。
この時、イメージしていたのが片岡仁左衛門さんだったそうで、
すごくいい男になった気分で劇場を歩いていたのでしょうね。
それからお師匠さんが中村梅玉との縁を取り持ったことから、
見習いとして梅玉のお手伝い、そして修行をするようになったとか・・・。
通い始めた頃は、
憧れの役者の世界を目の前にして、
夢のようだったと言っています。
辛いと感じたことはなく、
楽しんでお稽古を続けてきたそうです。
好きで好きで、それを言葉や行動で表しているうちに、
本当に憧れの場へと道がつながる、
そういう意味では莟玉(梅丸)さんはシンデレラボーイとも言えそうです。
そして、2005年、9歳で初舞台を踏みます。
当時は、本名をそのまま名のっていました。
そして、その翌年は中村梅丸の名をいただきます。
その頃のことを、次のように語っています。
「緊張よりもただただ楽しくて、嬉々としてやっていました。
怖いもの知らずでした。
初舞台の後、歌舞伎に必要な稽古事をさせていただくようになりました。
そして、まさかの・・・梅丸を名のって部屋子披露。
梅丸のお名前をいただき、ありがたいことにいろいろなお役を頂戴しました。」
師匠、一門の並々ならぬ期待がうかがえるデビューだったようです。
その後も、一つずつ役を増やし、
「刀剣乱舞」の膝丸、「仮名手本忠臣蔵」の大星力弥と
古典に新作に、積極的にチャレンジされています。
期待の若女形といったところですね。
中村莟玉、中村梅玉師匠からの教えは「謙虚に」
中村梅丸の師匠は、中村梅玉です。
私の持っているイメージは、
いぶし銀、通好みの役者、というところ。
凛として、気品があり核の高さを滲ませる役が
うまいなあと感じます。
2月の歌舞伎座でも、
「名月八幡祭」で芸者美代吉を案じ助けようとするお殿様を演じ、
舞台を引き締めていました。
先に書いた、「當年祝春駒」では、
曽我の兄弟から仇と狙われる工藤祐経を堂々と舞い、
それこそ弟子の莟玉(梅丸)と華やかな舞台を盛り立てていました。
その師匠から、莟玉(梅丸)が言われていることは、
「舞台でも楽屋でも謙虚に」
ということだそうです。
普段が舞台に出るからということ、
基本的なことを大事にしている一門であることをうかがわせる言葉です。
莟玉(梅丸)も、この点をしっかり心に留め、守っているのでしょうね。
なんか、この師弟関係、ピッタリだなあって感じました。
観る側の気持ちを知るために、舞台稽古を3階席から観ることもあるのだとか。
いやあ、なかなかに真面目な好青年ということが伝わってきます。
これからは、立役も女形もどちらも勉強して行きたい、
付け焼き刃ではなく普段の稽古できちんと身につけていきたいと、
そんなことも語っている莟玉(梅丸)です。
私は、パッと見の綺麗さに惹かれましたが、
これからの成長に期待しながらお役を見ていきたいと思いましたよ。
中村莟玉、ついに、インスタグラムデビュー!
中村莟玉(梅丸)が、ついにインスタグラムに
デビューしました。
これから、可愛い素顔も見られるかもしれません。
ぜひチェックしてみてくださいね。

今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。


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