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松浦の太鼓(歌舞伎)のあらすじとセリフの謎?登場人物見どころも紹介

歌舞伎演目
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歌舞伎演目「松浦の太鼓」、忠臣蔵外伝として人気のある作品です。

主人公の松浦公は、故中村吉右衛門さんの当たり役の一つで、

秀山祭でも度々上演されました。

あらすじもセリフもわかりやすので、初心者でも楽しめる演目です。

ここでは、あらすじ、セリフ、登場人物を紹介します。

 



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歌舞伎松浦の太鼓とは?

歌舞伎「松浦の太鼓」は、

1856年森田座で忠臣蔵外伝として上演された

「新台いろは書始(しんぶたいいろはかきぞめ)」を基に、

1900年に「松浦の陣太鼓(まつうらのじんだいこ)」として上演されました。

初代中村吉右衛門が当たり役としたことから、

2代目中村吉右衛門さんも自身の役として大事に務めていらっしゃった演目です。

忠臣蔵外伝と呼ばれるのは、

松浦公は赤穂浪士びいき、お屋敷は吉良家の隣にあったことから、

赤穂浪士の討ち入りの際に灯りをともして支援したという設定にあります。

お芝居でも、赤穂浪士の一人である大高源吾を巡って

ストーリーが進む場面があります。

場面転換もなく、言葉もわかりやすいので、

初心者でも楽しめる演目です。

見どころは、大高源吾の連歌の意味、松浦公の子供のような感情表現、

最後の本懐を遂げた源吾との対面など、

小品ながら色々な楽しみどころがあります。

 



松浦の太鼓(歌舞伎)のあらすじは?

松浦の太鼓 序幕:両国橋の場

時は、元禄15年12月13日。

雪が降り積もる両国橋で、俳諧の宗匠宝井其角が

赤穂浪士の大高源吾に出会います。

源吾は子葉という俳名で其角から俳句を学んだ親しい関係です。

その縁から、源吾の妹お縫を、平戸藩主松浦鎮信公のお屋敷に

奉公を仲立ちしています。

煤竹売りに身を落とした源吾を気の毒に思った其角は仕官を勧めますが、

源吾は、町人の方が楽とその誘いを断ります。

其角は、松浦公から拝領した紋服を譲り

別れ際に歌を詠みます。

「年の瀬や水の流れと人の身は」

との上句に対し、

「明日またるるその宝船」と

下の句を返し去っていきます。

 



松浦の太鼓 二幕目第一場:松浦邸の場

翌14日、松浦公は其角を招いた句会を楽しんでいます。

そこに、源吾の妹お縫が姿を表すと、

松浦公が不機嫌になります。

其角はなだめようとしますが、

前日に大高源吾に会って、紋服を揺すった話をすると、

松浦公はさらに不機嫌になります。

理由を尋ねる其角に対し松浦公は、

大石内蔵助を筆頭にした赤穂浪士が

なかなか吉良邸に討ち入らず、

それどころか遊郭で遊び呆けていたり、

源吾も煤竹売りをしていたりと、

忠義を忘れた様子に憤りを隠せないということでした。

松浦公の屋敷は吉良家の隣ですが、

もともと学問を通じて大石内蔵助と同門弟だったことから、

密かに赤穂浪士に同情していたのです。

義を重んじる松浦公にとっては、

赤穂浪士は不忠者、

その妹お縫を召しかかえることは、

家の恥とも思っていたということでした。

それを知った其角は、お縫を伴いその場を去ろうとします。

去り際に、

前日にやり取りした連歌を伝えたところ

松浦公はその意味を考え始めます。

その時、隣家から陣太鼓の音が聞こえてきました。

松浦公は、赤穂浪士が討ち入ったと覚り、

灯りをつけて浪士の本懐を手伝うように家来に指示をします。

源吾の歌は、討ち入りの心情を表した者だったのです。

そして自分も出陣の用意をするのでした。

松浦の太鼓 第二幕 第二場 松浦邸玄関先の場

松浦公が吉良邸へ向かおうとするのを

玄関で家臣が制している時、

子葉と名乗る男が面会に来ていることが伝えられます。

松浦公は招きいれると、

火事装束に身を固めた大高源吾が現れ、

見事本懐を遂げたことを報告します。

其角は今生のわかれに辞世の句を言語に求めます。

それに応える源吾。

松浦公は源吾の武士としての心意気に打たれ、

お縫は生涯面倒を見ると約束します。

そして、彼らの忠義を讃えるのでした。

 



松浦の太鼓登場人物、お縫とは?源吾とは?

松浦の太鼓の主な登場人物を紹介します。

松浦鎮信 平戸藩主、吉良邸の隣に住む。密かに赤穂浪士を応援している。

宝井其角 俳諧の宗匠。大高源吾とは旧知で妹のお縫を松浦公へ仲立ちする

お縫 大高源吾の妹。其角の仲立ちで松浦公に奉公している

大高源吾 赤穂浪士の一人。世を偲び、煤竹売りで生計を立てている

この他に、句会に招かれる大名や松浦家の召使いなどが登場します。

後半は、馬も出て来ます。

 

中村吉右衛門さん当たり役の松浦公が大好きでした。

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松浦の太鼓(歌舞伎)のセリフの謎は連歌にある!

松浦の太鼓では、俳諧が重要な意味を持っています。

松浦公自身が俳諧をたしなむことや

宝井其角を招いての句会が舞台にとって重要な場になるからです。

そして何よりも大きな意味を持つのが、

其角と源吾が交わす連歌です。

連歌というのは、日本の古来に普及した伝統的な詩形の一種です。

5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて

詠んで一つの歌にしていく詠み方です。

討ち入りの前の晩、

其角が源吾に詠みかけたのが

この連歌の発句です。

それに答えて源吾が返したのが脇句になります。

繋げると、

「年の瀬や水の流れと人の身は 明日待たるるその宝船」

となりましたね。

最初、其角は、

大高源吾がどこかに仕官して懐を潤わせるものと読み取り

怒っていたんです。

しかし、松浦公はこれを本懐を遂げる覚悟と読み取りました。

まさにその時、討ち入りの太鼓が響くのです。

この連歌の謎解きが「松浦の太鼓」という作品のキーポイントになっています。

討ち入りを知った松浦公が、

「でかした、褒めてやれ褒めてやれ」というセリフがあるのですが、

2代目中村吉右衛門さんの追善公演で

吉右衛門さんの実兄松本白鸚さんがこのセリフを言った時は

胸が締め付けられるようで涙涙で聞きました。

これから、この演目を見るたびに、

2代目中村吉右衛門さんの大らかな演技や、

松本白鸚さんの悲しみをこらえたセリフを思い出しそうです。

ぜひ、ご一見ください。

読んでくださり、ありがとう存じまする。

松浦公が心に沁みた松本白鸚さんについてはこちらもお読みください

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