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妹背山婦女庭訓(歌舞伎)のあらすじ、人物相関図、見どころは?

歌舞伎演目
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妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)は、

歌舞伎の中でも王代物の大作と言われる演目です。

国立劇場さよなら公演で、27年ぶりの上演となった

本作品の魅力を、登場人物やあらすじ、見どころを交えてお伝えしますね。




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妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)とは?

妹背山婦女庭訓は、1771年(明和8年)に

大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演され、

同じ年に歌舞伎としても上演され、人気を博しました。

時代設定を大化の改新前後とし、

藤原鎌足による、蘇我入鹿討伐を縦軸に、

大和の地域に伝わる伝説を横糸に取り込んでいます。

作者は、近松半二です。

近松半二は、「本朝廿四孝」「新版歌祭文」「近江源氏先陣館」などの

人気の時代物を手がけた作者です。

この妹背山婦女庭訓は、

三幕めの「吉野川」に代表される

舞台美術にも優れた効果を発揮しており、

視覚的にも楽しめる作品であることも

人気を後押ししているといえます。

私も、なかなか見ることができない大作を

国立劇場の公演で拝見し、

心情に迫る役者さんの演技と様式美に陶酔しました。



妹背山婦女庭訓の人物相関図

妹背山婦女庭訓の舞台が大化の改新前後で、

それにまつわる歴史的な人物と

架空の人物が相互に入り混じって物語に厚みを持たせています。

こちらは、登場人物の相関図です

歌舞伎演目案内(https://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1176/?tab=jinbutsu)から引用させていただきました。

 

主な登場人物を次に紹介します。

 

天智帝:帝、蘇我蝦夷・入鹿親子の謀反に合う

藤原鎌足:帝の重臣、蘇我入鹿討伐を行う

藤原淡海:藤原鎌足の息子、入鹿討伐を行う

采女局:帝の寵愛を受けていたが蘇我蝦夷子のお陰謀で疎まれる

大判事清澄:紀伊の国の領主

久我ノ助清舟:大判事の息子、采女局の付き人、雛鳥と恋に落ちるが

定高:大判事と対立する大和国の領主太宰家の後家

雛鳥:定高の娘、久我ノ助と恋に落ちる

お三輪:杉酒屋の看板娘、求女に一目惚れし、嫉妬のあまり追いかける

橘姫:入鹿の妹だが、求女に恋をし、許婚となる

漁師鱶七 実は金輪五郎今国:鎌足の家来

宮腰玄蕃:入鹿の家来

蘇我入鹿:蝦夷子の息子、謀反を起こし暴政を行う

 

これらの人物を頭に入れてお芝居を見ると

わかりやすいと思います。



妹背山婦女庭訓のあらすじを簡単に!

妹背山婦女庭訓は、序幕から5幕目までとなります。

序幕

大内の段

春日野小松原の段

蝦夷子館の段

 

天智帝の時代、病を患った帝に

謀反を起こした蘇我蝦夷。

その謀略により藤原鎌足は厳しい立場に追い込まれています。

そんな時・・・

春日山を望む小松原の野を

春日大社参りの帰りに腰元を連れた雛鳥一行が散策しています。

そこへ現れた狩猟を楽しむ美青年こそ

雛鳥の親の敵でもある

大判事清澄の息子の久我之助清舟。

若い二人はお互いを見初め合います。

そこに現れたのが、入鹿の家来の宮腰玄蕃。

雛鳥に横恋慕する玄蕃は、

二人が領地をめぐり争っている敵同士の家であることを告げます。

落胆しつつも、思いを残した雛鳥たちは帰っていきます。

玄蕃が去った後、

采女局が逃げてきます。

采女局は、帝の寵愛を受けながらも

蝦夷子の謀反により、立場が苦しくなっているのです。

付き人である久我之助はこっそりと采女局を逃すことにします。

蘇我蝦夷子の館では、

入鹿が父に抗議をしています。

そして父を謀反の罪で切腹に追いやると、

本性を表し、自分こそが支配者であると宣言し、

宮中へと入り込んでいきます。

 

2幕目

猿沢池の段

つづら山の段

芝六住みかの段

 

 

帝が采女局が猿沢池に身を投げたことを悲しみに訪れているところに、

蘇我入鹿が宮中を占拠したと知らせが入ります。

鎌足の息子の藤原淡海は

帝を漁師芝六(実は、家臣の玄上太郎)の家に匿うことにします。

入鹿を倒すには、爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要と知った柴六は、

掟を破って鹿を仕留めます。

それがばれ、

芝六の罪を息子の三作が被って刑を受ける、というその時、

鎌足らが救いに入ります。

采女局と入鹿に盗まれたと思われていた神鏡も見つかり、

帝の目もよくなったことから、

鎌足らが反撃を開始しようとします。



第3幕

太宰館花渡しの段

山の段

 

太宰の館で、蘇我入鹿による

裁定が行われることになります。

権力を手にした入鹿は思い通りに物事を動かそうとします。

大判事には久我之助を家臣として差し出すよう、

定高には、雛鳥を側室として差し出すように言います。

入鹿は、采女局の居場所を知る久我之助に白状させようという魂胆。

大判事も定高も何もいえないまま、

入鹿は言いつけたことの返答として

桜の枝を吉野川に流すように伝えます。

吉野川を挟んで、妹山側に大判事、背山側に定高の家があります。

若い久我之助と雛鳥は、

親が敵同士と知りつつ、

川を挟んで思いを寄せ合っています。

入鹿の命令を断れないと思う親同士は、

お互いの子にその命令を納得させたら

桜の枝を流すことを約束して別れます。

しかし、久我之助は、自分の腹に刀をかけます。

大判事は、川に桜の枝を流します。

それを見た定高、雛鳥の思いを遂げさせるため手をかけることを決意します。

そして、桜の枝を流し、雛鳥の首を打ち落とすのです。

双方の親は、互いの子を助けるために

わざと桜の枝を流すのですが

それが無駄になったと知ります。

そして、せめて祝言だけでもと

定高は雛道具に雛鳥の首を乗せ川を渡らせます。

大判事は深傷を負った久我之助に雛鳥を沿わせ

二人は死ぬことで夫婦になったのでした。

 

第4幕

杉酒屋(すぎさかや)の段

道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)の段

三笠山御殿(みかさやまごてん)の段

 

三輪山の麓に住む、杉酒屋の娘お三輪は

隣に住む美男子の求女に一目惚れをします。

その求女の正体が藤原淡海、

淡海は入鹿の妹橘姫という許嫁がいます。

橘姫は求女のところに通ってくるのを、お三輪は黙って見ていられません。

後をついていき口論になります。

逃げていく橘姫の袖に、求女は白い糸をつけその後を追います。

お三輪は赤い糸を、求女の袖につけ、それを頼りに追っていくのでした。

橘姫がたどり着いたのは入鹿の立派な御殿、

そこに求女も着くと、姫の侍女たちが求女を奥へ通します。

求女実は淡海は、入鹿の命を狙っているのです。

後を追ってきたお三輪ですが、

侍女たちに邪魔され求女に会えません。

その上、二人の祝言を祝う声を聞いて

嫉妬に狂い、奥の間へと入ろうとします。

そこに現れた家来の鱶七、実は鎌足の家来に

刀で斬りつけられます。

入鹿を倒すためには、

爪黒の鹿の血と嫉妬に狂う女の血が必要で、

鱶七はお三輪の様子からその生き血を手に入れようとしたのです。

求女の大望に役立つのならと

お三輪は未来で添えることを願い死んでいきます。

そして、鱶七や淡海の活躍で

入鹿を打ち倒すのでした。

 

第5幕

志賀都の段

 

入鹿が討たれたことで、帝も戻り

都に平和が訪れます。

志賀の都では、雛鳥、久我之助の法要も執り行われるのでした。

人形浄瑠璃と歌舞伎が入り混じったストーリーですが

大体の流れはこんな感じです。

通し狂言で見るのは

なかなか機会がありませんが、

見られたらぜひご覧いただくことをお勧めします。



 

妹背山婦女庭訓の見どころは?

妹背山、というのは

妹山と背山、2つの山が対になって見えるのを

夫婦の山として読み取っているそうです。

夫婦になりたかった、

2組の男女、雛鳥と久我之助、お三輪と求女の

思いが被るようなタイトルですね。

このお芝居の見どころを2つ紹介します。

見どころの1つ目:王代物の面白さ

このお芝居は、「王代物(おうだいもの)」と呼ばれる

上代から中古の時代を扱った作品です。

蘇我蝦夷や入鹿、天智天皇、藤原鎌足などの

歴史的人物を配し、

古代の伝説を組み込んだ物語の構成は

他の歴史物とは違うロマンを感じさせるお芝居だと

思います。

時代は奈良時代なんですけど

人物のしつらえは江戸のイメージなのは

大衆のためでもあるのでしょうね。

お芝居の悪役、蘇我入鹿は公家悪の代表選手。

位は高い上に、悪魔的な強さや力を漂わせることで

それに逆らえない人たちが辿る悲劇的な要素が

際立つのだと思います。



見どころの2つ目:雛鳥とお三輪、恋する二人の女性の描き方

この物語には、

恋のために命を落とす二人の女性が描かれています。

それが雛鳥とお三輪です。

もう一人、采女局もそうなんですけど、

一応お芝居では命を落とさず匿われていることになっているので、

この二人をあげています。

雛鳥は、入鹿の側室になるよりも

自分が死ぬことで思いを遂げたい、

さらには久我之助に操を立てたいという気持ちで

母親である定高に殺してくれるように頼みます。

お三輪は、自分からではなくて

刃を向けられて命を落とすのですが、

その理由が恋しい男の願いを叶えるためと聞かされ、

それを喜び死んでいくのです。

本音を言うと私には、

こういう気持ちは全く理解できないです。

首になって好きな相手と結婚するのも嫌だし、

相手の願いのために殺されるのもごめんです。

でも、

それを物語として見ると、

不自然というよりも

悲しくて切なくて涙が溢れて止まりませんでした。

理屈ではない、生き様に心を打たれました。

歌舞伎の面白さは、

セリフや所作、音楽などで

その心情を深々と描き出します。

その場面は、このお芝居の大きな見どころと言えるでしょう。

「妹背山女庭訓」、見てみたいなって思われましたか?

読んでくださり、ありがとう存じまする。



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