NHKの朝ドラ「おちょやん 」の主人公千代のモデルは、
女優の浪花千栄子(なにわちえこ)さんです。
浪花さんは、女優として松竹新喜劇の舞台に立ち、
座長の渋谷天外さんと結婚します。
しかし、天外さんは、無類の女好きだったそうで、
残念ながら浮気をして外に子どもを作り、
浪速さんを捨てて家を出てしまったそうなんです。
そんな、浪速さんの離婚の裏話と離婚後に立てた旅館のわけ、
そして一緒に暮らしていた養女について調べました。
浪花千栄子(おちょやん )は、夫の浮気で離婚
浪花千栄子(おちょやん のモデル)さんは、
喜劇女優として、舞台やテレビ、映画などで幅広く活躍されました。
オロナインCのポスターをご覧になったことがありますか?
あれが浪花千栄子さんです。
なんでも、本名が南口 菊乃(なんこう きくの)だったということで、
その名前のせいで抜擢!となったとかならなかったとか・・・
そんな浪花さんは、松竹新喜劇で苦楽を共にした
座長の渋谷天外さんと結婚します。
お二人にお子さんはいなかったのですが、
13歳の時に引き取った藤山寛美さんを
実の子のように可愛がっていたとのことです。
*藤山寛美さんについてはこちらをどうぞ
結婚しても、女好きは直らず、
複数の女性はいたようです。
本当のお子さんがいたら、どうだったのかな?
って思っちゃう方、いらっしゃいそうですね。
でも、
~芸のためなら女房も泣かす~♫
って?
超許せませんね、そんな男!
って思いがちですが、当時はそういうのも許される時代だったようですね。
浪花さんは、それらを許してそれでも天外さんに尽くしていたようです。
しかし、結婚20年後にして、許せない出来事が起きてしまいます。
それは、劇団の若手女優である九重京子(本名は渋谷喜久栄)さんと
恋愛関係になりお子さんができてしまったのです。
浪速さんと天外さんには、お子さんはいらっしゃいませんでした。
天外さんは、44歳にしてできた自分の子(息子)を目にしたことが原因だったのでしょうか?
全てを捨てて、九重京子さんのところに出て行ってしまったそうです。
残されてしまった、浪花さんは、天外さんと離婚するに至るんですね。
朝ドラでは、千代が一平に離婚届を渡すという筋書きでした。
そして、一平は「我が子を守りたい」と離縁してくれと頭を下げたのです。
そのシーンを見て涙した方もいらっしゃったでしょうね。
しかし、実話はそれよりももっと酷い形で、
浪花さんは夫と別れることになってしまったそうなんです。
辛いですね・・・・。
ずっと支え、耐えてきた妻が捨てられるという現実は、
許しがたいというか、酷いというか、、、
言葉になりません。
浪花千栄子(おちょやん )の夫の浮気相手は九重京子
浪花千栄子さんの夫、渋谷天外さんの浮気相手は、
劇団の若手女優九重京子さんでした。
親身に九重さんの面倒を見てきた浪速さんは、
それを知った時、めちゃめちゃ怒ったそうです。
九重さんは、大正10年生まれ、
父と母の結婚を許されなかったため、
母親は一人で九重さんを育てたそうです。
九重さんは、父親の顔も知らないとか・・・。
そして小学校卒業後に宝塚歌劇団を経て松竹歌劇団に入団したそうです。
14歳の時に初舞台を踏み、その後男役スターとして活躍されたそうです。
歌劇団では、笠置シズコ(昭和の大歌手)さんの面倒を見ていたこともあったんですって。
戦後、歌劇団を引退し、歌謡ショーや地方巡業にちょこちょこ顔を
出していた頃に、松竹喜劇団から誘いを受けて入団します。
そこで、渋谷天外さんと出会うのですよ。
天外さんは、いろいろなことを九重さんに相談しているうちに
なんだかややこしい関係になっちゃったようです。
でも、渋谷天外さんと浪花千栄子さんは結婚していましたから、
不倫関係ということになりますよね。
九重さんは、妊娠し、劇団を退団して、男の子を出産します。
そうすると、天外さんは子ども可愛さに浪花さんを捨てて九重さんの元に走っちゃうわけですよ。
でも実際に2人が結婚したのは、それから5年後だったそうです。
浪花さんは、離婚したものの、籍を抜いていなかったらしいのですよ。
女の意地があったのかもしれませんね。
晴れて妻の座に座ったのは良いのですが、
その後も天外さんの女好きは生涯変わらなかったようです。
それでも、最後まで添い遂げていますから、
肝の座った女性だったのかなあって想像してしまいます。
ちなみに、天外さんを看取って、
それから30年ほど長生きされるんですね。
現在、3代目渋谷天外の名を継いでいるのは次男だそうです。
なぜ長男じゃないのか??はわかりません。
浪花千栄子(おちょやん )、夫と離婚後旅館を経営していた!
浪花千栄子さん、昭和26年に離婚をして松竹新喜劇も退団します。
それはそうですよね・・・。
夫と不倫妻と一緒の舞台、一緒の劇団・・・
皆さんもやりづらいでしょう。
おちょやん (4月23日放送)でも、
舞台上で千代と一平の回想がはじまり、芝居にならなくなっちゃいましたもの。
面倒を見てきた子だけに、裏切られ感も強いと思いますしね・・・。
退団した浪花さんは京都へと居を移すそうです。
京都に来たばかりの頃は、死ぬことも考えたそうです。
それでも、懐かしい土地で命を繋いでいた浪花さんに、
ラジオドラマの仕事が入るようになったそうです。
それが、NHKラジオの「アチャコ青春手帳」です。
実年齢では、年下の浪花さんが、アチャコさんのお母さん役で出演、
この放送は人気を博したそうで、
そこから、浪花さんは、少しずつ女湯としての仕事を再開していったのだそうです。
アチャコさんとの共演は、人気を博し、一時期夫婦と間違われたこともあったそうですよ〜。
さすが大女優ですね!
*花菱アチャコさんについてはこちらにまとめています
そうそう、家の話でした。
浪花さんが家を建てようと思ったのは、
天外さんが九重さんと子どものために家を新築したことを知ったからだそうです。
自分との生活では借家暮らしだったのに、、、と
ここでも悔しさを爆発させたのでしょうね。
京都の嵐山に土地を買って、料理旅館でもある家を建設したそうです。
この土地を買うのは簡単じゃなかったらしくて、
天龍寺の管長さんを介して、地主さんに掛け合い、やっとの事で了承を得たとのことです。
金額も破格だったそうですが、貯金をはたいて購入し、
そこに自宅兼用の料理旅館「竹生」を建設したんですって。
幼い頃、奉公に出されたのも芝居茶屋でしたね。
そこでの経験もあったんでしょうかね、料理旅館を選んだのは、、と思いました。
浪花さん自身は、女優という仕事がなくなっても、
生活の糧としての仕事を持っていたかったのだそうです。
苦労してきた人生だから、結局のところは、自分だけが頼りと考えたのかもしれませんね。
この「竹生」という旅館は、
青山誠さんが著した「浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」という本に、
次のように記されているそうです。
石垣に囲まれた門をくぐり抜けて敷地に入ると、竹林の間に通された石畳の小路がある。小路は母屋へと続いていた。母屋の裏手には小倉山を借景とした自慢の庭園があり、庭の中には裏千家の宗匠に監修してもらったという、自慢の茶室「双竹庵」も建てられている
なんとも風情のある建物なんだなあって思います。
女優という仕事をしながら、その疲れを嵐山の自然に癒しを得ていたのでしょうね。
幼い頃から手の届かなかった自分の家をやっと手に入れたのは、
天外さんとの離婚の結果、、、というのはあまりにもやるせないですね。
そういえば、建物の中の敷石の裏に、渋谷天外と書いて、
毎日その名を踏んでいた、、という逸話も残っています。
浪花千栄子(おちょやん )の養女は誰?
浪花千栄子さんは、実子には恵まれませんでした。
藤山寛美さんを預かっていた時は、我が子のように可愛がっていた、
という話もあります。
でも、実の子はおらず、それも天外さんの浮気や離婚につながったのかな、
とおんなじ女性としては鬱々とした想いになります。
しかし、浪花さんは養女と一緒に暮らしていたということです。
その方のお名前は、南口輝美さんというそうです。
このお嬢さんと一緒に暮らしていたということなので、
寂しい一人暮らしとは違ったようです。
ずっと、家庭に恵まれなかった浪花さん、
本当の子ではなくても一番愛情を寄せることができたのが
輝美さんだったのかもしれませんね。
「おちょやん」のモデルであり、大女優の浪花千栄子さん、
心がちょっと苦しくなる、渋谷天外さんとの結婚の結末とその後の生き方について
お伝えしました。
読んでくださり、ありがとう存じまする。
*浪花千栄子さんについては、こちらもお読みくださいね。
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