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坂東三津五郎の家系図と息子、古畑任三郎にも出演、池上季実子との関係は?

歌舞伎役者
時事通信社より借用
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坂東三津五郎さんは、歌舞伎役者で踊りの名手と言われた方でした。

残念なことに2015年にご逝去されています。

現在は、息子の坂東巳之助さんが、その意志を継ぎ

歌舞伎役者として活躍されています。

私が歌舞伎にハマるきっかけを作ったのが、八十助時代の坂東三津五郎さんでした。

大好きな役者さん、特に勘三郎さんとのコンビが最高でした。

その思い出を残しておきたくて三津五郎さんについてまとめてみました。

時事通信社より借用

 

 

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坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)の息子は坂東巳之助、娘も女優

坂東三津五郎さんは元宝塚スターの寿ひずるさんと

1983年に結婚されました。

2人の間にはお嬢さんが2人と息子さんが1人いらっしゃいます。

上のお嬢さんは、守田菜生という女優さんです。

下のお嬢さんは、舞踊家で守田幸奈を名乗っています。

3人目となる息子が歌舞伎役者の坂東巳之助(ばんどうみのすけ)さんです。

坂東巳之助さんは、1988年に誕生した

坂東家(本名守田家)待望の男の子です。

1991年に歌舞伎座で「傀儡師」唐子役で初お目見えを果たします。

その後、1995年に「蘭平物狂」繁蔵役、「寿靱猿」小猿役で

2代目坂東巳之助を襲名します。

ダイナミックな芸が似合う若手の立ち役として期待されるのですが、

一時期歌舞伎の舞台を離れることになります。

その理由に挙げられたのが、

両親の離婚と再婚に関わる家族の問題でした。

多感な思春期に、父と母は離婚してしまいます。

当時、坂東三津五郎さんと寿ひづるさんは、

実家との関係や、三津五郎さんの女性関係を理由に

夫婦間がうまくいかなくなっていました。

のちに略奪婚と言われてしまうのですが、

不倫の相手だった元アナウンサーの近藤サトさんと再婚、

これがうまくいかなかったようです。

舞台ではなく、音楽とアルバイトに明け暮れる息子を心配しながらも

見守っていたというエピソードが残されています。

巳之助さんの親権は三津五郎さん、養育権はひづるさんが持つ、

という複雑な関係も後押ししたのかもしれません。

サトさんと再婚したものの、

三津五郎さんは、2人目の息子ができると跡継ぎ問題が起きると考えたようで、

子どもを作ることを許さなかったと言います。

それが2人の間の亀裂を生み、

たった3年で離婚してしまうのです。

息子の巳之助さんが、歌舞伎に戻ってからは、

厳しく稽古をつけ、巳之助さんを育てていきました。

そういうところからも、

三津五郎さんにとっては歌舞伎が一番だったのかなと感じました。

そして、それを継いでくれた巳之助さんに対しても

不器用ながら深い愛情を注いでいたのだろうとうかがえます。

*坂東巳之助さんについてはこちらに詳しく書いてあります

坂東巳之助の妻と息子。家系図、父が心配した過去とは?
二代目坂東巳之助は、 若いながらも、その個性光る演技で注目を浴びている歌舞伎役者です。 プライベートでは、3歳年上の美しい奥様と可愛い息子さんがいらっしゃいます。 私は、昔、彼の襲名舞台を拝見しております。 祖父の故十代目坂東三津五郎、父の...

 

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坂東三津五郎の家系図

ここで、坂東三津五郎さんについて紹介します。

坂東三津五郎のプロフィール

坂東三津五郎 本名:守田 寿(もりた ひさし)

戒名:香芸院爽進日寿居士

生没年月日 1956年1月23日 ~2015年2月21日(享年59歳)

家族 祖父:8代目坂東三津五郎、3代目坂東秀調、父:9代目坂東三津五郎、母:喜子

従兄弟:5代目坂東秀調、従姉妹:池上季実子(女優)

長女:守田菜生(女優)、次女:守田幸奈(舞踊家)、長男:坂東巳之助

結婚 寿ひずる(1983年~1997年)

近藤サト(1998年~2000年)

芸歴 1957年「傀儡師」唐子役で祖父に抱かれて初お目見え

1962年「黎明鞍馬山」の牛若丸役で初舞台 5代目坂東八十助を襲名

2001年「寿曽我対面」の曽我五郎役、「六歌仙容彩」喜撰法師役で10代目坂東三津五郎を襲名

日本舞踊坂東流の家元でもあった

では、家系図を見ていきましょう。

下の図が、坂東三津五郎さん、親戚筋の大和屋の家系図です。

坂東秀調さん、坂東彌十郎さん、坂東玉三郎(養子)さんにまで繋がっていく家系なんです。

祖父の8代目坂東三津五郎さんも、盟友と言われた歌舞伎役者です。

しかし、1975年にフグ中毒で、突然にこの世を去ってしまいます。

 

そんなこともあってか、三津五郎さんは生涯フグを召し上がらなかったそうです。

お父さまの9代目坂東三津五郎さんは、3代目坂東秀調さんの3男にあたります。

奥様が8代目のお嬢さんということで、

坂東三津五郎の名を受け継ぎました。

渋い演技が光るいい役者さんでしたよ。

10代目の三津五郎さんにとっては、祖父が2人とも歌舞伎役者で、

叔父も従兄弟もやはり歌舞伎の世界にいる方が多く、

生まれながらに、歌舞伎の道に入ることが決まっていたような方だったんですね。

従兄弟の坂東秀調さんは、まだご存命です。

そこからしても、やはり早すぎる死なんだと思わざるをえませんね。

 

 

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坂東三津五郎の死因は?早すぎる死が残念すぎる

坂東三津五郎さんは、まだまだこれから、、という時期に

すい臓がんに侵されて、この世を去られました。

2015年のことでした。

盟友と言われた故中村勘三郎さんが、その3年前になる2012年12月にご逝去されました。

その告別式で弔辞をお読みになった姿が、私の記憶に強く焼き付いています。

「肉体の芸術ってつらいね。全てが消えたよう。本当に寂しいよ、つらいよ。~中略~今でも横で踊っている君の息遣い、いたずらっぽい目の表情、躍動する体が甦ってきます。君が誰にも真似のできぬ圧倒的な境地に達した役者だったよと伝え続けたい。僕がそちらに行ったら、また一緒に踊ってください」

今でも、思い出すだけで涙が出てきます。

その後、三津五郎さんは、おそらく勘三郎さんの分まで、

若い役者を育てる姿勢を見せていました。

踊りの名手と言われた三津五郎さんの元で教えを請うた役者の数は少なくありません。

そんな三津五郎さんが病に倒れたのが、2013年の8月でした。

膵臓に腫瘍が見つかり、その摘出と治療のために9月の舞台を休演されています。

2014年の4月に舞台復帰を果たしますが、9月の検査で今度は肺の異常が発覚します。

10月には肺への癌の転移であったことがわかり、治療をしたものの、

2015年1月末にインフルエンザに感染しそこから肺炎を併発されました。

とても苦しい病気との戦いだったと思います。

そんな中でも、2月7、8日に外出許可を取り、日本舞踊坂東流の家元試験に立ち会ったそうです。

そして17日に容体が悪化し、21日に家族に見守られて息を引き取ったということでした。

この時は独身だった三津五郎さん、最後は元妻のひずるさんも病室を訪れ、

家族が揃った時間も過ごせたと、息子の巳之助さんが話されていました。

巳之助さんが一時期歌舞伎を離れたものの、

「もう一度戻りたい」と言った時に、無理強いをしなかったそうです。

厳しいけど優しい父の愛情を感じていたとのことです。

享年は59歳でした。

これからもっともっと舞台を務め、若手を育てていく、という時でした。

思い出すだけでも悲しくてたまりません。

時事通信社より借用

 

 

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坂東三津五郎は古畑任三郎にも出演していた

坂東三津五郎さんは、歌舞伎役者で舞踊家でしたが、

俳優としてテレビドラマや映画にも出演されていました。

映画では、「武士の一分」(2006年)島田藤弥 役や、「母べえ」(2008年)野上滋 役が記憶に残ります。

テレビドラマでは、大河ドラマ「徳川慶喜」(1998年)勝海舟役、「功名が辻」(2006年)明智光秀役の他に、

現代劇では、「湯の町コンサルタントシリーズ」(2002年)の松城章太郎 役、「ルーズベルトゲーム」(2014年)の尾藤辰五郎役がありました。

そして、あの名作「古畑任三郎」にも犯人役で出演していらっしゃいました。

第1シリーズの第5話「汚れた王将」の米沢八段役でしたね。

三津五郎(当時八十助)びいきの私は、犯人と知りつつもかなり贔屓目に見てしまった記憶があります。

舞台ではもう三津五郎さんを拝見することはかないませんが、

映像で、再び三津五郎さんを拝見することがあればいいなって思っています。

 

 

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坂東三津五郎と池上季実子の関係は?

坂東三津五郎さんは、芸能一家に生まれています。

まあ、歌舞伎役者ですし、梨園のお一人でしたね。

女優の池上季実子さんは従姉妹に当たります。

お祖父さまが、同じ8代目坂東三津五郎さんだったのです。

その次女に当たる方が池上さんのお母さまでした。

だから、三津五郎さんとは従姉妹の関係なのです。

三津五郎さん主演のドラマ「姉弟」撮影時に、池上さんが遊びに訪れ、

その姿がNHKプロデューサーの目に止まったことがデビューのきっかけということでした。

さすがプロデューサー、目が高いですね。

中学の時代から、お兄ちゃんと親しみ、度々自宅を訪れていたそうです。

その後、「愛と誠」の早乙女愛役に抜擢され、

そこから一気にスターへと駆け上がっていった池上さんでした。

そのきっかけを作ったのが坂東三津五郎さんだったというのは

あまり知られていない事実かもしれませんね。

坂東三津五郎さんのことを思い起こしながら書いてまいりました。

今は便利な時代で、オンデマンドやシネマ歌舞伎などで

往年の姿を拝見することができます。

昨年、日本の芸能で、中村勘三郎さんとの共演「千社祭」を拝見し、

とても懐かしく、録画して何回も見直しました。

そういう楽しみ方も、まだできそうです。

読んでくださり、ありがとう存じまする。

 

 

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