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海老蔵歌舞伎(明治座)の演目、あらすじ、感想、評価は?

観劇レポート
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海老蔵歌舞伎を観劇しました。

メディアでも、34年ぶりの親子共演が話題になっていましたね。

その公演の内容や感想などをお伝えします。

 



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海老蔵歌舞伎(明治座)の演目・キャスト・あらすじ

1.源平布引滝 実盛物語(げんぺいぬのひきのたき さねもりものがたり)

〈配役〉

斎藤実盛 市川 海老蔵

小まん  中村 児太郎

太郎吉  堀越 勸玄

葵御前  大谷 廣松

矢走仁惣太 市川 九團次

九郎助  片岡 市蔵

小よし  市川 斎入

 

瀬尾十郎 市川 右團次

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〈あらすじ〉

平家全盛の世、九郎助と小よし夫婦は、源氏再興を願って旗揚げしたものの敗れた

木曽義賢の妻で懐妊中の葵御前をかくまっています。

ある日、九郎助は、孫の太郎吉と釣りに出かけ、

網にかかった女の片腕を持ち帰ります。

腕は何かを必死に握りしめている様子、

あまりにも固くて開くことができません。

しかし、これを太郎吉が一本ずつ解いていくと、

手は開かれ、握っていた巻物が転げ落ちます。

これこそ、源氏の白旗。

一同は奥にいる葵御前へと持って行きます。

そこへ、平家方の武将、斎藤実盛と瀬尾十郎がやってきます。

実盛らは、葵御前の生まれてくる赤ん坊の検分に来たのです。

女だったら許すが男だったら命を奪うというのです。

まだ生まれていないと言っても、

腹を割いてでも、、と無理難題をいう実盛と瀬尾。

九郎助は、苦渋の決断で「生まれた赤子」と先ほどの片腕を差し出します。

それを見た瀬尾は憤慨しますが、

実盛は、なぜか中国の故事を使って言いくるめます。

実は、実盛は源氏方に心を寄せていたのです。

瀬尾が立ち去ると葵御前が姿を現します。

実盛は、女の片腕は自分が斬り落としたものだと白状します。

琵琶湖を舟で渡っていた実盛が

泳いでいた女を助け上げようとしたところ、

その腕が持っていたのが源氏の白旗と気づき、

敵に取られないように斬り落としたというのでした。

その女の名が、小まんといい、実は九郎助の娘で太郎吉の母親だったのです。

悲しむ一同の元に、小まんの亡骸が運ばれてきます。

それを見た実盛が腕を繋げば命が戻るかも、、と言い、

九郎助が腕を繋げたところ、

小まんが息を吹き返します。

白旗が無事に葵御前の手に渡ったことを知ると、

安堵して生き絶えるのでした。

九郎助が、小まんは実は平家の何がしかの娘であり、

拾って育ててきたことも実盛に話します。

と、葵御前が産気づき、

無事に男児が誕生します。

この赤ん坊こそ、後の木曾義仲です。

実盛は、赤ん坊に駒王丸と名をつけ、

太郎吉にも手塚太郎光盛と名を与え、

家来として働くように伝えます。

しかし、元は平家の血を引くので、

なんらかの手柄を取ってからという葵御前。

そこへ、先ほど、戻ったはずの瀬尾が現れ、

生まれた男児をよこせと言い、横たわる小まんの亡骸を足蹴にします。

それを見た太郎吉が、怒りをあらわにしたところに、

太郎吉に刀を持たせて自分の腹を突かせる瀬尾。

実は、瀬尾こそが小まんの父親であり、

孫の太郎吉に手柄を立てさせるために、

自らの首さえも差し出すのでした。

こうして、手柄を立てた太郎吉は、

駒王丸の家来として召抱えられることになりました。

さらには、母の仇を、と実盛に立ち向かう太郎吉に、

成人してから自分を討ちに来るよう声をかけると、

馬に乗って悠然と去っていくのでした。

 



 

2.KABUKU

作:樹林伸、演出:市川海老蔵、振付:藤間勘十郎

〈配役〉

市川海老蔵 市川 海老蔵

小閻魔   堀越 勸玄

美女    中村 忍のぶ

旦那    市川 新蔵

瓦版売   大谷 廣松

瓦版売   市川 九團次

閻魔大王  市川 右團次

〈あらすじ〉

江戸末期、疫病により景気に影が刺し、

町人の暮らしも苦しくなっている。

そこに、伊勢のお札を売り歩く瓦版売がやって来ると、

町人たちは我先にとお札を求めます。

瓦版売たちは、瓦版が売れないため

自分たちで伊勢神宮のお札を刷ってそれを高値で売りつけ

儲けようとしていたのです。

裕福な商人が、全てのお札を1000両で買いたいと申し出、

瓦版売たちは有頂天になっているところに、

手にしていた小判に雷が落ち、彼らは地獄に落ちることになるのです。

地獄では、閻魔大王が亡者の罪を裁いています。

流行病をもたらした、と責任をなすりつけ合う者たち、

その中に瓦版売たちも連れて行かれ、

偽の札を売って財を成した罪を問われることになりました。

そこへ、市川海老蔵が現れます。

瓦版売たちは、自分たちは私利私欲ではなく、

世の中を明るくするために札を刷ったのだと訴えます。

それを聞いた海老蔵は、人を裁くのは鬼でも閻魔でもないと言い放ち、

それを止めようとした者たち全てが乱闘になって行きます。

その中で、ええじゃないかの声が鳴り響き、

それに合わせるように鬼も閻魔大王さえも踊り始めます。

現世に明るい光を届けよという声に応えるように

海老蔵は現代へと戻っていくのでした。



海老蔵歌舞伎(明治座)の感想

私は5月30日の夜の部を観劇してきました。

緊急事態宣言の延長で、公演がどうなるか心配だったのですが、

予定通り開催されたため、楽しみに劇場に向かいました。

しかし、帰って来るときは重い気分になっていました。

この記事を書くのも悩んだのですが、

私の主観としての感想を簡単に残しておこうと思います。

気分が重くなった理由として主に2つありました。

1つ目は、劇場での感染対策に不安を覚えたことです。

劇場からは、前日に丁寧なメールが届きました。

感染対策への協力をお願いしますという言葉も添え、

何時開演のどの席です、来場をお待ちしていますという内容でした。

これは、他の劇場ではなかったので、

なんて素晴らしい劇場なんだ!と意気揚々として向かったんです。

少し余裕を持って、入口を入ったところまでは良かったのです。

具体的に不安だったことは、客席がぎっしりで隙間がなかったこと、

マスクはしていたけれど場内のおしゃべりが絶えなかったこと、

休憩時間のロビーも人が密状態で、喋る声があちこちから聞こえてきました。

注意する係員さんもいたようですが、私の耳には入らなかったです。

トイレの列を制する方はいらっしゃいました。

観客の姿勢にも問題はあると思っています。

2つ目は、新作「KABUKU」の中に差別的な表現があったことです。

これも具体的に書くと、

瓦版売たちが、女性へ金をちらつかせて関係を迫ったり、

断ると寄ってたかって乱暴するという場があったことが一つ。

私も一応女性なので、これはキツかったです。

もう一つは、地獄の亡者たちを描く場面。

4つの国、地域を模した人たちが一つの縄に繋がれて、

それぞれ罵倒し合うというものです。

その内容が、疫病をもたらしたのがお前たちだ、、、云々というもの。

見るのも聞くのも絶えられなかったので、

詳しいセリフは覚えていません。

お芝居の中で、人や事象を風刺することはありますが、

この2つのシーンは、耐えられないほど嫌でした。

私は歌舞伎ファンだし、海老蔵さんのお芝居も応援していて、

観られるときは観に行っています。

だけど、この2点は受け入れがたいと思っています。

 

じゃあ、悪い感想ばかりか、、というとそうではないのです。

1作目の「実盛物語」は、荒いなとは思いましたが、

実は、実は、と展開するストーリーや、

最後に明かされる親の思いなど、

胸に響くストーリー性豊かな作品として描かれていました。

勸玄くんが8歳ということで、

太郎吉を演じられる最後の機会だったそうですが、

一生懸命声をあげ、敵たちへの悔しさを露わにがんばっていたと思います。

共演の役者さんたちは、

ベテランの味を出して場を盛り上げていらしたし、

小まんの無念さ、悲しさを無言のうちに見せた児太郎さん、

綺麗で品がある葵御前役の廣松さんなど好演だったと思います。

そして、市川右團次さんの存在感のある演技にも見惚れました。

だけど、先に挙げた2つのことが気持ちを重くさせたなあと感じています。

私は、歌舞伎が好きなので、やっぱり歌舞伎としての魅力を持った作品を観たい。

古いのも新しいのも、そこで区別するのではなく、

「また観たい」「もっと観たい」と思える作品を提供していただけると嬉しいです。

古典は、難解なものも多いですが、

繰り返し見ることで、そのよさを実感していくプロセスが好きです。

新作は、わかりやすいけどこれも古典の手を使っている、、という斬新さが好きです。

作品を観る上で、いろいろな価値観があっていいと思います。

そういう私でも、先の2つの点が受け入れられなかったのです。

 



 

海老蔵歌舞伎(明治座)の評価は?

海老蔵歌舞伎の評価をチェックしました。

まず、メディアは大きな話題として取り上げていたのが、

「実盛物語」の海老蔵さん、勸玄くんの親子共演です。

記事にあるように、お二人の微笑ましい場面が見られました。

「KABUKU」に関しては、概要は説明されていましたが、

感想となるものは掲載されていませんでした。

次に、SNSもチェックしてみました。

海老蔵さんのインスタグラムでは、

2つの作品への思いが綴られていました。

それに対してコメントは、9対1でそれを支援するものでした。

私のように差別的表現への苦言を呈しているのは1の方で、

ほとんどは、かっこいい、応援している、というものでした。

ツイッターでは、両論ありました。

楽しかった、よかった、勸玄くんが可愛かった、盛り上がったなどなど。

対する評価は、

表現に対するもので、誰も止めなかったのか、と疑問を呈するものもありましたね。

これだけ、評価が分かれるものの、売れること、話題になることは間違いないです。

*公演情報はこちらです。

海老蔵歌舞伎2021(明治座5月・南座6月)のスケジュールは?出演者は?チケットは?評判は?
市川海老蔵さんを座頭とした歌舞伎公演、「海老蔵歌舞伎」が 5月は東京の明治座で、6月は京都の南座で上演されます。 海老蔵さんと長男勸玄くんの親子共演や、 clubhouseの公開ディスカッションで生まれた演目「KABUKU」など 流石の海老...

6月からは南座公演です。

チケットは売り切れということなので、客席は満杯になるんだろうな。

南座も小さい劇場なので、私のように不安になる方が出なければいいなあと思います。

思い出すと、もやる気持ちが強いので、ここでキリとします。

 

 



海老蔵歌舞伎「KABUKU」は南座では演出を変更

私が知らない間に、海老蔵歌舞伎の新作「KABUKU」が炎上していたようです。

かなり、強い批判もあり、始めは明らかにしていなかったメディアも

この内容を取り上げるようになりました。

それを受けて、制作側の松竹もこの批判を受け止めて、

演出を変更するという姿勢になったようです。

「該当する場面は、世界共通、時空も関係ない設定の地獄の果ての閻魔の庁。時代も国も異なる人々が地獄におちてまでも、自己中心的にそれぞれの主張を繰り広げ、他者を受け入れようとしないでお互いに争い続けることを描いています。異なる価値観を認め、多様性を尊重するという趣旨のことを風刺的に描こうとした演出意図でしたが、一部本来の演出意図と異なる捉え方を招く箇所がございましたので4日の南座公演初日に向けて、一部内容を変更して上演予定です」

批判を受け止め、改善する姿勢は評価したいと思います。

加えて、今後も歌舞伎の新作は作られて行くと思うので、

それを止めないようにしてほしいと思います。

実際に観劇した私としては、

この「演出意図」が異なる捉え方をされた、という点が疑問です。

観る人は観る人の価値や考え方によって表現を受け取ります。

多様性というならば、多様な人たちが観た時に、どう捉えられるのか?

というところを、それこそ多様に予測し、どのような観方でも誤解を与えないような配慮は必要でしょう。

観た人の主観がこの問題の要因、ともとれることには疑問が残ります。

これからご覧になる方にとって、

不快な感情が残らないことを願うばかりです。

 

 

6月は歌舞伎座公演と国立劇場の鑑賞教室があります。

そちらも観劇したら感想を書いていきます。

読んでくださり、ありがとう存じまする。

 



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