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中村勘九郎のファミリーヒストリー中村屋誕生の秘密〜祖父17代目中村勘三郎、父18代目中村勘三郎誕生〜

メディア出演
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NHKファミリーヒストリーに見る、

六代目中村勘九郎の家族の歴史、その2です。

いよいよ、人間国宝「十七代目 中村勘三郎」の登場です。

 



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中村屋のファミリーヒストリー、十七代目 中村勘三郎 の誕生

聖司の祖父(ろくの父)が、幼い頃から、

江戸時代の名優 中村勘三郎のこと。

その頃から、「お前は中村勘三郎になるんだ」と、

言い聞かせていたというから不思議です。

その聖司、中村米吉という名で舞台に立ち始めます。

その後すぐに、歌六が逝去。

ろくは、悩むものの

「この子を立派な役者にしてみせる。」と、

資産家の援助を得て、料亭を経営しながら、

聖司を育てるのです。

息子に一流の芸を習わせるために、大金を借金、

それに報いようと熱心に稽古に励む聖司。

そんな暮らしの中で、

身寄りのないお婆さんを自宅に連れ帰り、

一緒に暮らそうと言ったとか。

当時の新聞でも取り上げられたこのニュースですが、

そのお孫さんの勘九郎さんも子どもの頃、

ホームレスのおじさんにお年玉やお弁当をあげていたという逸話を披露。

いやあ、情に熱いところも血筋なのか??

 

その後、ろくは、後ろ盾がないといい役がつかない、

ということから、

本家の兄に預けることを決心します。

その兄というのが、初代中村吉右衛門。

聖司を可愛がる兄の元で、中村もしほ を襲名し、

いい役にもつけるようになったということ。

10年後、母と暮らすために、

松竹から東宝へと移籍し、役者としての幅を広めますが、

東宝が傾いてからは、

再び松竹へ戻り歌舞伎役者として活躍します。

そんなもしほ(聖司)に縁談が持ち上がります。

六代目尾上菊五郎の長女である

寺島久枝さんがそのお相手。

勘九郎さんのおばあさまに当たります。

菊五郎も、実はお妾さんの息子ということで、

役がつくまでは苦労をされたということで、

同じ境遇だった、もしほに目をかけてきたそうです。

 

終戦後の演劇再開、

もしほは、松竹の大谷社長から声をかけられ、

81年近く空いていた「十七代目 中村勘三郎」

の名跡を襲名することとなるのです。

今でこそ、中村屋、勘三郎、といえば、

役者の名門ですが、

当時は誰も知らなかった名前だったと聞き、

かなり驚きました。

こうやって、名優勘三郎は生まれたんですね。

 

その後、息子の十八代目勘三郎さんやその妻好江さん、

孫の六代目勘九郎さんとの関わりの中で、

名人となっていった勘三郎さんのエピソードが語られました。

昭和63年に78歳で亡くなるまで、

803の役を演じたそうです。

文化勲章授与、人間国宝にも選ばれ、

生涯俳優を貫いた昭和の盟友でした。



中村屋のファミリーヒストリー、十八代目 中村勘三郎 登場!

昭和34年、初舞台を踏み中村勘九郎を襲名。

そこから、テレビや映画やCMでの演技で人気者になっていきます。

当時の映像が流れましたが、

本当に堂々たるもの、

大役者の筋が見られました。

それを見ている息子の勘九郎さんも、

誇らしげ・・・。

お姉さんの波野久里子さん曰く、

芝居が好きで好きでたまらない人だったということ。

歌舞伎でも演技に磨きをかけ、

歌舞伎界の重要な役者として名を上げていきます。

そして出会った好江さんと結婚。

 

 

番組は好江さんの歴史にも迫っていきます・・・。

それはまた後でまとめて書きますね。

 

さて、父を亡くした十八代目勘三郎さん。

そこから、新たなものに挑戦するという、

役目に目覚めていったそうです。

この頃は、歌舞伎は低迷期。

(ここから、VTRを視る六代目の表情が変わります。)

 

まず、目をつけたのが若者の街渋谷。

平成6年にコクーン歌舞伎を始めました。

平成12年には、浅草での芝居小屋復活をめざします。

舞台と客席を近づけ、一体感を味わえる劇場です。

とはいえ、コストや安全性からなかなか進みません。

それでも情熱を持って計画を進めていきます。

当時の協力者である松竹の関係者が、

「中村屋は動物的な感覚が鋭くて、できるよ、っていえばできる気になっちゃう。」

とおっしゃってました。

その熱意、次第に浅草の人たちも動かします。

「みんなその情熱にね、フワッとね・・・こんな人はいない。」

完成した芝居小屋は、「平成中村座」と命名。

初日から大入り満員の大盛況となりました。

その映像を見ると、役者も観客もすごく楽しそうです。

この一体感を、実現したかったんだろうなあと、

胸が熱くなります。

残念ながら、私は一度も浅草へは行けませんでした。

今では心残りな1つです。

 

平成15年には、十八代目中村勘三郎を襲名します。

「一生懸命生きて、歌舞伎のために尽くします。」

今見てもじわっとくる映像です。

それと同時に、息子たちの教育にも熱が入ります。

特に、六代目には厳しかったとのこと。

その稽古風景でも、細かい所作や台詞回しに指導する、

勘三郎さんの姿が見られました。

女優の波乃久里子さんはその頃を振り返って、

「勘九郎には厳しかった。父のいうことを正座して聞いていた。」

と言います。

(ここら辺りからも、VTRを視る勘九郎さんの表情がさらに厳しくなっていきます。)

平成24年、息子が六代目勘九郎を襲名した年に、

病に倒れ、帰らぬ人になります。

享年57歳。

私は、彼の死が今でも悔しくてたまりません。

舞台にいないことが信じられません。

本当に本当に大きな宝を歌舞伎界は失いました。

 

〜まだまだ続きます〜

六代目 中村勘九郎の家族の歴史を訪ねる旅その3 〜NHKファミリーヒストリーに中村屋の歴史を見た〜
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コメント

  1. […] […]

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