片岡秀太郎さん(松島屋)の3月27日の突然の訃報に動揺しました。
死因は病気で家族に見守られながら安らかな旅立ちだったということです。
上方の重鎮であり人間国宝の名女形です。
心からご冥福をお祈りいたします。
片岡秀太郎さんが死去 歌舞伎俳優https://t.co/kAFIlokRic
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) May 27, 2021
片岡秀太郎さん死去、病名は?
片岡秀太郎さんの訃報は、
5月27日に松竹株式会社より発表されました。
その文面は次の通りです。
歌舞伎俳優の二代目片岡秀太郎<かたおか ひでたろう、本名:片岡 彦人=かたおか よしひと>さんが、5月23日(日)午後12時55分、大阪府吹田市内の自宅でご逝去されました。79歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
最後の舞台は
2020年、京都南座の顔見世興行での、
「熊谷陣屋」藤の方でした。
私が最後に拝見したのは
2020年2月の歌舞伎座、
13世片岡仁左衛門追善公演でした。
コロナで世間がざわざわし始めた頃、、、
あーー、そんな前だったっけ?
と改めてショックです。
79歳というご高齢ですが、
まだまだお顔の張りとかは若くて
野崎村のお染が可愛らしかったです。
だから、まだまだいけると思っていたのですが、
病には勝てなかったようです。
死因は、慢性閉塞性肺疾患、ということです。
慢性閉塞性肺疾患とは、
肺の炎症性疾患で、
喫煙習慣がある方に多く見られる
生活習慣病なのだそうです。
肺胞が破壊されて重篤な状況に陥る方も多いとか、、、
秀太郎さんの喫煙の習慣は存じませんが
怖い病気ということは聞いています。
日常生活でも、
身体を動かすと呼吸がしづらいという症状も
現れることがあるとのことです。
それなのに、長年舞台に立たれたということが
すごいことなんだと実感しました。
今はコロナ禍なので、病院のお見舞いもままならない、
秀太郎さんがご家族や大切な方に看取られながら
安らかに旅立たれたことを祈ります。
すでに、告別式や葬儀は家族葬で行われたとのこと。
このご時世ゆえだと思いますが、
ご逝去されてからこの訃報が届くまでの期間、
ご家族の皆さまでゆっくりとお別れをされたのでしょうね。
秀太郎さん、大好きな役者さんでした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
片岡秀太郎の家系図
片岡秀太郎さんは、松島屋という上方の名門歌舞伎役者のお家の出身です。
この松島屋は、当主が仁左衛門の名を代々受けつぎ、
その芸を舞台で表したり、後進に伝えたりしています。
片岡秀太郎は、愛之助の父、仁左衛門の兄
片岡秀太郎さんは、
13世片岡仁左衛門さんの次男です。
兄が我當さん、弟が仁左衛門さん、
三兄弟で唯一の女形でした。
愛之助さんは秀太郎さんの養子です。
幼少期、子役としてドラマ、舞台に立つ様子を見た、13世片岡仁左衛門さんが、
その才能を見抜き、
片岡一門の部屋子になりました。
その時に勧めてくれたのも秀太郎さんで、
その後息子がいなかった秀太郎さんが
1993年に養子に迎え、松嶋屋の1人になったのです。
愛之助さんは取材に答えて
次のようなコメントを寄せています。
「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れて下さった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になると兎にも角にも厳しい方でした。上方にこだわり上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」
また、弟で、現在の松嶋屋当主である片岡仁左衛門さんも、
次のようにコメントされていました。
「兄は当人の理想通りの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが私たちどものせめてもの救いでございます。」
この、理想通り、、という言葉は、
ご家族やお弟子さんたちに看取られて、そして苦しまず安らかに、
旅立たれたということのようです。
それでも、お兄さまとのお別れはお辛かったことと思います。
片岡秀太郎が79歳で死去、仁左衛門・愛之助がコメント寄せる(コメントあり) https://t.co/CCWvpiF3HZ
— kabukist (@kabukist1) May 27, 2021
片岡秀太郎は人間国宝で上方の名女形
二代目片岡秀太郎のプロフィール
片岡秀太郎:本名 片岡 彦人(かたおか よしひと)
生没年月日 1941年9月13日〜2021年5月23日(享年79歳)
家系 父:十三代目片岡仁左衛門、兄:五代目片岡我當、弟:十五代目片岡仁左衛門
妹:片岡静香(女優)、息子(養子):六代目片岡愛之助、
甥:片岡新之介、片岡千之助
出身地 大阪府
屋号 松嶋屋
定紋 七つ割り丸に二引
襲名 1946年 「吉田屋」禿役 片岡彦人として初舞台(京都南座)
1956年 「河内山」浪路役 二代目片岡秀太郎を襲名 (歌舞伎座)
2019年 人間国宝(無形重要文化財保持者)認定
2021年 旭日小綬章を受賞
片岡秀太郎さんは、松島屋という名門の歌舞伎役者です。
父の仁左衛門さんは2枚目立ち役、その任は弟の現在の仁左衛門さんに受け継がれました。
秀太郎さんは、女形としてのご活躍がめざましい方でした。
決して前に出過ぎずに、立役を目立たせ、
芝居の情を深く、熱く盛り立てる方であると思っていました。
主役ではなく、脇役としての人間国宝認定は、
とても名誉なことと喜ばれておいででした。
若い役者さんたちの育成にも熱心で、
今活躍している片岡愛之助さんはもちろん、片岡松十郎さん、愛一郎さんも
秀太郎さんのご指導のもと力をつけてきた役者さんです。
甥の孝太郎さんが女形で、その指導も担って来られたそうです。
この方の損失は、とても大きい・・・
まだまだご活躍が期待されていただけに、
歌舞伎界は、ファンは、ショックを隠せません。
秀太郎さんは、ブログも書いておられました。
そちらを拝見すると、7月の公演情報が掲載されていました。
ご本人も舞台に立つお気持ちがおありだったのでしょうね。
最後の記事は5月5日です。
奥さまとご一緒の写真、表情からはお身体の衰弱ぶりも
見てとれます。
それでも、愛する方とのツーショットは晴れがましさや、
嬉しいお気持ちも伝わってきます。
ブログは、2010年から様々な歌舞伎の話が綴られています。
ゆっくりこちらを読んでいきたいと思います。
昨年は坂田藤十郎さんの訃報もありました。
大きな星がまた一つ消えた、、という心持ちで悲しいのです。
演劇界8月号の「片岡秀太郎 追悼」に芸と人を惜しむ
演劇界8月号の関東は、片岡秀太郎さんの追悼と称し、
生前の芸や後継者育成、そして取り巻く人々たちの言葉から、
読み応えのある特集が組まれていました。
こちらを手にして、読み始めると涙が止まらなくなります。
でも、私が存じ上げない舞台のことや、秀太郎さんのお人柄を知り、
改めて素晴らしい方を失ったことを悲しく思いました。
これを読み、
片岡秀太郎さんの功績は、派手ではないものの、
地芸としてヒロイン、花車方、三婆まで多彩な役柄を演じ分けた
唯一無二の女形役者であったことの他に、
上方歌舞伎の振興と発展のために力を尽くしたこと、
若手役者の育成をしたことなどがあることがわかりました。
特に、「上方歌舞伎会」や「関西歌舞伎を愛する会」などは
秀太郎さんの努力が実を結んで実現したものとも言えます。
そして、養子に迎えた片岡愛之助さんを、
歌舞伎界のみならず芸能界でも活躍する人気役者に育てたことも
大きな功績といえるのですね。
その演劇界から、秀太郎さんと所縁ある方達のコメントを
一部抜粋して紹介します。
片岡我當さん(秀太郎さんのお兄さま)
「相手役となる立役のことを常によく考えて、自分のやるべきことをしっかりと表現できる女形でした。」
片岡仁左衛門さん(秀太郎さんの弟)
「昨年の南座顔見世の『熊谷陣屋』のとき、正直に言いますと、これが最後になるかなという気はしていたんです。
二日間だけの出演でしたが、若い頃から義太夫を勉強し、研究し尽くし、丸本物の大事なところをつかんだうえで、肩にはめるのではなく、心から入っていって、フジの型の心情をお客様に伝えていく。
それは素敵な藤の方でした。」
片岡愛之助さん(秀太郎さんの養子)
「父は、私を歌舞伎の世界に、そして松嶋屋に入れてくださった大恩人です。父に声をかけていただけていなかったら、歌舞伎俳優としての今の私は存在していません。感謝しかありません。」
坂東玉三郎さん
「可愛らしさとさっぱりしたところが同居すていて、はっきりとした物言いをなさるのだけれど、それがちっとも嫌味じゃない。なんでも言い合える間柄でした。」
松本幸四郎さん
「『封印切り』では、忠兵衛の僕の顔にくっついたシケを、おえんとして芝居で直してくださった。その自然なこと。どの役もその人そのものでした。」
市川猿之助さん
「各地で行われた四代目猿之助襲名披露の『四の切』で静御前を勤めてくださったのはありがたいことで自分の強い希望が実現してのことでした。
その静はそれはそれは素敵で、情けが噴きこぼれるような、愛妾という言葉がまさにぴったりでした。」
他にもカラーの写真やたくさんのお言葉で、
片岡秀太郎さんについてを伝えてくれている素晴らしい企画です。
ぜひ、お手にとって読まれると、秀太郎さんのご供養にもなるのではないかと思います。
心より御冥福をお祈りいたします。
今まで、素晴らしい舞台を観せてくださり感謝に堪えません。
どうもありがとうございました。涙涙
コメント
最後のお写真はお嬢様でなく、奥様ですよ。
ご指摘ありがとうございます。
演劇界8月号の追悼特集を読み、改めてこの方の偉大さを実感しております。
悲しいです。