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尾上菊五郎の家系図、息子・娘・孫、、文化勲章受章の音羽屋のおやじ様

歌舞伎役者
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歌舞伎役者尾上菊五郎は、歌舞伎界の大御所のひとりです。

梨園でも名門と言われる音羽屋を率い、血筋、弟子筋で

多くの人気役者も抱えています。

令和3年の文化勲章受賞も決定しました!

さすが親父様、、、とても嬉しいです!

尾上家の音羽屋という屋号について、菊五郎という名前の偉大さ、

そして数多い音羽屋の役者についても紹介します。

 



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尾上菊五郎は音羽屋の当主、屋号の由来と菊五郎の歴史

まず、尾上菊五郎の屋号音羽屋と、

菊五郎の名前の歴史についてお伝えしますね。

尾上菊五郎、屋号の音羽屋の由来は京都にあった

尾上菊五郎の家の屋号は「音羽屋」といいます。

この名は、京都の清水寺にある

音羽の滝に由来の名前だそうです。

今では、〈菊五郎〉というと〈江戸っ子〉と

いうイメージが強いので、京都というと意外な気がします。

初代の尾上菊五郎(1717~1783)は、芝居の世界で育ち、

京都で若衆方として大人気となり、若女形としても頭角を現したといいます。

その父が音羽屋半平といい、京都の都万太夫座の出方を

務めていたそうです。

出方とは、劇場で観客の案内をしたり飲食の手配をしたりするお役ということ。

そして、その生まれが京都の清水寺にほど近い場所だったことから、

「音羽屋」と名乗り、それがそのまま菊五郎の屋号として定着した、

というふうにいわれています。

その菊五郎は、その後江戸に下って、女方として絶大な人気を誇ったそうです。

それから、「音羽屋」は代々人気役者を排出するお家になっていったということです。



尾上菊五郎は音羽屋の当主、菊五郎は代々の名役者

当代の尾上菊五郎は7代目です。

尾上菊五郎、で検索すると「6代目」というキーワードに

ぶつかります。

6代目尾上菊五郎は伝説の役者と言われていて、

彼の家系や弟子筋から多くの歌舞伎役者が生まれているのです。

では、順に紹介していきましょう。

7代目尾上菊五郎は、音羽屋の現当主で人間国宝

七代目尾上菊五郎のプロフィールと芸歴

尾上菊五郎 本名:寺島 秀幸(てらしま ひでゆき)

生年月日 1942年10月2日

出身地 東京

家族 父:七代目尾上梅幸、妻:富司純子(女優)、息子:尾上菊之助、娘:寺島しのぶ(女優)、孫:寺島和史、寺島眞秀

屋号 音羽屋

定紋 重ね扇に抱き柏

芸歴 1948年「助六曲輪菊」禿役で、五代目尾上丑之助を襲名し初舞台(新橋演舞場)

1965年「寿曽我対面」曽我十郎役他で、四代目尾上菊之助を襲名(歌舞伎座)

1973年「弁天娘女男白浪」弁天小僧菊之助役、「京鹿子娘道成寺」白拍子花子役他で、七代目尾上菊五郎を襲名

2003年 重要無形文化財保持者認定(人間国宝)、祖父六代目尾上菊五郎、父七代目尾上梅幸、に続き親子3代での受賞となる

今では、尾上菊五郎というと、歴史物では堂々とした武将を、

世話物ではいなせな江戸っ子、小悪党と立ち役での活躍が記憶に残るところです。

しかし、若い頃は端正な顔立ちで女形としての活躍が目立っていました。

20代の頃は、六代目市川新之助(現海老蔵の父)、初代尾上辰之助(現抄録の父)とともに、

三之助(昭和)ブームを巻き起こすほどに大人気。

また、その美貌と演技力を買われ、

1966年にNHK大河ドラマ「源義経」では、最年少で主人公の源義経を演じました。

その時、お相手の静御前に扮していたのが、女優の富司純子さん。

この共演がご縁でご結婚されました。

また、後述しますが、

尾上菊五郎劇団を主宰し、江戸の世話物狂言を現代に伝えることにも力を注いでいます。

まさに、昭和から平成の歌舞伎界を牽引してきた重鎮の一人であり、

この人の芝居を観ないと歌舞伎を観たことにならないと

言っても過言ではない大役者です。

7代目尾上梅幸は立女形、懐の深い芸で人気

7代目尾上梅幸は、1995年にご逝去されていますが、

それまでは音羽屋を大きな家に育てた名役者でした。

菊五郎の名は継がなかったものの、

7代目菊五郎、5代目菊之助に大きな影響を与え、

音羽屋の芸を育てた方です。

私は、女形の印象が強く、

お年を召されても可愛げあるお姫様を演じられるのを見て

感動した記憶が残っています。

七代目尾上梅幸(1915年8月31日~1995年3月24日)

歌舞伎役者として重要無形文化財認定を受ける。

母は、赤坂の芸者、父は六代目尾上菊五郎という噂もあります。

生後すぐに、六代目尾上菊五郎の養子となり、実の子同様に育てられたそうです。

父の薫陶を受け、歌舞伎役者として四代目尾上丑之助、三代目尾上菊之助として活躍、

1948年に二代目尾上梅幸夫人の願いで七代目尾上梅幸を襲名。

亡くなるまで、女形も立ち役もこなす役者として舞台での存在感を示していました。

6代目尾上菊五郎は、現代歌舞伎界の偉大なレジェンド

六代目  尾上 菊五郎(1885年8月26日 ~ 1949年7月10日)

大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。

本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。

父:5代目尾上菊五郎(M 36没)、弟:6代目坂東彦三郎(S13没)

子:2代目尾上九郎右衛門(H16没)、久枝(17代目中村勘三郎夫人)、多喜子(6代目清元延寿太夫夫人)

養子:7代目尾上梅幸(H7没)

家系を見ると、本当に多くの歌舞伎役者や家に影響を与えているかがわかりますね。

初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いたそうです。

長い間途絶えていた劇団を復活させたのもこの方、

若い衆をまとめて舞台を興したこともあり、

亡くなった後も、その名を残したいという方々が、

今の菊五郎劇団を発展させてきたということです。

私は、その舞台を拝見したことがないので、

記録だけでも見てみたいと思っているところです。

ちなみに、国立劇場に行くと、

ホールの前に鏡獅子に扮した菊五郎像が鎮座ましています。

7代目菊五郎にとっては祖父にあたる方です。

父が、梅幸という名を襲名したことから、

孫にあたる元菊五郎が偉大な名跡を継いだことになります。

この名を背負うというプレッシャーを想像すると胃が痛くなります。

それだけの大きな業績を残したレジェンドということです。

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尾上菊五郎が率いる音羽屋の家系図と主な歌舞伎役者

歌舞伎界に、菊五郎の家族以外にも

「音羽屋」の名を持つ役者が多いです。

その方々を紹介します。

尾上菊五郎、音羽屋の家系図

7代目尾上菊五郎から、この家系を見ていきましょう。

父は7代目尾上梅幸(養子、実子とどちらの説もあります)。

祖父が高名な6代目尾上菊五郎、伯祖父が6代目坂東彦三郎。

叔父に尾上九郎右衛門、叔母の夫というところから、

故17代目中村勘三郎、6代目清元延寿太夫も叔父に当たります。

故18代目中村勘三郎と7代目清元延寿太夫は従兄弟に当たります。

息子の嫁を通じて、2代目中村吉右衛門とは義理の兄弟?

となると、松本白鸚とも義理の兄弟?

この2人の婚姻が大きな話題となったのも頷けますね。

現在人気急上昇の尾上松也は、尾上松緑の弟子筋ということで

音羽屋ですが血縁関係はありません。

同じく人気急上昇中の尾上右近は、

従兄弟の子なので、血縁関係はあり、、ですね。

中村勘九郎、中村七之助も、従兄弟の子に当たります。

もうすごすぎて、見てるだけで目眩がする家系です。



尾上菊五郎の妻・息子・娘・孫も役者!

そして、尾上菊五郎の妻、子、孫も全て俳優です。

一人ずつ紹介します。

尾上菊五郎の妻 富司純子は、元お姫様女優

妻:富司純子(1945年12月1日~)

本名:寺島純子

1963年に映画女優としてデビュー、その後「緋牡丹お竜」シリーズで人気を博します。

1972年に「源義経」で共演した尾上菊五郎と結婚し、一時期芸能界から遠ざかります。

1974年に、寺島純子の名で、司会者として再登場すると、女優としても復帰。

1989年に、名を「富司純子(ふじすみこ)」と改め、現在までテレビや映画で活躍しています。

尾上菊五郎の娘寺島しのぶは、アカデミー女優

娘:寺島しのぶ(1972年12月28日~)

本名:寺島グナシア忍(てらじま ぐなしあ しのぶ)

映画を中心に女優としての活躍が目覚ましいですね。

2003年の「赤目四十八瀧心中未遂」で第27回日本アカデミー賞、主演女優賞、

「ヴァイブレーター」では東京国際映画女優賞を受賞。

海外でも2010年に「キャタピラー」でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞という、

押しも押されもしない大女優として有名です。

女性としての生々しい迫力が印象的ですが、男勝りな物言いも魅力、

私的にはアネゴ女優のイメージです。

現在は、女優業にくわえ、愛児の教育にも熱心です。

年末に放映されている

息子の眞秀君との母子奮闘記は

2人の姿に心を打たれるドキュメンタリーです。

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尾上菊五郎の息子尾上菊之助は、女方も立役もこなすイケメン役者

息子:五代目尾上菊之助(1977年8月1日~)

本名:寺島 和康(てらしま かずやす)

1984年に尾上丑之助、1996年に尾上菊之助を襲名。

七代目市川新之助(現海老蔵)、二代目尾上辰之助(現松緑)と共に

三之助(平成)ブームを巻き起こします。

現在は中堅役者の1人として女形を中心に活躍をしています。

上品で清楚な美しさを表現できる役者です。

2019年は念願の、

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」を上演。

また義経千本桜を通し上演し、

平知盛・権太・佐藤忠信の3役を演じたことも

話題となりました。

私は、綺麗なお姫様役が好きなのですが、

立役を務める機会も増えたことは、

音羽屋の後継として、より芸を深めている証しと

言えるのではないかと思っています。

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尾上菊五郎の孫尾上丑之助は、中村吉右衛門の孫でもある

寺島和史(てらじま かずふみ)君

尾上菊之助の長男として、2013年11月に誕生しました。

2016年5月に初お目見えしてから子役として舞台でも姿を見せていました。

2019年5月に、歌舞伎座で尾上丑之助の襲名披露舞台が行われました。

幼いながらも、しっかりとセリフを言い、

立ち回りも務めた丑之助くんに

観客は拍手喝采でした。

さらには、父だけでなく、

2人の祖父、尾上菊五郎と中村吉右衛門も、

デレデレの様子が話題になっていました。

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尾上菊五郎の孫寺島眞秀は、声優・モデルもこなす実力派子役

寺島眞秀(てらしま まほろ)君

寺島しのぶさんの長男として、2012年9月に誕生しました。

2017年に歌舞伎の舞台に初お目見え、

それからは和史君と同じように、子役としての姿が見られます。

難しいセリフもしっかりと覚え、堂々と演技する姿が印象的でした。

2019年にはCM出演、モデルや声優を務めるなど、

活躍の場を広げていました。

 

 



尾上菊五郎が率いる音羽屋の主な役者

家族以外の音羽屋の一門から、

主要な役者を紹介します。

清元延寿太夫・尾上右近家【音羽屋】

2代目尾上右近について

尾上右近は、6代目尾上菊五郎の孫に当たります。

尾上右近 本名:岡村 研佑(おかむら・けんすけ)

家系:七代目延寿太夫の長男、祖父は六代目延寿太夫と映画スターの鶴田浩二。曽祖父は六代目尾上菊五郎。弟は清元昴洋(三味線方)。

生年月日 1992年5月28日

身長 170cm  体重 63kg

屋号 音羽屋

定紋 重ね扇に抱き柏

二代目尾上右近襲名 2005年「人情噺文七元結」長兵衛娘お久役 (新橋演舞場)

七代目清元栄寿太夫襲名 2018年1月

*初お目見えは11月「十六夜清心」(歌舞伎座)

趣味 絵を描く、歌を歌う、カレーの食べ歩きです。

詳しくはこちらをご覧ください

尾上右近の祖父は鶴田浩二、父は清元延寿太夫、曽祖父は尾上菊五郎!
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尾上松緑家・松助家【音羽屋】

4代目尾上松緑について

尾上松緑は、家系でいうと7代目松本幸四郎が曽祖父に当たります。

しかし、祖父の初代尾上松緑が6代目尾上菊五郎の弟子になったことから、

音羽屋を名乗っています。

尾上松緑:本名 藤間あらし (ふじま あらし)

生年月日 1975年2月5日

祖父 二代目尾上松緑

父 初代尾上辰之助(逝去後、三代目尾上松緑の名を追贈される)

屋号 音羽屋

定紋 四つ輪に抱き柏

初お目見え 1980年 本名の藤間あらしで「山姥」怪童丸役で初舞台(国立劇場)

二代目尾上左近襲名 1981年 「幡随長兵衛」長松役(歌舞伎座)

二代目尾上辰之助襲名 1992年 「壽曽我對面」曽我五郎役

四代目尾上松緑襲名 2003年 「勧進帳」弁慶役、「蘭平物狂」伴蘭平役(歌舞伎座)

六世藤間勘右衛門として、藤間流勘右衛門派の家元も務める。

2019年は、父である尾上辰之助(3代目尾上松緑)の追善公演を

見事にやりきった実力ある役者です。

四代目尾上松緑の家系、妻と離婚の理由。父尾上辰之助の追善公演は?
本日、2月大歌舞伎(歌舞伎座)が千秋楽を迎えました。 初世尾上辰之助、40歳の若さで早世した大器。 その生前の役者人生を偲ぶ33回忌追善公演でもありました。 この公演で、昼の部と夜の部でそれぞれ主役を務めたのが 息子の四代目尾上松緑です。 ...

 

2代目尾上左近について

4代目尾上松緑の長男、学業と両立しながら舞台に立っています。

三代目尾上左近:本名 藤間 大河 (ふじま たいが)

生年月日 2006年1月20日

家系 祖父:故三代目尾上松緑(初代尾上辰之助)、父:四代目尾上松緑

屋号 音羽屋

定紋 四ツ輪に抱き柏

初お目見え 2009年 「音羽嶽だんまり」の稚児音若役で藤間大河の撫で初お目見え

襲名 2014年 「倭仮名在原系図~蘭平物狂」の一子繁蔵役で三代目尾上左近を襲名し初舞台を踏む

2019年は、め組の喧嘩の粋のいい若い鳶を、

はつらつと演じる姿が可愛かったです。

2代目尾上松也について

父の故6代目尾上松助が2代目尾上松緑の弟子だったことから、

音羽屋を名乗っています。

尾上松也 本名:井上 龍一(いのうえ りゅういち)

家族:父 尾上松助(2005年逝去)、母 井上盛恵(女優:河合盛恵)、妹 井上由香(女優:春本由香)

生年月日 1985年1月30日

身長 178cm

趣味 野球・映画鑑賞・舞台鑑賞・フットサル

血液型 O型

出身校 堀越学園高等学校

*松本潤さんと大の仲良し、同級生に生田斗真さん

屋号 音羽屋

定紋 抱き若松

二代目尾上松也襲名 1990年5月「伽羅先代萩」鶴千代役 (歌舞伎座:父松助襲名公演)

当り役 「寿曽我対面」曽我五郎時正役、「三人吉三」お坊吉三役 など

山崎育三郎、城田優とユニット「IMY」を結成(2019年1月)

歌舞伎にとどまらず、ミュージカルやテレビドラマ、

最近はバラエティでも大人気ですね。

若い時の苦労が実ったように見えます。

 

尾上松也のwikiプロフィール(学校・身長・血液型など)、性格。苦労を乗り越え演技力も増したイケメン歌舞伎役者
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坂東彦三郎家【音羽屋】

初代坂東楽善について

5代目尾上菊五郎の子、6代目坂東彦三郎の孫に当たります。

初代坂東楽善 本名:坂東輝彦(ばんどうてるひこ)

生年月日 1943年3月31日

出身地:東京都

学歴 暁星高等学校

家系 父:17代目市村羽左衛門、弟:2代目市村萬次郎、4代目河原崎権十郎

息子:9代目坂東彦三郎、3代目坂東亀蔵、孫:6代目坂東亀三郎

屋号 音羽屋

定紋 鶴の丸

芸歴

1950年「菅原伝授手習鑑・寺子屋」菅秀才役で4代目坂東亀三郎襲名

1965年「寿曽我対面」朝比奈三郎役で8代目坂東薪水襲名

1980年「実盛物語」の斎藤実盛役他で8代目坂東彦三郎襲名

2017年 彦三郎の名を息子に譲り、初代坂東楽善を襲名

 

9代目坂東彦三郎について

坂東楽善の長男で、音羽屋を名乗っています。

九代目坂東彦三郎 本名:坂東 輝鄕(ばんどう てるさと) 

生年月日 1976年6月29日

血液型 O型

身長 173cm

家系 祖父:17代目市村羽左衛門、父:坂東薬膳、弟:三代目坂東亀蔵、

息子:六代目坂東亀三郎

屋号 音羽屋

定紋 鶴の丸、結び八重片喰、九字菱直違

襲名歴 1981年「菅原伝授手習鑑:寺子屋」寺子役、本名の坂東輝郷で初お目見え(国立劇場)

1982年「淀君情史」亀丸役、五代目坂東亀三郎を襲名

2017年「梶原平誉石切」梶原平三役、「壽曽我対面」曽我五郎役で九代目坂東彦三郎を襲名

舞踊名 藤間 善蔵(ふじま ぜんぞう)

趣味 野球観戦、音楽鑑賞

 

詳しくはこちらもごらんくださいね。

https://kabukist.com/hikosaburo-392

 

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こんにちしまれっとう! おい、 コロナウィルス!! 第二波・第三波を狙いながら 「ウィズ・コロナ」って共存も狙ってるんじゃねぇぞ! 撃ち殺してやる!! (火縄銃だけど…😅) 天気いいなぁー、 海行きてぇなぁー、 山も行きてぇなぁー、 散髪も行きてぇなぁー、 サウナも行きてぇなぁー、 マッサージにも行きてぇなぁー、 でも、 でも、 でもでもでもでも、我慢!!!! 一人の身勝手、みんなに迷惑。 もうちっと耐えるわ。 #歌舞伎 #音羽屋 #歌舞伎役者 #彦三郎 #坂東彦三郎 #九代目 #歌舞伎部 #otowayabando #歌舞伎大好き #KABUKI コメントはお気軽に📝 ランダムに返信しまっせ✍️ 撮影: 田口真佐美

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3代目坂東亀蔵について

坂東楽善の次男で、音羽屋を名乗っています。

坂東亀蔵:本名 坂東

生年月日 1978年9月16日

家系 祖父:17代目市村羽左衛門、父:坂東薬膳、妻:竹内久乃(フリーアナウンサー)

兄:八代目坂東彦三郎、甥:六代目坂東亀三郎

屋号 音羽屋

定紋 鶴の丸

舞踊名 藤間楽蔵

芸歴

1984年『夏祭浪花鑑』の団七枠市松で初お目見え

1989年『め組の喧嘩』の枠又八で坂東亀寿

2017年 三代目坂東亀蔵を襲名。

お兄さん同様声がよく、姿もいい役者です。

 

6代目坂東亀三郎について

9代目坂東彦三郎の息子です。

まだ小学生、子役で活躍しています。

本名:坂東 侑汰(ばんどう ゆうた)

生年月日:2013年2月5日

父、祖父など:祖父:初代坂東楽善、父:9代目坂東彦三郎

屋号:音羽屋

定紋:鶴の丸

初お目見え:2013年「壽曽我対面」鬼王家臣亀丸役で六代目坂東亀三郎を名のり初舞台。

豆情報:特技は、絵画と工作。

若干6歳にして、2年の芸歴の持ち主。お行儀の良さと、セリフの言い回しは、

定評があるそうです。

父は燕党(スワローズファン)として有名なのですが、

彼も趣味が野球観戦とのこと。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この他にもお弟子さんや、

菊五郎劇団の役者さんもたくさんいらっしゃいます。

また別途紹介できればと思っています。

 



 

七代目尾上菊五郎、世話物狂言への思い

最後にちょっと歌舞伎ネタ。

尾上菊五郎は、代々江戸の世話物を得意としてきました。

六代目の名優も、元菊五郎もそこは受け継いでいます。

世話物狂言というのは、江戸時代の庶民の生き様や事件、風俗などを

描いたものです。

歌舞伎が盛んだった江戸の時代の方達にとっては、

時代の流行をこの芝居を通して知ったそうです。

テーマとして、義理人情や色恋沙汰が多いようですよ。

現代のバラエティーショーに通づるものもありますね。

その世話物について、

七代目菊五郎は次のように語っています。

「世話物の芝居は細かいんですよ。

どの役でも初めて演じるときには、せりふを言って決まった動きをすることだけに神経がいきます。

回数を重ねるうちに周りが見えてくる。そうすると面白くなってくる。

『相手がこういう風にせりふを言っているから、こっちが言いにくいんだな』と気付くこともある。

そうすると『こういう風に言ってくれないか』と注文も出せます」

相手役の方とのやりとりを通じて、芝居を作って行く過程、

とても興味深いです。

そして、セリフにも強い思い入れをお持ちのようです。

「”時代に世話あり、世話に時代あり”といわれるように、世話狂言でも、

時代物的なせりふ回しが入ることがあります。それが芝居にメリハリを付ける――。

さらさら言ってしまうと印象に残らないでしょう。だから“時代に”せりふを言うんです。」

菊五郎のセリフ回しはとてもテンポがいいのです。

間の取り方も絶妙ですし、声のトーンも変えて話すので、

セリフだけでも舞台にグイグイ引き込まれる強さがあります。

声も通るので、益々その魅力を感じます。

 

若い時、三之助と銘打った盟友はすでにこの世にいません。

目をかけて育てた、中村勘三郎、坂東三津五郎も同様です。

現在は、若手にも教えを授けながらも座長として舞台を引っ張る方です。

まだまだ、脂の乗り切った演技を拝見したいと説に願うものです。

 

いつまでも観ていたい役者、七代目尾上菊五郎の存在は、

あまりにも大きいのです。

今日も読んでくださり、ありがとう存じまする。



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