日曜美術館「鏡獅子」制作秘話。六代目尾上菊五郎と彫刻家平櫛田中、尾上右近も登場【11月3日に再放送】

国立劇場に行くと劇場前でお客様を迎えてくれるのが、

高さ2mにもなる「鏡獅子」。

名優と謳われた六代目尾上菊五郎をモデルに作られた彫刻です。

10月27日放送の「日曜美術館」では、

彫刻家平櫛田中の生涯を追い、

「鏡獅子」制作秘話にも迫りました。



六代目尾上菊五郎とは、どういう役者だったのか?

演劇の神様とまで呼ばれた不世出の名優

そう言われている歌舞伎界のレジェンドのお一人です。

六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう)、

本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。

1885年(明治18年)8月26日 – 1949年(昭和24年)7月10日)没。

屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、。

俳名に三朝がある。

立役、女形ともに演じ分け、

新しい解釈を取り込むことに意欲的で、

数々の芸を演じるとともに、舞踊にも優れた才を示した。

当たり役は数知れないが、有名なものとしては、

『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子

『春興鏡獅子』の弥生/獅子の精

『義経千本桜』の狐忠信 などがある。

初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。

兄弟 は、六代目坂東彦三郎

子は、七代目尾上梅幸(養子:七代目尾上菊五郎の父)、

二代目尾上九朗右衛門、

久枝(十七代目中村勘三郎の妻:十八代目中村勘三郎の母)、

多喜子(六代目清元延寿太夫の妻:尾上右近の祖母)

二代目大川橋蔵(養子) である。

1949年、死後(死去日に遡って)に

歌舞伎役者で初めての文化勲章を受章している。

*七代目尾上菊五郎については、こちらにも書いていますので、よかったらお読みくださいね。

歌舞伎役者尾上菊五郎は、歌舞伎界の大御所のひとりです。 梨園でも名門と言われる音羽屋を率い、血筋、弟子筋で 多くの人気役者も抱え...



六代目尾上菊五郎と尾上右近との関係は?

番組では、六代目尾上菊五郎のひ孫である、

歌舞伎役者尾上右近も登場しました。

ひ孫とはいっても、右近の家は、

清元を代々世襲してきたお家、

歌舞伎役者のお家とは違います。

その右近が、歌舞伎役者を目指したきっかけが、

六代目尾上菊五郎演じる「鏡獅子」の映像を見たことだ、

というのは有名な話です。

曽祖父が演じている認識がないまま、

鏡獅子になりたい、、、と

幼い心に思ったとのこと。

ある意味、~~レンジャーと同じ

ヒーローのような存在。

それがめざせるかも・・・ということがわかり、

なおさら舞台に興味が出てきたと話していました。

番組では、岡山県にある田中美術館を訪ねる

右近の話も放映されていました。

鏡獅子の像は、複数あり、

それらは微妙に表情が違うのだそうです。

一番近いのは、国立美術館にある像らしいです。

*尾上右近については、こちらにも書いていますので、よかったらお読みくださいね。

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平櫛田中とは、どういう彫刻家だったのか?

「わしがやらねばたれがやる」を口癖とし、

伝統を生かしつつも新たな表現を模索した彫刻師です。

明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、

青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、

上京して高村光雲の門下生となりました。

その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、

仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作します。

大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、

その成果を代表作《転生》《烏有先生》などにおいて示しますが、

昭和初期以降は、彩色の使用を試み、

「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求めました。

昭和33年に22年の歳月をかけて完成した国立劇場の《鏡獅子》に

田中芸術の集大成を見ることができます。

昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章しました。

番組では、岡倉天心の師事した時の苦悩、

自分らしい表現を目指しての試行錯誤も語られました。

天心の教えでもある「不完全の美」は、

その後の田中の作品に、大きな影響を与えていることが

うかがえます。

晩年は、東京都小平市に移り住み、

107歳で永眠します。

小平市のアトリエは、現在は平櫛田中彫刻美術館として

公開されているそうです。

http://denchu-museum.jp/gaiyo



日曜美術館で語られた「鏡獅子」秘話とは?

この「鏡獅子」が完成するまでは、

22年の歳月がかかっているそうです。

きっかけは昭和15年、田中が、

六代目の「春橋鏡獅子」を見たことでした。

その姿に一目惚れした電柱は、

国民的ヒーローの役者に、

作品のモデルになってくれるよう、

頼んだのだそうです。

歌舞伎の芸を、後の代まで残すということで、

六代目はその頼みを受けました。

裸になってほしい、という頼みにも応じ、

何度もアトリエを訪ねモデルになったそうです。

1年後、試作品を完成させた時、

彩色されたその姿に驚いた方も多かったそうです。

木彫に色をつけることは

まだその時代は受け入れるのが難しかったようです。

田中は木造に色彩を施すことにより、

木彫の可能性を探りたかったのですね。

戦争を挟み一旦は中断した、制作が再開したのは、

終戦から8年後。

その時は六代目はすでにこの世の方ではありませんでした。

しかし、それからも手が止まってしまいます。

肖像制作として目指したのは鑑真和尚像。

そこまでの高みを目指すからでしょうか、

六代目との伝統を後世に残す約束からでしょうか、

苦悩の中でこの「鏡獅子」は完成するのです。

完成された鏡獅子は鮮やかな色彩に包まれた、

西洋の息吹も取り入れながらも、

伝統の技を通じて表現されたものです。

そこには、新たな可能性を信じ、

木彫の表現に打ち込んだ田中の人生がつまっています。

日曜美術館「わしがやらねばたれがやる~彫刻家平櫛田中~」は、

NHKEテレにおいて

10月27日(日)9:00~9:54に放映です。

再放送は、11月3日(日)20:00~20:54です。

番組サイトはこちらからどうぞ

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-10-27/31/23486/1902820/

読んでくださり、ありがとう存じまする。