片岡仁左衛門さんが、令和4年の歌舞伎座2月大歌舞伎で
義経千本桜の一幕、「渡海屋」「大物浦」を演じ上げました。
一世一代と銘打った、この舞台。
碇知盛の描写に鳥肌が立つほどの感動をいただきました
片岡仁左衛門、一世一代とはどういう意味?
片岡仁左衛門さんは、77歳というご高齢。
一般社会ではもういいおじいちゃんです。
それが、一流のアスリート並の過酷な舞台を
1ミリの揺らぎもなく演じきる姿に感銘を受けています。
その仁左衛門さんが、令和4年の2月、
歌舞伎座の舞台で、
「義経千本桜」の中の「渡海屋」と「大物浦」で、
主人公である平知盛を演じられました。
この役については、次の項で詳しく述べますが、
心身ともに結構キツイ大役です。
この役を演じるにあたって仁左衛門さんは、
「一世一代」と銘打ちました。
「一世一代」とはどういう意味なのでしょうか?
一世一代とはどういう意味?
一世一代の意味をコトバンクで調べると、
次の2つの意味が上がってきます。
① 一生のうち、ただ一度であること。またとないようなこと。一代一世。
② 能・歌舞伎の役者が、引退などを前に、以後再びその芸を演じない決心で、りっぱな舞台をつとめること。また、その舞台。舞台納め。
今回の場合は、②に当たります。
すなわち、役者の演じ納めの舞台であるということです。
私は長年歌舞伎を見ていますが、
役を納めるということはそれほど頻繁にあることではありません。
もちろん、高齢になって務めなくなるお役はありますが、
それは自然にそういう演目になっていきます。
でも、最近の例でいうと
同じく仁左衛門さんが、
「油殺女地獄」で主人公の河内屋与兵衛を演じ納めています。
これは、次の若手に役を譲るためという風に聞いていました。
加えて、この役は若さゆえの狂気や色気というのも必要とされるため
いつまでも演じていてはという気持ちになったということも聞いています。
また、坂東玉三郎さんが、
代表作と言われる「鷺娘」を舞台納めたことも印象に残ります。
このお役は、衣装が重い上に身体的に負荷のかかる踊りでもあり、
満足する踊りができなくなる前にやめるとしたお役でもあります。
不可ではなく、敢えて断つというところに
この一世一代という言葉の重みを感じます。
片岡仁左衛門にとっての一世一代とは
片岡仁左衛門さんは、自身のインタビューで
この「一世一代」について次のように語っていらっしゃいます。
「『次でいいか』と思っているお客様も、今回で最後だと思ったら観に来てくださるのでは(笑)」
「芝居に“完成”というものはありません。なのでまだまだ勉強し、演じていきたい気持ちはあるのですが、知盛の衣裳は20kg近くもあるため、体力を非常に消耗します。今後、お客様に対して恥ずかしくないよう知盛を勤められるかどうか自信がないんです。なので今回を最後としました」
「……まあ、(“一世一代”と)うたっておかないと、『やっぱりもう1回やってみよう』となりかねないので(笑)。自分にブレーキをかけるためにも、皆様への公約でございます」
これらの言葉からも、
自身ができる最高の演技のまま舞台を納めたいというお気持ちが伝わります。
それだけに、この役にかけた思いの強さもひしひしと伝わってくる言葉だと思いました。
この「一世一代」があろうとなかろうと
私は片岡仁左衛門さんの碇知盛を拝見したいと思っていました。
しかし、この言葉を聞いてからは
ただ見るだけではなく、
その想いもしっかり受け止めるくらい集中して観たい!!と強く思いました。
*片岡仁左衛門さんについてはこちらに詳しく書いています。よかったらお読みくださいね。
片岡仁左衛門が演じた碇知盛とはどんな役?
片岡仁左衛門さんが、「一世一代」と想いを込めたこの碇知盛というお役、
一体どんなお役なのでしょう?
これは、通し狂言「義経千本桜」の主要な登場人物の一人です。
「義経千本桜」とは、
兄の源頼朝から排斥された源義経が、吉野までおちのびる過程を縦軸に、
源平に関係のある人物たちのエピソードを織り交ぜた物語です。
義経と名はついていますが、実際のお芝居では、
3人の人物が主人公として描かれます。
この碇知盛とは、二段目の「渡海屋」「大物浦」の主役です。
壇ノ浦で義経に敗れた平家の一人、平知盛。
共に海に沈んだと言われていた、安徳帝や局たちが生きていたという設定。
頼朝に追われた義経が逃げる途中で利用した船宿の主人銀平がその知盛で、
船を出すと見せかけて海上で義経を襲い恨みを晴らそうとします。
しかし、義経らに見破られ、安徳帝を保護するという義経の言葉に安堵し
大物浦に碇をまとい沈んでいくというお役です。
出は、船宿の主人らしい恰幅の良さと威厳(そして色気)
途中から、義経を討とうとする気迫に満ちた武者
後半は、瀕死の重傷を負いながらも義経への恨みを果たそうとする執念と、
安徳帝の言葉にその恨みを解き、覚悟のまま身を投げる碇知盛
この三様の姿を演じ分けることからも
立役の中でも大役といわれるお役です。
仁左衛門さんは、このお役を当たり役とされていて、
それだけに、一世一代という思いで演じられたのだと思います。
*義経千本桜のあらすじや登場人物についてはこちらに詳しく書いています。よかったらお読みくださいね。
片岡仁左衛門、一世一代の碇知盛は奇跡のようだった
「義経千本桜」私にとってはベストトいえる演目です。
でも、碇知盛はそれほど好きではありませんでした。
なぜかというと、悲壮感漂う芝居だからです。
万全の思いで臨んだ戦いに、見事裏をかかれて、
安徳帝以外の平家方のものは命を落とします。
それも壮絶な討ち死にです。
ぱ~っと華やかな歌舞伎の舞台でも
重々しく悲劇的な一幕だと思っていました。
でも、見栄えはかっこいいんですよ。
知盛の装束も、最後の碇を担いで共に身を投げるシーンも
見どころとしては大ありです。
はい、余計なことは差し置いて、このお芝居を観た感想を書いていきます。
私は、このお芝居を2回観ました。
そして2回ともに共通して感じたのが、
片岡仁左衛門という役者のすごさと
それを支える周囲の役者のチームワークです。
仁左衛門さんのすごさは、後に書くとして
このチームワークについて思うことが多々ありました。
チームワークの良さ、各役者の活躍
この物語で、平家方の恨みをはらす、義経を討つという
目的のための前半のまさにお芝居の部分と
後半の平家滅亡への滅びの部分とでは
登場人物のカラーがガラリと変わります。
渡海屋が平家水軍になるのです。
義経を欺くための細かな演出は一部お楽しみも加わり
肩の力を抜いて観ることができました。
特筆すると
相模五郎役の中村又五郎さん、入江丹蔵役の中村隼人さん、
初めはちょっと間の抜けた北条方の侍として登場しました。
銀平に投げ飛ばされてからの魚言葉を交えたセリフや
滑稽な動作はクスクスと笑いが漏れる楽しい場面でした。
銀平の女房お柳が義経に酒を振る舞う場面では、
銀平の日和を見る目の確かさを大げさに自慢し、
それを恥ずかしそうにする姿、
旅の無事を祈り盃を回す姿など、
主人にゾッコンな可愛い女房姿に気持ちがほころびました。
が、義経を送り出してからの表情や佇まいの変化は
息を飲むものがありました。
ここから、渡海屋は一気に戦いの場になるのです。
筋書には、
「父の知盛が大きいので、自分もそれ以上の身分であることを意識して演じる」
という孝太郎さんの思いがありました。
その通りに、可愛い女房が気高い局に変わった一瞬が印象に残りました。
後半は典の局として、
知盛の敗戦を知ると、帝に覚悟を促す毅然とした姿に尊厳が感じられました。
義経に帝が保護された後、自害してしまうのですが、
最後の天を仰いで祈る表情が仏のようにも見えました。
子役も負けていませんよ。
娘お安から帝への切り替えもすごかったなあ~
小川大晴さん、中村梅枝さんのご長男で
義経役の中村時蔵さんのお孫さんです。
知盛を見下ろす視線の気高さ、
この子は大物になるのではないかと目が離せませんでした。
*片岡孝太郎さんについてはこちらに詳しく書いています。よかったらお読みくださいね。
片岡仁左衛門のすごさ
最後に片岡仁左衛門さんのすごさについて書きます。
私が書かずとも、劇評では賞賛された素晴らしい銀平・知盛でした。
特に印象に残ったことを3つまとめます
片岡仁左衛門のすごさ1:銀平の貫禄
登場は花道から傘をさして。
これは、江戸の型を取り入れたということです。
颯爽とした姿は超かっこいい!
背が高くてすらりとした仁左衛門さんだからこそ
この演出が生きると思うほどです。
相模五郎、入江丹蔵との絡みも
無駄な動きやセリフがなく
視線だけで頭領の凄みを感じさせるものでした。
いるだけでスケールの大きさが伝わる役者だなあと
改めて感じたものです。
片岡仁左衛門のすごさ2:瀕死の姿に息苦しくなる
義経軍に戦いで敗れ、帝を探しに戻る瀕死の知盛。
仁左衛門さんは、
本当に苦しくなる、、とこの場面をおっしゃっていました。
観ている私もとても苦しかったです。
息遣いや絞り出すような声の出し方、
血に染まった衣装が物語る戦いの凄まじさも
とにかく苦しいのです
知盛、本当に苦しいのだ、、ということが
ひしひしと伝わってくるのです。
それでも、源氏への恨み、安徳帝を守りたい気持ちは根深く
寄ってくる敵を打ちはらいます。
弁慶がかけた数珠でさえ、引きちぎるほどの
凄まじい恨みの念が
断末魔の知盛をより壮絶に見せていました。
見るだけで苦しい、そんな知盛、心を突き動かされました。
片岡仁左衛門のすごさ3:身を投げるラストの表情
平知盛は、最後は海に沈みます。
恨みで爆発しそうだった知盛を収めたのが
安徳帝の一言です。
「義経の情けを仇に思うな」
義経は、典の局にも帝にもそして知盛にも、
帝を保護すると約束するのです。
帝の言葉、義経の態度に
知盛の恨みや執念は放たれて行くのです。
そして、父清盛の非道の限りが平家の滅亡を招いたと
その運命を受け入れるのです
ここで、知盛は自分は亡霊であった、、と
そうして碇の艫綱を身体に巻きつけ
海へと深く沈んでいくのです。
この演出はわかってはいるけれど、
私が観た2回、表情が微妙に違いました。
怒りも恨みも消え、静かな表情でのダイブは同じなのですが、
千穐楽の表情は
笑みを浮かべているように見えたのです。
一世一代をし終えた安堵の笑みか、
全てを悟り帝に未来を託しての笑みか
どちらも重なるように見えました。
役者に役が憑依する、そんな印象を受けたこの場面、
鳥肌が立つほどの感動に襲われました。
こんなこと滅多にないです。
周りの人たちも放心したように拍手をしていました。
お芝居は、
義経ら一行が帝と花道を去り、
最後に弁慶が海に向かって法螺貝を吹くところで終わります。
全てが調和した完璧な舞台。
この感動を超える舞台がこの先あるのだろうか、と思えるほど
心がいっぱいになる舞台でした。
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