坂東玉三郎、歌舞伎女形、当代ベスト1、世界を魅了した美と芸。若手への指導にも尽力。第31回世界文化賞も受賞!

当代一の女形、坂東玉三郎。

その美しさ、華やかさ、艶やかさ、舞台上ではひときわ光を放つ役者です。



坂東玉三郎のプロフィール、家系、本名、歌舞伎役者誕生までのヒストリー

坂東玉三郎は、梨園の御曹司ではありませんでした。

一般の家庭から、歌舞伎界に入り、

日本中、いや世界中を虜にし、人間国宝にまでなった役者です。

五代目坂東玉三郎のプロフィール

五代目坂東玉三郎のプロフィール

坂東玉三郎:本名 守田 伸一(もりた しんいち) 通名/親市

旧姓は楡原

生年月日 1950年4月25日 

身長 173㎝

家系 養父:十四代目守田勘弥

学歴 聖学院高等学校卒業

趣味 ダイビング

屋号 大和屋

定紋 花勝見

芸歴 1956年 十四代目守田勘弥の部屋子となる

1957年 『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の小太郎役で坂東 喜の字を名のり初舞台(東横ホール)

1964年 『心中刃は氷の朔日』のおたま役他で五代目坂東玉三郎を襲名(歌舞伎座)守田勘弥の養子となる

2012年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定

*今月の納涼歌舞伎第3部「新版雪之丞変化」については、こちらにも書きましたので、よかったらお読みくださいね。

歌舞伎座の納涼歌舞伎第3部を観ました。 大役者、坂東玉三郎が納涼初出演とあり、 その深い意趣も伺える、圧巻の舞台でした。 ...



歌舞伎役者坂東玉三郎の誕生まで~病気から梨園の養子になるまで~

プロフィールからもおわかりの通り、

坂東玉三郎は、梨園の生まれではありません。

生家は料亭ということですが、

幼い頃、それこそ物心がつく前から、

扇子などを持って踊っていたというほど、

踊りが大好きなお子さんだったそうです。

しかし、幼く(1歳半)して小児麻痺を患い、

そのリハビリのために踊りを始めたのだそうです。

最初は、家にお師匠さんが通って習っていたのを、

3,4歳からは本格的にお稽古に入ったそうです。

6歳の頃に、守田勘弥の弟子入りをして、7歳で初舞台。

そこで本格的に歌舞伎の道へ入ることになり、

14歳の時に坂東玉三郎という名前を受け継ぎ、

養子となって現在に至ります。

最近は、片岡愛之助、中村梅丸(11月に襲名予定)等々、

一般の家庭から役者に弟子入りをし、

養子となって歌舞伎役者として育っていく方もいらっしゃいます。

坂東玉三郎の時代は、

まだそこまで門戸は広くなかったと思われます。

師匠の守田勘弥は、名前を受け継がせた時に、

「今日からは専門家になるのだからいままでのような稽古のやり方ではなく、とても厳しいものになるよ」

と玉三郎に言い、いろいろなお稽古を積ませたのだとか。

玉三郎も、好きでやっていた、踊りやお芝居を、

この時から、専門家としてやっていくために

様々な稽古をした、、、と語っていました。

当時、舞踊、三味線、鳴り物、義太夫、お茶、お花、ピアノなどなど、

同じものを2軒のお稽古塲に通うこともあったのですって。

朝の10時くらいからどんどん通っていって、

午後5時15分の国立劇場の開演に間に合う時間まで習う。

そういう日課を20歳くらいまで続けていたそうです。

その頃の下地が、今の玉三郎を作っているのでしょうね。

本物から基本を学ぶ、これは、若手指導に力を入れる

玉三郎の姿勢と重なるところがありますね。



坂東玉三郎、世界が認めるその美と芸

坂東玉三郎は、日本の歌舞伎役者として、

世界でもその名を知られる存在です。

1983年にメトロポリタン歌劇場100年記念祭のガラで代表作「鷺娘」を上演、

大絶賛を浴びます。

その後も、アンジェイ・ワイダ(ポーランドの映画監督)や

ダニエル・シュミット(スイスの映画監督)、ヨーヨー・マ(チェリスト)

など世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開し、

国際的に活躍をしてきました。

自らバレエも踊る玉三郎は、

世界的振付師であるモーリス・ベジャールとも親交がある。

その関係で、名だたるダンサーとも共演をしてきました。

1998年には、

バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフと共演し、

「坂東玉三郎は役者としての演技だけでなく人間としてもすごい。」

と記者会見での言葉を引き出しています。

坂東玉三郎の代表作でもある「鷺娘」。

シネマ歌舞伎として蘇った時は、

このバリシニコフとシルヴィ・ギエムから、

それぞれ次のようなコメントがありました。

彼のパフォーマンスでは優雅さ、テクニック、ビジョン、

そしてドラマがその不滅の肉体において一つになっている。

すべての瞬間は感情に満ち溢れ――時に抑制され、時に解放され――、

しかしながら常に、この現代最高峰の女方の圧倒的なコントロールのもとにおかれている。

byミハイル・バリシニコフ

『鷺娘』を観た日、一緒に鑑賞した姪にこう言った。

「今まさに『美』を観たのよ。」

人生には、シンプルで純粋な感情を目撃した衝撃で、自分が永遠に変えられてしまう瞬間がある。

この舞台はそんな瞬間だった。

byシルヴィ・ギエム

*シネマ歌舞伎「鷺娘」については、こちらにも書いていますので、よかったらお読みくださいね。

坂東玉三郎の名舞台がスクリーンに登場!と 話題のシネマ歌舞伎「日高川入相花王」「鷺娘」を 観てきたので、感想を紹介します。 ...



坂東玉三郎、芸の継承に力を尽くす~若手への指導に尽力~

坂東玉三郎は、現在若手の指導にも力を入れています。

しかし、その思いは決して楽観的なものではありません。

自身が時間をかけ、修練を積み、他分野からも学び、

新たなものを創作しながら現在の芸を体現しているところからでしょうか、

「道」という観念が希薄になったと危機的な印象もお持ちのようです。

それでも、伝えられる人には、伝えられることを伝えたい、

そんな言葉もおっしゃっています。

若手に芸を受け継ぐ、というとイメージに上がるのが、

昨年12月の「阿古屋」、今年8月の「伽羅先代萩」です。

阿古屋は最高難度の役、

昭和の時代は六代目中村歌右衛門が、

平成の時代には、坂東玉三郎が、

ただ1人しか演じられる役者がいない役でした。

このことも今だから伝えねば、という思いだったのでしょうね。

中村梅枝と中村児太郎が、

この役を演じる機会を得て、

坂東玉三郎からお稽古をつけたということでした。

この時に玉三郎が2人に伝えたこととして、

「阿古屋であることを忘れないでね。」

「3つの楽器を奏でるだけでなく、役の中で演じなさい。」

ということだったそうです。

役を作る、役になる、これは技能だけではできないことです。

心を作ることを玉三郎は伝えたかったのかなと

私は思いました。

「伽羅先代萩」では、政岡役に

中村七之助が挑みました。

玉三郎と、父の勘三郎が仲がよかったことから、

七之助は度々、玉三郎の教えを受けていたようです。

今回の「伽羅先代萩」では、

もちろん、全部教わったことは大事であるけど、

政岡と千松、鶴千代の3人の場面で、

その関係や世界観を見ているお客様に伝わるように演じる、

ということを、特に印象深く学んだそうです。

ここでも、その役をその世界を表現する、

という意味が伝わってきます。

*納涼歌舞伎第1部「伽羅先代萩」についてはこちらにも書いていますので、よかったらお読みくださいね。

歌舞伎座8月納涼歌舞伎、私の初日が明けました! 第1部の「伽羅先代萩」「闇梅百物語」を 観てきたので、その感想レポートです。 ...

最高位の女形だからこそ伝えることができる

芸の芯を、今後の舞台で活躍する役者へ

教えることは、

芸の継承、発展にとってはとても重要なことだと思います。



坂東玉三郎、第31回世界文化賞受賞が決定!

9月18日に入ってきたニュース!

世界の優れた芸術家に贈られる

第31回「高松宮殿下記念世界文化賞」の2019年の受賞者が

17日に発表され、演劇・映像部門で坂東玉三郎(69)

音楽部門でバイオリンのアンネ=ゾフィー・ムター(56)ら

5人が選ばれた、とのことです。

歌舞伎では、過去に故中村歌右衛門、坂田藤十郎も

受賞しているこの賞です。

坂東玉三郎は、至高の女形として、

広く認められたことをも表していると思います。

ファンとして、とても嬉しい、

おめでとうございます。

坂東玉三郎の話題はまだ尽きないのですが、

今日はこの辺で終わりにします。

まだまだ、観られる限りは玉三郎の舞台を観ていきたいと

強く思いました。

読んでくださり、ありがとう存じまする。