11代目市川海老蔵が13代目市川團十郎を襲名するビッグイベントが
2020年5月に行われます。
海老蔵だけでなく歌舞伎役者って、名前の前に何代目ってつきますよね。
役者の名前の不思議を紹介します。
歌舞伎役者なまえの秘密!
歌舞伎役者が同じ名前を名乗るのはなぜ?
市川海老蔵が11代目、ということは、
市川海老蔵という役者が今まで他に10人いたことになります。
最初の一人が江戸時代の人だから、
約360年ほどかけてその名前をついできたことになります。
普通の役者さんには、あまり見られないですよね。
いくら名優と言えども、
役所広司も木村拓哉も松坂慶子も安藤サクラも一人しかいません(あ、この演出は適当です、悪しからず)。
でも、歌舞伎に限らず伝統芸能の世界には、
先人の名前をつぐという習わしがあります。
それは、名前とともにその先人が磨いてきた芸と役者としての格を引き継ぐということ。
歌舞伎の名前には格付けがありまして、
大きな舞台(自主公演や地方公演などではない)での
主役級の大きな役を演じられる役者は
だいたい決まっているのです。
2月の歌舞伎座では、
「菅原伝授手習鑑」で菅丞相役を片岡仁左衛門が、
「人情話文七元結」で長兵衛役を尾上菊五郎が演じました。
どちらも現在では最も角が高い役者と言われるお二人です。
これを、、、そうですね、
人気があるからといっても若手の役者が歌舞伎座で務めることは、
100%ないでしょう。(特に菅丞相は)
先人の名前をつぐことは、その名に恥じないように、
役者自身もより精進し、歌舞伎舞台の質も高めていくことが期待されるのです。
それと下世話かもしれませんが、
興行主にとっても、大きな舞台ができることは、
収入アップにも繋がるので、
ビジネスとして戦略的に行なっているのです。
海老蔵の團十郎襲名公演ももちろんその流れに乗っているので、
一世一代の襲名イベントを注目したいものですね。
襲名(しゅうめい)とは、歌舞伎役者が名前をつぐ仕組み
では、どうやってその名前をついでいくのかも
ここで説明しますね。
歌舞伎の襲名は、役者がある節目を迎えた時に、
それぞれの家において上位の名前を継いでいきます。
例えばさっきから取り上げている、市川團十郎家の場合は、
新之助(しんのすけ)→海老蔵→團十郎となります。
尾上菊五郎家では、丑之助(うしのすけ)→菊之助(きくのすけ)→菊五郎というように、
段階的に襲名していきます。
ほとんどの場合、襲名披露興行という、特別な舞台が上演されます。
演目は、そのお家に由来があるものが選ばれることが多いです。
今回の團十郎襲名では、成田屋十八番と言われるものの中から、
いくつか(勧進帳、助六など)選ばれています。
2019年の尾上丑之助襲名舞台演目は、
「絵本牛若丸(えほんうしわかまる)」が行われました。
これは、父である当代尾上菊之助が丑之助を襲名した時に
務めたものと同じ演目です。
このように、由緒あるお家では演目も決まっていることが多いです。
加えて、先輩の俳優によって襲名が披露される「口上(こうじょう)」の一幕も上演されます。
口上とは、ご挨拶の言葉を述べること。
舞台にずらりと並んだ役者が、一人一人お祝いの言葉を述べる一幕は、
壮観としか言いようがありません。
團十郎襲名では後ろ盾となるのは尾上菊五郎かな?
って思っているのですが、
菊五郎の口上はいつもちょっとユーモアが混じるので面白いんです。
誰が並ぶのか、どのような言葉を述べるのか、
襲名が決まってから、1年以上もワクワクしているんです。
歌舞伎のおなまえ、格の高さも知りたい!
数多いおなまえの中でも格付けがあるようです。
格の高い名前と、古くから伝わる名前をここでは紹介します。
歌舞伎で一番格の高い名前は?
現在最も格が高い名前は、
市川團十郎であると言われています。
それは、歌舞伎の市川一門の宗家でもあり、
その長い歴史と数々の事績から、
市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも
最も権威のある名とみなされているからです。
2013年に12代目團十郎が逝去してから空いていたこの名を
今回海老蔵がつぐのは、
本人がどうのというのとは関係なく、
歌舞伎界にとって必要な名前であるという意義もあると思っています。
現役の役者の名前の中では、
坂田藤十郎、尾上菊五郎、片岡仁左衛門、松本白鸚、中村吉右衛門が
名実ともに格が高い名前と言えます。
故人となったお名前では、
中村歌右衛門、中村勘三郎、澤村宗十郎、坂東三津五郎という名も大きなお名前です。
歌舞伎で一番古い名前は?
次に気になっちゃうのが、伝統という面。
歌舞伎の元祖と言われるのは出雲の阿国です。
でもこの方は、歌舞伎というお芝居を演じる役者とはちょっと違います。
実際に芝居小屋ができて歌舞伎が始まったのが、
1624年と言われています。
そして、1670年までには江戸四座という4つの大きな芝居小屋がで
歌舞伎の公演が行われるようになりました。
その頃から残っている名前として、
市川團十郎、中村勘三郎、市村羽左衛門(宇左衛門)、河原崎権之助などがあります。
松本幸四郎も結構古くから続く名です。
上方(京都など関西系)の古い名としては、片岡仁左衛門、坂田藤十郎などがあります。
こうしてみると、現在でも格の高い名前というのは、歴史も古いということがわかります。
まだまだ私も知らないことが多いので、
これは勉強しがいがあります!!
歌舞伎の屋号とは?
歌舞伎役者が所属する家(一門)にはそれぞれ屋号があります。
それは江戸時代の身分差別の名残があります。
武士以外は名字を持つことが許されなかったため、
大きな商店や農家に倣って、
役者も○○屋という屋号をつけたのではないかと
言われているそうです。
その先駆けとなったのが、
市川海老蔵でおなじみの「成田屋」です。
これは、市川家が成田山を信仰していたことからきたと言われています。
どの役者もどの家のものですよ、ということがわかるように
屋号がついています。
同じ家族でも屋号が違うことがあります。
例えば、
中村雀右衛門は「京屋」という屋号ですが、
その兄の大谷友右衛門は「明石家」です。
また、若手イケメン役者で人気の中村隼人は「萬屋」です。
中村獅童も同じく「萬屋」です。
この2人は、祖先をたどっていくと
3代目中村時蔵の子孫というつながりがあります。
隼人にとっては曽祖父、獅童にとっては祖父にあたる役者です。
そういう繋がりもあるのです。
お名前と屋号の一覧は、こちらからも見られますよ。
まだ上巻だけですが、近々下巻も公開します。
歌舞伎役者のお名前の謎、少しはわかりましたか?
私ももっともっと勉強して、
みなさまにお伝えできるようにがんばります!!
読んでくださり、ありがとう存じまする。
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