九代目市川中車さん、二代目市川猿翁さんの長男で
本名は香川照之さん。
「半沢直樹」の大和田常務、カマキリ先生としての人気も高いです。
では、中車としての歌舞伎界の評判は?
なぜ市川中車さんが46歳にして歌舞伎の道を選んだのか?
そこには、息子團子さんへの思いと、父猿翁さんとの確執が関係しているのですよ。
まさにドラマになりそうなプロフィールの持ち主でもある
その市川中車(香川照之)さんについて紹介していきます。
ぜひ読んでください、「おねしゃす!!」笑

市川中車の家系図とプロフィール(香川照之:俳優名)
市川中車/香川照之のお家は、歌舞伎界でも名門にあたるお家なんです。
現在は、いとこである4代目市川猿之助が率いている家で、
「澤瀉屋(おもだかや)」と言います。
なぜに、46歳で歌舞伎役者?を説明する前に、
まずは、市川中車/香川照之のプロフィールと家系図から、
紹介していきますね。
九代目市川中車のwikiプロフィール
市川中車 本名:香川 照之(かがわ てるゆき)
生年月日 1965年12月7日
出身地 東京都
家系:
祖父:三代目市川段四郎、祖母:高杉早苗(女優)、父:二代目市川猿翁、
母:浜木綿子(女優)、息子:市川團子(香川政明)、
叔父:四代目市川段四郎、従兄弟:四代目市川猿之助
学歴 東京大学文学部社会心理学科卒業
身長:178cm
血液型:AB型
屋号 澤瀉屋(おもだかや)
定紋 大割牡丹
襲名
2012年 「小栗栖の長兵衛」の長兵衛役、「スーパー歌舞伎三代猿之助 四十八撰の内 ヤマトタケル」の帝役 九代目市川中車を襲名(新橋演舞場)
賞:2017年浅草芸能大賞・奨励賞を受賞
香川照之としての芸歴:
1989年 大河ドラマ「春日局」小早川秀秋役で俳優デビュー
1991〜2001年 「静かなるドン」 近藤静也役が話題になる
2010年 大河ドラマ「竜馬伝」岩崎弥太郎・ナレーター役
2013年 「半沢直樹」大和田暁役
香川照之として、日本アカデミー賞最終週助演男優賞を2008年・2009年に受賞「劒岳 点の記」
香川照之としての活動実績が長く、広く人々に親しまれていることから、
歌舞伎役者としては市川中車、ドラマや映画俳優としては香川照之、
という2つの名を持って活動しています。
香川照之の受賞歴を見ると、各映画賞の中で、助演男優賞を何度も受賞していることに
驚きます。
主演男優よりもインパクトが強い準主役・脇役として、
私の脳裏にはくっきりと刻み込まれている役柄も多いです。
私の中で一番忘れられないお役が、竜馬伝の岩崎弥太郎役でした。
これほど汚くて、悪賢くて、嫌だけど憎めない役ってないよなあと
かっこいい福山雅治演じる坂本龍馬以上に見入ってしまう役でした。
役者以外にも、ボクシング愛好家、昆虫愛好家としても知られ、
昆虫のイラストがついた子供服ブランド「Insect Collection」を
経営する実業家の顔も持っています。
最近は、絵本作家という肩書きも加わりましたね。
カマキリの扮装で、おなじみのカマキリ先生は、
ものすごくやりたかった役(お仕事)なんだそうですよ。
「いつやるの?今でしょ」で知られる、林修氏は大学の同期なんですって。
INSECT LANDの公式サイトでは、私の読み聞かせ動画も公開しています。ぜひ親子揃ってご覧ください!https://t.co/Tc5A8aG02Y#インセクトランド pic.twitter.com/mOqyZvJbxR
— 香川照之 / 市川中車 (@_teruyukikagawa) April 24, 2020
市川中車(香川照之)の家系図、父は猿翁、いとこは市川猿之助、祖母は大女優!!
市川中車の家系図を見てみましょう。
中車の父は、2代目市川猿翁、母が女優浜木綿子です。
市川猿翁は、歌舞伎でも由緒ある「澤瀉屋」の直系です。
その長男である中車は、本来ならば
澤瀉屋の跡取りを任される立場でもあります。
代わりに、一門を牽引しているのが、
いとこの4代目市川猿之助です。
猿之助の父もまた、歌舞伎役者です。
市川段四郎といい、包容力のあるいい役者ですが、
現在病気療養のため舞台には立っていません。
祖父は、3代目市川段四郎、祖母は偉大な女優高杉早苗です。
役者の濃い血が、中車には流れているんですね。
あの演技力、
役者になった頃は、本人はいい加減だったということですが、
今は、押しも押されぬ大スターです。
「半沢直樹」では、迫力ある敵役でしたものね。
後述しますが、ともに歌舞伎界に入った息子團子。
今後、猿之助の名を継ぐ可能性もあるホープです。



市川中車/香川照之の評判は?実力は?
ドラマ俳優の香川照之としての評判、実力は言うまでもないでしょう。
迫真の演技、見る者の目を奪わずにいられない怪演ぶりは、
他に類を見ない演技派俳優と言えると思います。
2013年と2020年に放映されたドラマ「半沢直樹」では、
いつも、香川演じる大和田暁の言動に注目が集まっていましたね。
特に2020年バージョンは、いとこの市川猿之助も加わり、
歌舞伎よりな演出、演技に、話題沸騰でした。
数々の映画賞を受賞していることからも、
その実力は折り紙つきですよね。
では、歌舞伎役者としてはどうなのでしょうか?
2015年5月明治座の公演に際してのインタビュー記事では、
自身の歌舞伎について、次のように語っていました。
「(稽古を)毎日やってるけど、しきたりとか、最低限のこととか、まだ全くわかっていない。
全然成長できていない。時間と経験が必要なので、全速力でやって行くしかない」
出典 ORICON
この時は、市川猿之助も中車の歌舞伎に対して、
「まだまだ(セリフを)言えるところまできていない」と
バッサリ切ったと言うことです。
それでも、いとこの熱意、努力は十分に認め、
「まだまだ始めたばかりなので、数をこなすしかない。」
とも、アドバイスをしていたということでした。
確かに、歌舞伎で梨園の御曹司が他の役者よりも群を抜いているのは、
幼い頃から、舞台を見て、家でも師匠である父の稽古や教えを受け、
学ぶ前から身に染み付いている経験が膨大だからでもあるのです。
さすがの香川照之も、市川中車という歌舞伎役者としては、
梨園の出ではあっても歌舞伎とは縁のない生活をしていたことから、
ゼロからのスタートであると言えます。
それを46歳から始めたので、すぐに他の看板役者と並ぶのは、
どう考えても無理でしょう。
歌舞伎デビューから、やっと8年目です。
少しずつお役も増え、その度に新たな芸を身につけている努力は、
おそらく他の役者も関係者も認めていることと思いますよ。
そうでなければ、いくら有名だからといっても、
歌舞伎の舞台で25日間もお役を務めるのは難しいでしょうからね。
私個人の感想としては、2019年12月の「たぬき」は
とてもよかったなあと思っています。
ちょっと哀愁が漂うおじさん役なんだけど、
笑いを取るユーモラスなシーンもありました。
そういう、人の機微を演じるのはやはり上手いなあと思いました。
歌舞伎役者としては、もっと経験を積んで、
ドラマ以上の存在感を出してほしいなあと思っています。


市川中車、父猿翁との確執から和解まで、46歳で歌舞伎界に入るまでの道のり
市川中車は、澤瀉屋の直系、長男でありながら、
46歳で歌舞伎入りをしました。
そこには、父母の離婚、それにより生じた父との確執が
あったということです。
その道のりをたどってみましょう。
市川中車、父との確執は深かった「二度と会わない。」と言われた日もある
上にも書きましたが、市川中車の父は、二代目市川猿翁、母は浜木綿子(女優)です。
父母の離婚後、母の元で育てられたこともあり、
現在の4代目市川猿之助とも歌舞伎界とも関わることがありませんでした。
そんな彼の自著には、
「物心付いた時には私には父親がいなかった。喪失感はなかった。最初からないものに喪失感は感じない。」
とあります。
大学卒業後、役者としてデビューした中車は、
26歳の時に父猿之助を訪ねます。
24年ぶりに会う父の言葉は想像を絶するものでした。
こちらも自著からの引用です。
「ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。
すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。
だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。
したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、
彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。
今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。
何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい。」
血の繋がった本当の親子であるのに、
この言葉を投げかけられた26歳の青年の心は、
どれだけ絶望を感じたのでしょうか・・・。
この頃、「静かなるドン」に出演していた中車、
ここから、俳優としての道を本格的に目指します。
その後、会うことはなかったものの、
中車は、父の舞台には、時折足を運んでいたと言います。
会えずとも、役者として心惹かれるものがあったのかもしれないですね。
舞台を通して見る、父の姿は、
どのように写っていたのかは知る由もありませんが。
そんなこともあり、歌舞伎界に入るとは考えていなかったのですが、
それを覆したのが、
息子政明と猿翁(当時猿之助)の伴侶だった故藤間紫の存在
であるということです。
実は、政明の政という文字は、
澤瀉屋の子に受け継がれる文字なんだとか。
しかし、中車が生まれたのは、
浜木綿子と猿翁が別居したのちでした。
そのせいかわかりませんが、
政の文字をつけてもらうことはなかった中車。
その思いを息子の名に込めたのかもしれないですね。
*お母様の浜木綿子さんについてはこちらにも書いています。
https://kabukist.com/hamayuko-6185
市川中車、父市川猿翁との確執を乗り越え和解へ
2003年、三代目市川猿之助は脳梗塞で倒れます。
それを献身的に支えていたのが、2000年に入籍した藤間紫です。
比して、2004年、中車には息子が誕生します。
それを機に、歌舞伎界へ入ることを考え始めたと言います。
歌舞伎の家に生まれたことで、猿之助の名前は140年続く。
政明という長男がいて、
この船に乗らない訳には行かないとの思いを強くしたと、
のちに語っています。
しかし、父子の絆は絶たれたままです。
そこに、一人の救世主が・・・。
父と子の関係修復の後押しをしたのが、
猿翁の再婚相手、藤間紫だったということなのです。
その頃、香川照之といえば、
テレビや映画で演技派俳優として活躍していました。
それを見て、このままにしておくのは惜しいと思ったのでしょうか?
それとも、中車と同様に、息子の政明(團子)を
猿翁の後継にしたいと考えたのでしょうか?
真相はわかりませんが、
その努力の甲斐あり、市川中車・市川團子は
歌舞伎界への扉が開かれることになったのです。
2009年に藤間紫は他界します。
その葬儀には、親族としての中車の姿もありました。
息子を歌舞伎界に入れたいという強い熱意は、
気落ちしていた父の気持ちをも動かしたのでしょう。
2011年、二代目市川猿翁の襲名を2012年に、それと同時に
九代目市川中車、五代目市川團子の襲名も行うことが
発表されました。
中車に稽古をつけたのは猿翁自身だということです。
芸を選んだが故に失ったはずの父子の関係を、
芸の継承をきっかけに取り戻すことになったのは、
なんとも皮肉だなあと思わずにいられません。
その猿翁さんも鬼籍に入られました。
詳しいことはこちらをお読みください。
九代目市川中車(香川照之)、息子團子への思いと歌舞伎への挑戦
息子を歌舞伎界に、、、、。
その一念で自身も歌舞伎の舞台に立つようになった中車です。
香川照之という役者としては、数々の賞も受賞し、
その演技力には定評があるものの、
歌舞伎という芸では一からのスタートになります。
私もアラフィフという年齢で、
それまでのキャリアを捨て、違う道へと踏み出しました。
それはとても勇気がいることでした。
ましてや、歌舞伎界ですよ。
俳優としての名も残しているものの、
歌舞伎役者として通用するかはわかりません。
その葛藤について、次のように語っています。
「歌舞伎では、肉体がエンジンだということがわかりました。
エンジンが搭載されていないとサーキットは走れない。
僕は、ミニクーパーでF1を走っていたようなものです。」
生まれた時から、歌舞伎という環境の中で育ち、
役者として舞台に立つために英才教育を受けてきたのが、
現在歌舞伎役者として活躍している方達です。
いくら血を受け継いだと言っても、
環境と経験の差は残酷なくらいに現実を見せつけるのではないでしょうか。
46歳という年齢での挑戦、
「お稽古事もやりながら、遅ればせながら苦労させていただいていることが、
死ぬまでの間に、どれだけ形にできるかという挑戦でしかありません」
という言葉に思いが溢れていると感じました。
実は、このことについて、
中車と親しい若手役者の坂東巳之助、中村米吉、中村児太郎は、
あまりのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた、
当時の中車を心配して見ていたそうです。
何をやっても、手も足も出ない、、、
そんな辛い思いを抱えての歌舞伎デビューだったそうです。
しかし、長男の市川團子さんは、
歌舞伎の舞台で学んだことを着実に吸収し、日々成長し続けてい流といいます。
舞台が好きで、公演中も終わってからも、ずっと体を動かしても
平気なんだそうです。
舞台に出るのが楽しくて仕方ない、そんな様子を見ると、
舞台に立つことができてよかったと感じるのだそうです。
「三味線は一緒に稽古をしているのですが、彼は子どもですから、
1回行っただけでスポンジが水を吸い上げるように覚える。
置いていかれそうです。
それを見ただけで、團子を歌舞伎の世界に入れたのは正解だったと思いたいです。
僕が歌舞伎をやることは、間違っているかもしれないし、
多くの人からも間違っていると言われます。
でも、彼を入れたことは間違いではなかったのではないかということが、
僕には誇りです」
この言葉に、並々ならぬ熱意を感じるのです。
*市川團子さんについてこちらにまとめています!ぜひお読みください。

市川中車さんは歌舞伎の舞台は辛いとおっしゃいますが、
2026年で歌舞伎役者として14年になります。
現代劇でもピカイチだった澤瀉屋仕込みの感情表現は
歌舞伎でこそ、とても活かされていると感じています。
現代劇、映像への復帰はまだ実現していませんが
そのうちあのキャラを必要とされる日も来るでしょう。
今は歌舞伎界でもたくさんのファンと当たり役を
期待したいところです。
読んでくださり、ありがとう存じまする。


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